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メールのやり取りにて、公の役に立ちそうだと思ったお話があったので恐縮ながら引用して回答させていただきます。
(いつもながら引用してすみません)

波乱万丈を望むか否か


いただいたメールより引用。
>波乱万丈を望む人から見れば、

………そんな人いますか?笑
絶対いないですって。笑

意外なお言葉でした。
私は多くの人が変化のない退屈な日常よりも、「波乱万丈な人生」を望むものだと思っていたので。

多くの人が望む「波乱万丈」とはもちろん、ポジティブな意味です。
山あり谷ありの大冒険を経た後に成功し、晩年に「振り返ってみれば自分の人生は波乱万丈だった」と笑顔で思い返すような人生のことです。
たいていの人は、「波乱万丈」をこういった意味に捉えているのではないでしょうか。

山も谷もない、波風の立たない凪のような退屈な人生を望む人のほうこそ少ないはずです。
「安定した人生」をカッコ悪いと思う人は多いし、おとぎ話の「めでたし・めでたし。王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしましたとさ」という結末をおぞましくダサいと考える人は多いのです。
それは何も知らない若者が冒険を望んでいるだけかもしれませんが。

大人として現実を考えれば、ネガティブな意味での「波乱万丈」は誰も望まないでしょう。
大病を患ったり、事故や戦乱に巻き込まれるなどの大変化が人生に起きることを望む人はいません。
「どんな苦労も受けて立つ」
と意気込んでいた人も、目の前に変化が迫ったとき、痛みや混乱を感じることが嫌なので
「安定した人生・ソフトランディング」
を強く望んでしまうのが人の性(さが)というものです。

ただし実は「何も知らない若者が冒険を望む心」こそ、意外と大きな視点からは真実と言えます。

「達観」が不快を与えるとき


本当の真実を言えば、魂は大病を患ったり犯罪被害者になることすら人生計画として立てて生まれて来る場合があります。
大病や事件事故との遭遇さえも魂にとっては、自分磨きの心躍るチャレンジです。

でもこんなことを地上で現に生きている人間に言えば反感を買うことは必至。
何故なら、地上で生きている人間は生まれる前に自分で立てた人生計画を完全に忘れているからです。(計画を忘れた状態でチャレンジしなければ意味がない)
このため地上で生きている人間はいつも
「神は何故、私めにこのような試練を与えたもうたのだ!」
と天を仰いで恨み節を言うことになります。
神様(高次霊)はさぞ言い返したいことでしょう、
「それはお前自身が選んだ人生計画だ」
と。

このような視点は俗に「達観」と呼ばれ、地上の現実とは次元が異なります。
たいていの人はこんな発想すら持ちませんし、理解している人でもいざ苦しみに直面したときは嘆くものです。
誰だって痛いものは痛い。
私自身、痛みは苦手なので大病を患えば泣き叫ぶと思う。

達観してどのような拷問にも涼しい顔をしているのはお釈迦さんなど、悟りを得たマスターだけですかね。

現に苦労をしている人にこのような話をすれば不快を与えるはず。
信じてもらえないだけではなく無責任な詭弁にしか思えないため、「馬鹿にしているのか」と怒られてしまうと思います。
(他人の苦しみに付け込んで宗教団体へ勧誘することは最もやってはならないことです。それはまた種類の違う犯罪)

だから結局、このようなスピリチュアル的・仏教的お説教は現世の苦しみの前では無力なのかなという気もします。

ただし日ごろから
「全ては自分自身で選んだ人生計画なのだ」
という考えを心の片隅に置いて、どんな苦労も少し引きの目(俯瞰)で眺める癖がついていれば、変化を嘆くばかりではなくポジティブに捉えることができるかもしれません。

いざ苦労に直面したときに情報を求めると宗教団体から勧誘を受け入信してしまうかもしれないので、普段から習慣的に教養を積むことをおススメします。

【参考書籍としておススメなもの】
シルバーバーチの霊訓(私は全編読んでいませんが冒頭のほう、とても高度な思想と思います)
・古典的な仏教の教え(現代の宗教団体のテキストは絶対ダメ。避けてください)
・古典的な中国の道徳(老子などがおススメ。これも宗教団体のテキストは避けてください)
マイケルニュートン『人生はなんのためにあるのか』(特におススメです。とても具体的で分かりやすい)

もちろん、当ブログでは今後も自身の体験から分かった話を書いていきます。
このテーマに近いタグ:運命


安定を望むタイプと、波乱万丈を望むタイプ


最後に、人それぞれに望む人生が違うのは何故か? という話を書いてみます。

そもそも輪廻転生は地上で経験を積むためにあります。
(「地上」とは地球だけとは限りません。ただ一瞬で魂の次元が変わることはありませんので、何度も同じ惑星で経験を積むことになりますが)

魂は前回までの人生で得られなかった経験を新たな人生で積もうとするため、前回と同じ場所・同じ状況に生まれることはほぼありません。(前回自殺していない限り)
必ず前回と違った状況を経験させられることになります。

たとえば、長いこと安定した人生を送ってきた者は波乱万丈に。
長いこと波乱万丈を経験してきた者は安定した人生に。

戦争の時代ばかり生きた者は、どこかで平和な時代を生きる。
平和な時代を謳歌し続けた者は、どこかで争いの人生を経験させられる。

無名で過ごした人は有名に。有名で過ごした人は無名に。等々……。

必ずしもこのように極端な「反転人生」を送るわけではありませんが、変化が大き過ぎる場合はその落差についていけず、
「どうしてこんな人生になったんだ」
「思っていた人生と違った」
という感覚を持つことがあります。

たとえば私は前世で有名になるつもりはありませんでした。だから思いもよらない結果になった、という感覚を抱いていました。
逆に今世の若い頃は、「波乱万丈な人生になるはずだ」という感覚を持って覚悟をしていました。結果、笑ってしまうほど平穏無事な人生となりましたが……。
今世の始めはまだ前世の感覚を引きずっていたのだと思います。あの壮絶な竜巻の感覚がすぐに抜けるはずがありませんよね。
もし私がこのような自分の事情を理解していなければ、今世「こんな退屈な人生を送るはずじゃなかった」と言って神様を怨んでいたかもしれません。
これぞ少し極端な反転の例ですが、多かれ少なかれ皆さん変化があり、ついていけない場合はあると思います。

今、安定した人生を望んでいるのに波乱万丈となってしまい不本意な感覚を抱く人がいるなら、きっとこれまで長いこと安定した人生を送って来られたのだと思います。
この人生でようやく活動的に生きる運命で生まれて来られたのです。
波乱万丈を経験するための恵みの人生です。とてもそう思えないでしょうが、真実です。

ただし無理をしてキャパシティオーバーの苦労を背負うつもりはありませんよ。
専門家に助けてもらって苦しみを緩和するのも人生経験です。

また現世のトラブルは必ず現世的な方策で対処しなければなりません。
様々な方策をとり、現世的な対応をすることもまた経験を積むプログラムに組み込まれているはずです。
「人事を尽くして天命をまつ」です。
人事(人が行う現世的対処)で努力をしないで運命に流されるだけでは成長できないのです。

あの世の道理を学べば動じない心が養われますが、達観し過ぎで何もせずに流されるだけの運命論者も間違っています。
波乱万丈の人生こそ挑戦するために与えられた計画なので、自ら行動していく必要があります。

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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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