2019
Sep
23
-
別館更新の報告と、私は「読めない本」が意外と多いという話
更新報告を兼ねた雑談です。
そう言えば三国時代のことを書いていませんね。一応『三国志』ブログだったことを忘れていた。
出たよ!
またかよ!
いい加減にしろ!
と思われていそう(笑)。申し訳ない。
勢い込んで専門ブログを初めても、興味がすぐ他へ移ってしまうために更新が鈍ってしまう。
自分の人生と言える『蜀同盟』くらいちゃんと続けねば。
そもそも趣味としては三国志に興味が無い、だから楽しくない、という致命的な事情がある……。
渡邉などに怒りを覚えない限り特に記事を書く機会もない。つまり記事を書く時は必ずストレスを感じている。
『三国志』が趣味で愉しめる人が本当に羨ましい。
何か、三国志ジャンルで書いて欲しいネタがあればお待ちしています。軽いネタでも構いません。いっそネタで笑いたい。→コンタクト
話題をもう一点。
ここのブログ向け、プライベートに関わる箇所を『蜀同盟』記事から転載。
基本的に雑読派で、どんなジャンルの本でも読むのです。
他人が「退屈極まる」と言う小説でも延々と読んでいられる。文字を目で追う行為自体が好きだからです。
だから読むものがなければ辞書でもいい、と言っている。これは本当。
しかし時々「生理的に無理」な本があります。
心理的なアレルギー反応みたいなものを起こす。
現実に吐いたり蕁麻疹が起きたりなど、目に見える身体症状が出るわけではないのですが、胸がムカムカして不快感が抑えられない。そのうち頭痛もしてくるから読むのをやめる。
なお、前から言っている通り
読めない本の最たるもの→ 『三国志』フィクション
なのですが、決して「悪しき書物」だからという理由ではありません。
いや、もしかしたら『三国志』フィクションは「悪しき書物」なのか? ある意味そうか(笑)。だとしても『三国志』フィクションの悪さの程度は低いでしょう、『蒼天航路』という捏造マンガを抜かせば。
これは他の本について出るアレルギー症状とは少し違い、単純に事実と違う箇所に拒絶反応が出るというだけです。
理由がはっきりと分からずアレルギーが出るのは、何かしら悪い意識を感じる書物であるようです。
小説で言えば女流作家の書いた作品で、「同性への嫉妬・悪口」が前面に出ているものが生理的に無理。これは分かりやすい。嫉妬の意識が駄目なのです。
村上春樹は嫌いなのだが、何故かアレルギー反応は出ないので読むことができます。と言うことは彼の文章や物語自体は悪くないのだな。
いっぽう残虐描写がある小説でも、残虐さを愉しむ意識が無いなら大丈夫。描写そのものではなく、作家の意識で良し悪しを判断しているらしい。
思想哲学ノンフィクションのうち、読もうとして読めなかったのが
マルクス『資本論』(とその周辺の社会主義関連、経済・歴史哲学書)
ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』(ごめんねニーチェさん)
ヒトラー『我が闘争』
……こう書いてくれば私が苦手な系統を理解していただけるかと。
これらは書いた人間の本質が悪意だったり、構造的に人へ悪質な影響を与えるものと推測されます。
昔の人が直観的に貼ったラベル、「悪魔の書物」という呼び名が正確です。
以前、プラトンの書物も「投げ出した」と書きましたが、駄目な箇所は飛ばし読みで一応最後まで目を通しています。『国家』『法律』も苦手な箇所は多かったのだが、アレルギー反応が出るほどではありませんでした。
それを考えれば古代に比べて近代・現代は人間の悪質さが増している気がします。絶望的に蛮行を求める人類のほうが多くなっているのか。
不本意ですが私もアレルギーを越えて今まで避けてきた本を読まなければならない時が来ているようです。
もしかしたら自分なら悪しき構造を言葉にできるかもしれない。悪魔の隠れた意図を明るみに引き出す。
そのような目的でアレルギーを堪えて苦手な本を読み続けた結果、いつか精神破綻したりして。
それがネイタルに表れた「今世の終わり(ASC冥王星ヒット)」なのかもしれません。
ま、それでも構わないと私は思います。
出来ることを可能な限りやってから地上を去りたいですね。
『蜀同盟』について
そう言えば三国時代のことを書いていませんね。一応『三国志』ブログだったことを忘れていた。
出たよ!
またかよ!
いい加減にしろ!
と思われていそう(笑)。申し訳ない。
勢い込んで専門ブログを初めても、興味がすぐ他へ移ってしまうために更新が鈍ってしまう。
自分の人生と言える『蜀同盟』くらいちゃんと続けねば。
そもそも趣味としては三国志に興味が無い、だから楽しくない、という致命的な事情がある……。
渡邉などに怒りを覚えない限り特に記事を書く機会もない。つまり記事を書く時は必ずストレスを感じている。
『三国志』が趣味で愉しめる人が本当に羨ましい。
何か、三国志ジャンルで書いて欲しいネタがあればお待ちしています。軽いネタでも構いません。いっそネタで笑いたい。→コンタクト
読めない本が意外と多かった、という話
話題をもう一点。
ここのブログ向け、プライベートに関わる箇所を『蜀同盟』記事から転載。
(高校生に対する自分のリプを見直して反省)書いていて気付いたのだけど、私は意外と「生理的に無理」で読めない本が多かったですね。
私の意見には所々、本当に失礼な発言が多かった。
特に最後の
「どんだけ頭良くて成績いいのか知らないけど、そんなことを誇るのはダサいよ」
は酷いな……。ごめんな。
きっと彼にこんな発言をする人は周りにいないだろう。
勉強ができることを褒めてくれる大人ばかりなのだと思う。
ただ私もずっと似たようなインテリタイプとして生きてきたから、勉強ができるというだけで他人を認めることが出来ないのだよね。
自分は子供の頃からインテリを誇ったことが一度も無いのでつい、成績の高さを誇る人を見ると「バカじゃないのか」と思ってしまう。たとえ相手が子供でも。
十代なら知識を誇っても無理ないし、勉強をがんばることはとても良いことだけど、どうかそのまま大人にならないで欲しいと願う。
知識は誇らずに役立てるもの。
いっぽう、自分は大人なのに勉強が足りないところを反省している。
『資本論』は原典(日本語訳)を全編読んでいない。ツイートに書いた通り生理的に無理で読めなかった。
彼は高校生でありながら『資本論』を読むなど勉強しているところ、心底偉いと思う。尊敬に値する。
ただできれば字面だけではなく、裏側の構造を読むところまで行って欲しかった。
表面的な文章を追う癖をつけると、目から入った文言を字義の通り鵜呑みにしやすい。
それが洗脳される要因となる。
(勉強ができるタイプに強固なカルト信者が多いのは、文章を字義通りに解釈する癖がついているからかもしれない)
そういう素直過ぎる読書を癖として身に着けるのはとても危険。
常に言葉の裏側を読むこと。
全体を見通し、本質を見抜くこと。
「本質」とは始め「ポイント」という解釈で良いが、現実には「構造」のこと。
私はたぶん「構造」を読むのが得意な人間なのだと思う。
(なのでテキスト一度読みタイプ、テストも一夜漬けでOKだった。自慢することでは全然ない)
これは幼い頃から。無意識の技なので、悪い構造を察知すると「生理的に無理」と言って読むことができなくなる。
おそらくこの「生理的に無理」という感覚が全く無い人は字面を素直に飲み込むので、悪魔の書であっても洗脳されてしまうのだろう。
いつか私は、『資本論』の何が要因で虐殺を起こしているのか、根本の欠陥構造を言葉で示したいと思う。
その前に生理的嫌悪を越えて読まないといけない。
ニーチェもヒトラーも読まなければな。人生後半なのに精神がもつかな。キツイな。
あと、あまりにも詳細に構造を示してしまうと模倣して新たな虐殺構文を作る人が出て来るかもしれない。注意して、程々にしなければならない。
基本的に雑読派で、どんなジャンルの本でも読むのです。
他人が「退屈極まる」と言う小説でも延々と読んでいられる。文字を目で追う行為自体が好きだからです。
だから読むものがなければ辞書でもいい、と言っている。これは本当。
しかし時々「生理的に無理」な本があります。
心理的なアレルギー反応みたいなものを起こす。
現実に吐いたり蕁麻疹が起きたりなど、目に見える身体症状が出るわけではないのですが、胸がムカムカして不快感が抑えられない。そのうち頭痛もしてくるから読むのをやめる。
なお、前から言っている通り
読めない本の最たるもの→ 『三国志』フィクション
なのですが、決して「悪しき書物」だからという理由ではありません。
いや、もしかしたら『三国志』フィクションは「悪しき書物」なのか? ある意味そうか(笑)。だとしても『三国志』フィクションの悪さの程度は低いでしょう、『蒼天航路』という捏造マンガを抜かせば。
これは他の本について出るアレルギー症状とは少し違い、単純に事実と違う箇所に拒絶反応が出るというだけです。
理由がはっきりと分からずアレルギーが出るのは、何かしら悪い意識を感じる書物であるようです。
小説で言えば女流作家の書いた作品で、「同性への嫉妬・悪口」が前面に出ているものが生理的に無理。これは分かりやすい。嫉妬の意識が駄目なのです。
村上春樹は嫌いなのだが、何故かアレルギー反応は出ないので読むことができます。と言うことは彼の文章や物語自体は悪くないのだな。
いっぽう残虐描写がある小説でも、残虐さを愉しむ意識が無いなら大丈夫。描写そのものではなく、作家の意識で良し悪しを判断しているらしい。
思想哲学ノンフィクションのうち、読もうとして読めなかったのが
マルクス『資本論』(とその周辺の社会主義関連、経済・歴史哲学書)
ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』(ごめんねニーチェさん)
ヒトラー『我が闘争』
……こう書いてくれば私が苦手な系統を理解していただけるかと。
これらは書いた人間の本質が悪意だったり、構造的に人へ悪質な影響を与えるものと推測されます。
昔の人が直観的に貼ったラベル、「悪魔の書物」という呼び名が正確です。
以前、プラトンの書物も「投げ出した」と書きましたが、駄目な箇所は飛ばし読みで一応最後まで目を通しています。『国家』『法律』も苦手な箇所は多かったのだが、アレルギー反応が出るほどではありませんでした。
それを考えれば古代に比べて近代・現代は人間の悪質さが増している気がします。絶望的に蛮行を求める人類のほうが多くなっているのか。
不本意ですが私もアレルギーを越えて今まで避けてきた本を読まなければならない時が来ているようです。
もしかしたら自分なら悪しき構造を言葉にできるかもしれない。悪魔の隠れた意図を明るみに引き出す。
そのような目的でアレルギーを堪えて苦手な本を読み続けた結果、いつか精神破綻したりして。
それがネイタルに表れた「今世の終わり(ASC冥王星ヒット)」なのかもしれません。
ま、それでも構わないと私は思います。
出来ることを可能な限りやってから地上を去りたいですね。
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