我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    民族の特性は、DNAに宿るのか文化に宿るのか?

    最近の私は悪化の一途を辿るHK情勢を見つめています。
    ツイッターなどでは投稿できない、ここでしか語ることのできない話をメモしておきます。

    ※2021/3/23 記事カット
    HKデモを目撃した当初、義に篤く仲間意識の強い人々を見て「HK人を見ていると古代中華人のようだ」と称賛したのですが、その後の観察で誤っていたと気付いたのでカットします。(HKはガラパゴスではなく左とキ教に汚染されていた。今はむしろ大陸人のほうが古代を受け継いでいると感じる)
    この記事はいずれまた改めて書き直します。

    元記事より、言いたかったこと抜粋

    それにしてもこのようなHK人を眺めていると、民族の性質はいったい何に宿るのかという疑問が頭をもたげてくる。

    現代人が信じているように、「DNA=民族性」ということは絶対に無い。
    そもそも同じ地域で、あるパターンのDNAが二千年も混ざりけなしに保存されることは有り得ない。
    民族ヘイトをする人々は同地域に同一パターンのDNAが二千年でも二万年でも変わらず保たれると信じ、そのことを根拠に差別を続けている。しかしDNAが純粋に保たれるなど、妄想を通り越したファンタジーフィクションでしかない。
    肌の色すら二千年前も同じだったとは限らない。
    故に民族差別、血統差別はバカらしい。

    「文化=民族性」という考え。これはある程度正しいだろう。
    ただこれも表面的な考えと思う。
    中華文化の保存場所と言うなら日本も同じ。むしろ日本文化のほうが唐以前の古代中華に近い。(日本は神道など、独自の文化宗教を持つのでもちろん完全コピーではないが)
    しかし何故だろう、HK人と日本人を比べればHK人のほうが遥かに古代中華人に似ていると言える。
    義が何であるか理解しているところ、義のためなら命も投げ出す熱さを持つHK人の性質は古代のあの人々のよう。いっぽう日本人には義の精神が欠けている。

    最後の可能性、「魂」。精神性の本質が移動する場合、この「魂」が移動した可能性が高い。
    文化と同じように魂は近隣の異国へ移って生まれ変わる。

    --略--

    だから私は(命懸けで独裁政権に立ち向かうHKや大陸の)人々に心惹かれるのだろう。かつて私が愛したのは一般庶民たちなので。


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