独り相撲だったことを最大反省。(11/4『我傍に立つ』ご感想)

吉野 圭-Yoshino Kei

いつも遅ればせながら気付きます。11/4『我傍に立つ』ご感想投稿いただきました。
届かないかもしれないが、ここでこっそり返信。

実はレビューなどを滅多に覗かない私。しかし今ツイッターで少し暴れていますので、もしかしたら敵対者(かなり危険なあの国の工作員)が片言の日本語で悪さをしているかもと思って覗いたもの。
すると、真逆の投稿が。
どなたか分かりませんが感謝です。

いつものことながら、アマゾンによって消されることを恐れ転載させていただきます。ご不快な場合はご連絡ください。

 →全文はこちらへ掲載

以下返信です。

とてもキラキラしていて、幸せだったんだろうなぁと文字を伝って感じとれました。だからこそ、主人公がたった一人で国のために尽くそうとする姿あまりにが遣る瀬無く、
正確に読み取っていただけて嬉しいです。

「キラキラしていて、幸せだった」のはまさにその通り。一緒にいた時間があまりにも幸せで、狂おしく感謝していたからこそ、命も精神も捧げて惜しくなかったのだと思います。
一生ぶんの命を捧げても感謝しきれないほどあの人と仲間たちへ、そして愛してくれた国民たちへ感謝しています。
今もできることなら追加で捧げたいくらいです……。

振り返ってみれば、「たった一人で尽くそうとした」ことはエゴだったのかもしれません。
独り相撲で思い上がっていたかもしれない。援助しようとしてくれた人々がいたことに気付かなかった、それが私の欠点であり最大反省点です。
自分を責めてばかりいる責任の強さに対して「どうしてこの人ばかり」と無念と悔しさで気付けば涙が出ていました。
申し訳ない。

今もまた、あの大陸の悲惨な歴史を眺めて責任を感じている自分がいます。
やはり、あの時点が分岐点だったのだ。どうしてもっと踏みとどまってやることができなかったのだろう、などと。
もし永遠に分国できていたら、大陸は今このように苦しんでいなかっただろうしHKも無事だったのではとか……。

さすがにこれは阿呆です。
「妄想もいい加減にしろ!!」と我ながら思います。
他人には「関係ないだろ」と笑われるだろうし、仮に関係があったとしても一個人の自分だけで何ができたかと冷静に考えます。
今この未来まで変更できていたはずもない。
ほとんど全てのことが不可抗力ではあります。自分が生きていた当時の、自分自身の人生でさえコントロール不能だったのだから。

しかし今こうして人が苦しみ、次々と死んでいくのを眺めるのは辛い……。
遠い過去の歴史に関わったかもしれない者として、責任の一端を感じるのは避けられません。

二人の信頼関係は普通の人では滅多に体験できない崇高なもののように思います。それを存分に経験できたのはかなりの幸ではないでしょうか。
その通り、とてつもない「幸」でした。
だから感謝するしかありません。

見事な生き様に感服するばかりで、読了後、自分の人間の小ささをしばらく省みました。
とんでもない……。人の生きざまに大小なんてありませんよ。
それを言うなら、今の私は何も出来ていない。小さ過ぎる人生に歯噛みするばかりです。
ネットの片隅で叫ぶことしか出来ないという情けなさ。
(平凡な人生を切望していましたが、いざこうして無名平凡になると何も出来ないことを辛く思う)

このように考えていると心を病んでしまいそうだから、私は平凡人として今・この場・この人生で出来る精一杯をしようと思うだけです。

命の火が燃えている間――脳を使うことが出来、言語を使うことが出来るこの短い時間を使って、可能な限りのことを。

ついつい軽めの雑文ばかり書いてしまいブログを汚していますが、汚い雑文もまた「今しか書けない日常」かもしれないので思うまま書き散らしています。
こんな散らかった様子も笑っていただければ幸いなのです。


このたびはストレートで熱いご感想ありがとうございました。
私自身、踏みしめる道を確認しつつ迷いなく歩いて行こうと思います。
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