「合理的かつ独創的」な子、周りは大変? ギフテッドの子育てに学ぶ

吉野 圭-Yoshino Kei

以前に別館で書いた『ギフテッド』の話
はてな民が興味を持ちそうな話だと思って向こうに書いたもの。しかしプライベートな話だから本来こちらに書くべきだったな。

追加で「ギフテッド」について言及したいのだけど、さてこのテーマはどこに書くべきか? 
色々とブログを作り過ぎて何処で書くべきか悩んでしまう……。(完全に自分が悪い、笑)

とりあえず要パス記事にも関連した話なのでここで書くこととします。


「合理的かつ独創的」とはよく言われるが


要パス記事、『経緯3.付属的考察・当該人物と自分との共通項 』にて自分の性格分析(簡易)という恥ずかしいことをやらかしている。
必要に迫られてなのだけど、これは本当に恥ずかしかった。
このように当ブログで延々と自己分析ばかりしているのは、スピや占星術学習者のためにサンプルを提供したいから。でも内心けっこう辛い。
実生活で自分の話ばかりし続けることなど絶対ないからな……笑。
子供がいなくて良かったとつくづく思う。いたら可哀想でこんな恥ずかしい文章はネットに投稿できない。

本題。
上記事の性格分析のなかで
「合理主義かつ創造的」
と書いたのだけど、これはもちろん他人から言われること。あるいは性格分析のテスト結果で頻出する。
自分で自分のことをそんなふうに思っているのだとしたら頭がおかしいでしょう。自分では実際どうなのか、よく分からん。

そんなわけで「合理主義(的)かつ創造的」とは、これまでの人生で頻繁に接してきた評価なのだが、本心では首を傾げていた。
そもそも合理と創造がどのように両立するのか、ということが不可解だった。
「合理」はともかく「創造性」の定義が曖昧なせいもある。


ギフテッドの子を持つ親御さんの正確な観察


しかし最近こんな記事に遭遇してようやく納得できた。

 ⇒ギフテッドは合理的で独創的

ギフテッドの子供を持つ親御さんがお子さんの行動を観察し語られているブログ。
「身近にいる親の客観的な目」という点が新鮮で参考になった。

納得した箇所を引用していく。
ギフテッドには様々な特徴がありますが、合理的かつ独創的の二つの特徴も併せもっています。

合理的で独創的だと、周りの人が思いつかないようなことを実行し、時には周りを感心させ、時には周りから嘲笑されます。

人は目的を果たす為にあらゆる方法を考えます。その方法を考えるにあたって、我々は無意識の内に積み重なれた経験や、常識などの枠内で考えますが、ギフテッドにはその枠がありません。目的を果たす為に、一切の枠に捕らわれず、合理的かつ独創的の手段を考えます。
…(略)…
ギフテッドの合理的かつ独創的な考えは、一見、良いことに思えますが、周りに理解されずに「あいつは何やっているんだ?」と思われ、変わった人扱いされる負の場面も多いです。むしろ負の場面の方が多い気がします。

本人は至って真面目に考えてやっていることなので、周りからそのような目で見られるのも理解出来ません。

クラスで浮いてしまったり、仲間外れにされる原因にもなりえます。

またギフテッドの子には「常識だから、、、皆がそうだから、、、。」というお決まりのセリフは通用しません。合理的な根拠を示し、その子が納得できる指導が必要になります。
>周りの人が思いつかないようなことを実行し、時には周りを感心させ、時には周りから嘲笑され

うんうん……。そうだった。色々トラウマ刺激される。
現代日本では「嘲笑される」ことのほうが圧倒で多かったな。誰にも理解されない、話すら聞いてもらえないことがよくあった。
――いや、今もか。苦笑

>ギフテッドにはその枠がありません。

そういうことだよな。
「常識」「しきたり」という枠に囚われる意味が分からない。
場面ごとにその都度妥当かどうかを考えて、やはりその「しきたり」が存在することに高度な意味があると考えたら採用する。

例: 民主的な世界では「多数派の常識」を採用したほうがスムーズに事を運べる場合がある。
軍事では奇策がハイハイリスク・ローローリターンという計算上の理屈があるため常道最上。等。

つまり誰かに教わった「常識」に、ただ常識だからというだけで従うことはない。
理由があれば採用。
でもたいていの「常識」に理由を発見できるでしょう。だから私はたいてい、常識的に動くほうが多いかもしれない(仕事では)。法律に従うのも同様の理由で。

このように、我々のようなタイプは既存の「常識」に盲目的に従うというショートカットを持たないので、必ず自分で考える。
結果として「独創的」にならざるを得ない、ということなのだと思う。
無論、本人たちはそのように意識せず自然にやっているのだが。
指摘されるまで独創的なことをやっているとの自覚がないので、変人呼ばわりされ世間から浮いてしまう不幸がある。


合理的な子にはいちいち理由が必要。親御さんの苦労を察します…


上ブログにてお子さんの具体的な行動を眺めていると、自分の小さい頃を思い出して親に申し訳なくなった。
「夜、9時半だから寝なさい。」と寝かしつけようとしても「まだ眠くないから嫌。本を読みたいから読む。」と駄々をこねた場合、「子供は寝る時間だから」とか、「クラスの皆は9時には寝てるってよ。」というお決まりな文句は常識を肌に感じないギフテッドの子には通用しません。

例えば「夜10時に寝ていると成長ホルモンが出て頭が良くなるよ、背が伸びるよ。」(真実かは不明です)などと合理的な説明がいちいち必要になってきます。
ああ、これは分かる。
幼い頃、私も何か命令されると「なんで? どういう理由で?」と質問魔になり親を困らせた。何か納得できる理由が聞き出せない限り従わない。
親には苦労させたのだな。

だけど成長するにつれて質問は減っていくと思う。
知的障碍のないギフテッドの子なら、自分でその「常識」の背後にある理由を探って落としどころを見つけるはず。
子供のうちは情報が無いので理解する手がかりがなく、それで質問魔になったり反抗的態度を採ることが多い。

大人になっても常識に従わず反抗的な態度をするならそれはその常識のほうが間違っている可能性が高い。そんな誤った常識のもとで生きたとき、我々は必ず「革命家」になる。


合理的+創造的の例


ブログ主さんの観察によれば「合理的かつ創造的」な行動には次のような例があるらしい。(ブログ主さんの息子さんの場合)

1.物は一つずつ数えずにまとめて数えたほうが効率的、ということを誰に教わることもなく自分で考えてやる
2.本は同時並行で読む
3.リレーのバトンは投げて渡したほうが効率的と考える
4.字は汚い。汚くても早く書いたほうが合理的だから

なるほど納得。
上記事のお子さんの行動は、自分の幼い頃にも心当たりがある。

1のようなことは幼い頃よくあって、大人が驚いていたのを記憶している。(幼稚園中の先生たちが集まって見学をしていくので恐怖を覚えたことは前も書いた)
具体的に何の工夫をしたのかは思い出せない。前世における工夫と同じ…笑。思い出せないのは呼吸をするように無意識的な行動だからか?

本の読み方は、息子さんの「奇行」記事に共感。
私もジャンルにこだわるのは苦手で、何でも読んできた。激しく雑読。「一回は流し読みします。(一回で内容を覚えてしまうわけではありません。)」も同様。さすがに『ズッコケ三人組』などのシリーズ物はネタバレがあるから、時系列に読んだほうが良いと思うけどね。
しかし私はなるべく同時並行で読まないように子供の頃から“心がけて”きた。興味が分散して無限に「読書中」の本が増えてしまうため。
最近は同時並行の読書が増えたかな、時間が無いので。ブログも同時並行で始めてどれも半端に終わっている。これでは何事も成せないと分かっている。自分としては「悪い癖が出た」と思う。良くない傾向。

字は子供の頃から私も汚いほうだと思う。人によっては「きれいな字」と言ってくださるのだけど、独特な癖字であるらしい。まず型通りにきれいに書こうと思ったことが無い。それこそ書道以外で。
上のブログ主さんの息子さんと同じく、とにかく読めるという目的を満たせばいいと思っていて、早く書くことを優先した結果そうなるようだ。しかし自分でも解読できないほど汚いのは確かに合理的ではないな、息子さん。笑(私はそこまで重症ではないと思う)


まとめ


上のブログには『ギフテッド』の詳細な情報があって勉強になる。
未来ある若いギフテッドさんには参考になりそう。親御さんたちも参考になるはず。

上ブログを読むと確かに私も「ギフテッド」のカテゴリーに入る子供だったんだなと分かった。でも、あくまでも過去形。
ブログ主さんのように温かく見守ってくれる親に育てられたら幸福だっただろうなと思う。



追記:ウィキペディアの記事が秀逸らしい


巷では「ギフテッドの解釈について最も秀逸な日本語の記事はウィキペディア」との噂があり、覗いてみたところなるほど…。この記事だけでも癒されるほど的確な表現。
⇒ウィキペディア/ギフテッド

繊細さや感受性の豊かさにより過度に周囲に同化しようとするあまり、意図的に能力以下の成績を修めたり、ギフテッドの特異な才能を隠す傾向がみられることが指摘されている。
……泣!
早くこの定義に出会っていれば救われたのにと思う。
孤立化しやすく、繊細・完璧主義・卑下傾向のため鬱病にはなりやすいということも自分の現実に当てはまる。
否定的な分離とは、一般社会的な生き方から受動的・破滅的に離れてしまうことで、行為の主体性を喪失するため精神病や自殺を引き起こす可能性がある。それに対して積極的な分離とは、一般的な受身の人生から離れるべく、まず対象から主体的に分離し、物理的あるいは精神的な距離を置くことで、より広い視野を俯瞰し、強い知覚に基づく深い理解を形成し、より高いレベルの認識を求め続けることである。たとえば、一般社会に対してでさえ積極的分離と再融合を繰り返すギフテッドは、自己や世界の概念が徐々に変化しながらも少しずつ社会の矛盾を解きほぐし、問題を認識し、最終的に独創的な生き方のビジョンを得てその解決や克服、その実現を目指す。しかし、その分離過程では、常に、緊張、不安、気分的うつ、恥、罪悪感といった精神的苦痛を伴う。その自己の葛藤は、常に深い感情作用と連動しており、人生の要となる出来事から日常の内省行為まで、世の中がそうあるべき姿と現実世界とのギャップを思い知る強烈な機会となる。…
ギフテッドは、誕生時より常に外界・内界両方からの刺激を増長した精神で感じ、激しく深い幅をもって経験し、内省を繰り返していることが、彼らの著しい成長に関連しているという仮説である。
ううむ……。心に響く。
内省を繰り返している(繰り返し過ぎ)ことも自分に当てはまる。
傷付き辛いので社会から離れたがるが再び融合する、これを繰り返すことも思い当たる。このような特徴はスキゾイドとも共通。やはり精神過敏から来ているのか?
優秀な子供とギフテッドの比較
答えを知っている/質問する
一生懸命に努力する/遊びながら、集中力に欠けたり、でもよい成績をとる
受容的/真剣、情熱的
自己満足する(正解した時) /厳しい自己評価(完璧主義)
精巧に真似ができる/新しいデザインを創造する
興味を持って聞く /強い情感と意見を表す
単純で順序立てたやり方を好む/ゴールを明確に設定し、そこから逆算する。複雑さを求めているような誤解を受ける   
おお、私は完璧に後者。
この年にして初めて定義された想い。素晴らしい。
ギフテッドの子供についての悩みは、他人には自慢話や贅沢な文句にしか聞こえないことが多く、親自身が孤立することもあるが
「自慢話」と受け取られ嫌悪されるのは現実。これは仕方ないことと思う。日本社会ではなおさら。
ギフテッドと天才は非常に似通っているが、天才という言葉は奇行や変人、あるいは説明不可能なケースを漠然と表現する時にも使われる。一方でギフテッドは、客観的な学術知見・データに基づく診断結果とする意味合いが強いが、仮説である。これは、天才という言葉が「はるかに上」という意味であらゆる事物に対して濫用され俗語化しているのに対し、ギフテッドが教育学や心理学で用いられる学術用語であることも起因している。
天才(笑)という言葉と違い、「ギフテッド」は学術用語という点にも救われる!
天才、ジーニアスという用語は本当に嫌だな、その言葉の存在自体が。

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