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「今を大切にする生き方」とは? 後悔しない人生なんて無いから気楽に生きよう

これもどちらかと言えば“はてな”向きの話題ではありますが、スピ絡みのためこちらで書きます。
今日は敬体で書きますか。(気分で)

社会人大学院で学ぶ意識の高い36歳


こちらの記事を読み、「今を大切にする生き方って、いったい何だろうな」と考えていました。
 ⇒社会人大学院で得たもの、失ったもの

36歳IT企業勤務のブログ主さんは、フルタイムの勤務をしながら社会人大学院に通うツワモノ。
スキルアップと収入増・人生そのもののステップアップのために努力を続ける姿に頭が下がります。努力が伴う本物の「意識高い」方だと思います。

昼の大学にすら行けなかった私から見れば、院で学位を取ることなど天上の高みの贅沢に思える話ではありますが。
生まれつきその身分ではなかった自分が羨む資格はないと思っています。

社会への恨み言でこんなことを書いているわけではありません。
何が言いたいのかといえば、「人生は人それぞれ」ということ。

低階級の身に生まれることは不幸です。階級に阻まれ学業すら修めることが許されない日本の状況は明らかに間違っていますから、日本人は差別社会を許容していては駄目。(この記事の本旨を誤解し差別容認のために使わないでください)

ただし人生の結果は自分自身での選択の場合でもあるでしょう。
生きている間での選択もあれば生まれる前の選択もある。
私の場合は後者。自分でこの人生を選んだのだという自覚があります。だから障壁を突破しようとあがき続けなかったし、今さら他人の人生を眺めて羨むこともありません。

これは“人生を諦めている”こととはまた少し違います。落ち着いて自分の運命を受け入れたほうが得策だと考えるので、そうしているだけのことです。
「得策」の得は、地上の損得とは関係ないですよ。
金儲け(収入アップ)やそのためのスキルアップはなるべく無視して生きたいと思っていて、現実にそうしています。

今の私が努めていることはただ一つ。
生まれてきた本来の目的を見失わないこと、です。


抗おうとした時期もあった


これでも若い頃は運命に抗ってじたばたしていました。
スキルアップを目指して大学へ行き、資格を取り厳しい独立開業の世界にも飛び込みました。

しかし……全てが無意味でした。そう気付かされたのはつい数年前です。
全ての道に壁があり一歩も前へ進めない状態であったのは、地上における私の選択が間違っていたからです。
「地上の仕事でスキルアップして高収入を得たかったか」
と改めて問われたら、否と答えてしまいます。
そもそも、そんなことに私は初めから一切関心が無かったのでした。
ただ家族の生活のために保険をかけておこうと思っただけで。

そんな無駄な学習に注いで失った時間だけを、今は惜しく思います。

人生はわりと短い。
一瞬で過ぎる地上の人生において、金よりも物よりもただ「時間」だけが貴重です。

私は既にかなりの時間を浪費してしまいました。
だから残った時間を有意義な目的のために使いたいと考えているわけです。

“有意義な目的”とは、私の場合、なるべく多くの執筆をして自分の気持ち・考えを書き遺すこと。おそらくこのために生まれてきました。
そしてもう一つ、家族と過ごすために時間を使うこと。今の私にとってこれほど大事なことはありません。


人生は人それぞれ、後悔すら込みで考える


「家族と過ごす時間が大事」、これはあくまでも私の場合です。

もう一度「人生は人それぞれ」ということを強調しておきます。
上のブログ主さんの人生を否定するつもりは微塵もありません。

上ブログ主/白山さんは大学院通いをして失ったこととして、
「家族(特に子供)と過ごす時間」
と書かれています。
奥さんから「大学院に通うことが、どうして今でなければ駄目なの?」と責められることもあるそうです。

奥さんのクレームも当然。
子供が幼い頃は貴重です。どれほど高いお金を積んでも失った時間は返って来ない。何も、その貴重な時間を代償にする必要はないということでしょう。大学院など今でなくてもいい、との奥さんの考えはごもっとも。
しかし白山さんにしてみれば、30代の「今」でしか不可能だという自覚があるようです。それも妥当でしょう。40代になればフルタイムの勤務をしながら学習するには体力がもちませんし、学位を得ても地位や収入が上がる可能性は低いからです。
おそらく白山さんは生き残りの勝負をかけられている。自分を磨いて競争に打ち勝つための人生、それがご自身で選んだ人生なら誰も否定できないでしょう。

犯罪に手を染めたり、自分や家族を傷付け堕ちて行く人生以外は「間違っている」と言える人生など無いので、自分の選択に従って思う存分生きるべきです。
もしかしたら死ぬ時に後悔するかもしれません。「子供の幼い頃にもう少し一緒に居てやりたかった」と。
でも、(こう言ったら奥さんに怒られるでしょうが)それもそれ。
後悔も選択の結果ですから、大事な人生経験の一つとして携えていくべきと思います。


後悔しない人生などない


私に関して言えば、何度も書いている通り前世では家族のことを一切顧みず仕事だけして死にました。余暇など記憶にありません。
そんな人生は当然ながら後悔だらけです。
もっと子供に会いたかった、傍にいて話をしてきちんと育ててあげたかった、と今も後悔しています。

でも今の私には「あの人生は駄目だった」と否定する気持ちは無いのです。
あの人生は、あの人生。
選択は一切間違っていなかったと思います。自分の生活を犠牲にしなければあのような人生を送ることはできなかったからです。

後悔があることも正解と言えるでしょう。
誰の人生でもきっと後悔するようにできています。
その後悔を贖うために未来(来世)が用意されているはず。

※私の場合で言えば、前世で余暇が得られなかった代わりに今の人生の余裕があります。家族と過ごす時間も得ています。子供だけは得られませんでしたが、このことにもきっと理由があるのでしょう

だから後悔など恐れずに自分の心(純粋な本心)に従って生きることですね。/これが「今を大切に生きる」ということ
心に嘘をついて願うままに生きなかった場合だけ、自分で自分を責めることになると思います。

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