古典で精神のルーツを辿る。共鳴した思想は来世へ持ち越されるらしい

吉野 圭

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歴史館でもお知らせした通り、最近あちこちで間違った使われ方をしている「易姓革命」という言葉について初心者向けの記事を書きました。
『孟子』という古代中国の思想家に触れています。

 ⇒易姓革命とは何か? 早過ぎた民主リコール制度
 ※政治的な話を含む。大陸から閲覧している人はクリック厳禁です

自分の小説に書いたことを思想書に発見した体験


上記事を読まれた方は、拙著『我傍に立つ』と共通の思想が含まれていることにお気付きでしょうか?

「民が最も貴い」
「天命は民から降される」
等々。

上記事はあくまでも私の解釈なので、当然と言えば当然かもしれません。
ですが引用文は『孟子』の書籍からそのまま。改変なしです。

『我傍』を読まれた方は、私が中国思想を勉強したうえで小説を書いたと思っていたでしょう。
実は『我傍』を書いた時点の私は『孟子』など中国思想をほとんど学んだことがありませんでした。一般日本人として学校の漢文授業でほんの少しの例文に触れた程度です。
いやたぶん平均よりかえって学ぶ機会は少なかったかもしれない。
前にも書いたように私は幼い頃から「東洋物アレルギー」があって避けてきた者です。『我傍』執筆前も、なるべく自分だけのイメージを書き残したいと思っていたために最低限の情報しか学ばないように気を付けていました。
それ故、あのように文化描写は一部現代化されてしまったわけですが、不思議と根本の思想は古代中華から遠く離れていなかったようです。

執筆後に中国古典の思想書を読んだとき、特に『孟子』を読んだときには激しい既視感を覚えました。
まるで自分が小説に書いた思想がそのまま載っているように感じられたからです。

どうやらあれらの思想は私が過去(前世)で学び魂に刻み付けたものであったらしい。
……またしてもここで卑小な、「自分オリジナルだと思っていたことが学習したものだった」というショックを受けて少し落ち込みました。もちろん、私の考えは『孟子』と完全同一ではありませんが。
(こういう「オリジナリティ最上!」とこだわっているところが現代人らしく、小さい)

しかし今世でも学ばずにして素晴らしい思想を覚えていたことを嬉しく思います。
何より前世では思想を知識として記憶しただけではなく、「国民を愛し尊ぶ」という気持ちにて実行できたことを幸せに感じます。


学んだこと、共鳴した思想は来世へ持ち越される


前にもどこかで書いたように、今の私がこうして中国古典を読み返しているのは「時空を超えた再読」と言えるでしょう。
前世で学んだはずの思想書は、今の人生で初めて読んでもしっくり来ます。何の抵抗もなく心に入って来る。※
(とは言え私の性格や能力タイプ的に、暗唱するほどまでに何度も読み込むことはなかったと思います。それでも既視感を覚えるほどに「馴染みあるもの」と感じるから不思議です)

どうやら生きているうちに共鳴した学問は魂に刻み込まれ、来世まで持ち越されるようです。
言語記憶が失われるので詳細までは記憶していないのですが、もし来世でその文献に再び巡り合ったら「これが自分の思想だ!」と思えるほどに納得できます。

いずれにせよ、生きているうちに気に入った思想は断片的にでも魂に刻み込まれ未来へ持ち越される。
これだけは確か。

だから人生で選び取る思想には注意しなければならないと思います。
なるべくなら澄んだ色を持つ「善なる思想」、自分の魂を善(地上の概念で)の行動へ導いてくれる思想を選び取ったほうがいい。

殺戮や拷問を推奨し、他者の苦しみを糧として貪らなければならない思想を選び取って魂に刻む人は不幸です。来世でも同じ殺戮の快楽に浸りたいと望み、結果として自分の魂を暗い世界へ追い込むことになるからです。

行動での経験値とともに思想の学習は大切なのです。


※ただしどのような思想でも自分を失うほど完全にコピーされるわけではありません(私だけかもしれませんが)。私は『孟子』が最も好きですが、私の思想は彼と全く同じというわけではないのです。
たとえば性善説に私は首を傾げます。私は人間の魂は生まれた時にはフラットでゼロだったと考えています。それが地上での経験を積むうちに善や悪へ傾いていく、と。だから言うなれば私は性「中」説ですかね。
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