~について(基本的な考え方)

    筆者スタンス補足。民主主義者か、独裁主義者か?

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    早いもので、もう年末。
    今年は色々と刺激されてしまい今まで抑えていた政治思想に触れる話も書きました。
    誤解を与えてしまいかねない記事もあったと思います。

    今年始めに一度「思想スタンス」として記事リストを作ったのですが(その後、追加しきれなくなり撤去)、肝心の話を書いていなかったようなのでここに補足します。

    私は民主主義者か、全体(独裁)主義者か?


    Twitterで様々な主義の方と議論したためなのか、一時期ここへHKや大陸からもアクセスがありました。
    特に大陸から検索で訪れた人(おそらくCCP員)が「民主主義について」私が書いた記事を読む気配があり不快を覚えています。

    読まれたのは、たとえばこちらの記事。
    『プラトンの予言、民主主義の末路』

    CCP員がHK民主革命を潰すための材料を漁っているのだとしたら不快ですね。

    悪いが、私は民主革命の味方です。
    もともと私は「民が国家の主人」だと思っている者。政治は国民のために行われるべきもの、民を蔑ろにする国家・政権があってはならないと思います。
    この信念は『我傍』で繰り返し語った通り、生まれた時から・いやたぶん生まれる前からずっと変わりません。

    大陸の独裁を支持する気持ちは微塵もありません。人間として当たり前。誰が拷問や処刑を愉しむ政府を称賛しますか? 称賛する人たちは人間として壊れている。人非人の悪鬼だと言えます。

    国家にとって最も大切なものは国民、統治を委ねられた為政者は民を神と崇め下僕として働くべき。これが真理です。一部の権力者たちが国を私物化し、自らが潤うために民を虐げ搾取することは許されない犯罪。

    ※「神と下僕」は喩えとして用いた用語です。決して現実に「誰かを下僕にせよ」と言っているわけではありません。現実には次の項目に書いた通り委託事務(委任)のことを表現しています。
    【神についてはこちら】神は死にません。「神」とは何か、このブログにおける用語定義

    ただし私は現代の意味での単純な民主主義者ではないのかもしれない。
    高度な専門知識が必要な軍事や政治決定まで、何もかもを素人一般民の投票だけで決めてしまうことは非常に危険と考えます。
    また単純民主主義ではポピュリズムによる暴走を防ぐことができず、ヒトラーのようにカルトな僭主(独裁者)が権力を得てしまう危険もあります。
    そのように未熟な民主システム(愚民政治と言います)は改善の必要があると思うから、上記事ではプラトンの主張に賛同しているだけです。

    何もかも自由、自由と言って、放任することもまた間違っています。
    人を誹謗中傷したり自殺に追いやったり、虐待や殺人の快楽を貪ることまでが「自由」であるはずがありません。

    言わば、為政者も・民もどちらも暴虐な主人となってはならないということです。
    どちらも私欲を貪るだけの我がままは許されません。


    真の民主主義とは何か?


    私が思うに真の民主主義とは、「国家は民のものである」と認められること。
    そして国政を委ねられた為政者が責任を持って、
    「民のために尽くすこと」
    ではないでしょうか。

    話を小さくすれば分かりやすいかもしれません――

    これは個人における委託事務(委任)に似ています。
    裁判という専門知識が必要な事務を弁護士に委任すること。
    あるいは自分の認知能力が衰えたときに、後見人に財産管理を委任すること。等。
    このとき、委任を受けた人は
    「善良なる管理者としての注意義務」(善管注意義務)
    を負います。つまり、どこまでも徹底的に本人のためにその委任事務を誠実に行い、財産を預けられたら損なうことのないよう注意して保管する義務があります。
    義務を怠ったときは委任した人から契約解除されます。

    いっぽうで当然ながら委任した本人は、その委任契約の範囲内で要求することは認められますが、受任者を殴ったり精神的な虐待をするなどの我がままは許されません。

    ところが今はどういうわけか委任を受けた為政者たちが国の資産を横領し、委任者である民を虐待する自由が与えられたと勘違いしている。
    個人だったらこのような受任者は即刻解雇と莫大な損害賠償を負わされるのに、何故か独裁国家では称賛される。

    あるいは極端な民主主義国家になると、国民の我がままが際限なくなり何でも「自由」を振りかざして犯罪を愉しもうとする。
    天皇や他の国民への精神虐待を「表現の自由。ゲージュツ」などと叫んでやりたい放題にやる。そのうち暴力や殺人なども「自由」のもとで行い、法律も守らなくなる。

    『孟子』の唱えた「天命論」「革命論」はこの委任事務契約を国家へ拡大したものと言えます。
    「DV横領をした受任者は、受任者としての資格を失う」
    という真っ当なことを言っているだけでしょう。
    その前に孔子が『論語』で、国民に委任者として
    「受任者を尊重し敬い、自分のためにしてくれた仕事へ感謝しなさい」
    と説いているわけです。これもまた真っ当なことです。

    この二つがセットになって初めて真の民主主義が叶うのではないでしょうか。
    私はそんな真の民主主義がいつかこの世で叶うことを夢見る者です。

    ただ決して制度にこだわるわけではないので。
    皆が平和で仲良く暮らし、誰も殺されることなく虐待されない世の中が実現して欲しい。ただそれだけ。
    (共産主義のように表面的には平和に見えても、裏では「反乱分子」が大量に虐殺されているという欺瞞制度は絶対駄目です)
    これは強いて名乗るなら「人道主義」(※漢語の古典的な意味で)なのだろうなと思います。だからTwitterではそのように名乗っています。
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