死ねば「悟りを得られる」と思っていた人

吉野 圭

昔、少しばかり親しくメール交換させていただいた方が
「人間は死ねばすぐに悟りを得て世界の根元と同化できる。肉体は分子レベルに解体されて他の生命の素材となるだけだ。だから、個性を持つ魂など存在するわけがないし、生まれ変わりなんて絶対にあり得ない」
と仰っていました。

私はこれに、こう返信しました。

「私もかつて17歳のあの日まで(前世記憶を取り戻すまで)あなた以上の唯物主義で、あなたと同じように思っていた。人間は肉体だけで作られた存在で死ねば素材として分解されるだけだと。
でも事実は違っていた。
どうやら昔の人たちが言っていたように個性を保つ魂というものは存在していて、肉体のごく近いところでファンタジーで描かれるような生まれ変わりが起こっているようだ。
生まれ変わるのは、我々の魂が未熟だから。
修行が完了して人間を卒業出来るまでになったら初めて、一つだけ上の段階の次元に行ける。究極の根元と同化出来るのはさらに、遠い遠い未来のこと。気が遠くなるほどに先。
たかが地上で生きている人間ごときが、死ねば釈迦と同じように誰でも一瞬にして悟ることが出来て、個性の呪縛から解かれて永遠の根元と同化できると思うなんて甘い。甘過ぎる」

※追記 私は宗教を信じる者ではないので、他人にも宗教教義として輪廻転生思想を信じろと押し付けるつもりはありません。自分に押し付けるつもりがないからこそなおさら、上の人のように一方的な押し付けには反発します。それで体験から得た話をしたものです。

この返信には、ただ「そんなわけがない」と理屈もなく信じない答えが返ってきたのみでした。
そしてその直後、縁を切られました。

死にさえすれば釈迦と同じレベルに達することが出来る、死ねば一瞬でラクになれるのだと信じていたかった彼は、きっと私の「甘い」という言葉に拒絶反応を覚えたのだと思います。


モーゼスの『霊訓』を読み、あの時の私と全く同じ考えの言葉に触れて複雑な想いでいます。
問『生命は永遠?』
(略)恐らく向上進歩の最極限に到達した、遠い遠い無限の未来に於て、われ等が過去世の一切から離れ去り、天帝の真光に浴しつつ静かに黙想の生活に入るときが、ないではあるまいかと思う。それにつきては、われわれは何も言えない。それは余りにも高きに過ぎる。地上の人間として、そこまで考えようとするのは、けだし早きに失する

(翻訳者の評釈)
……かの印度思想にかぶれた者は、ややもすれば、途中の大切な階段を無視して、一躍最後の理想郷を求めんとするが、これは百弊ありて一利なしである。何の得る所なき自己陶酔、キザな神様気取りの、聖者気取りの穀潰しが、一人出来上がるだけである。
以上モーゼス『霊訓』より引用

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