我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    「教養と心の優しさは連動する」 インテリは全員が悪人なのかどうか

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    自賛エピソード


    このあいだ「人の目を見れば人格が分かる」と豪語する上司と日常会話をしていたとき、不意に彼が笑い出して言いました。

    「お前……!
    目の奥がホント綺麗で笑えるな。
    キラッキラしちゃって。悪いこと全然考えてない、って目。
    幼稚園の子みたい。いや今どき、子供でもそんな綺麗な目をしてない」

    どうも馬鹿にして笑っていたらしいのですが、馬鹿にされているからこそ本心なのだなと感じ嬉しくはありました。

    自分で自分を褒めるみたいなエピソードでお恥ずかしい……。
    何故こんなエピソードを掲げるかと言うと、日頃他人に“悪人扱い”されることが多いからです。
    前記事の要パス記事リストでも『彼は粛清したのか? 今、私が思うこと』がよく読まれています。
    皆さん、「本当は簒奪を狙ってた」とか「本当はたくさん粛清した悪人だった」という話がお好きのようですね。ただそこにしか興味がない。

    どうしてもお勉強ができるタイプは全員が悪人なのだと思いたい。
    なんで? そのほうが楽しい? 気持ちが楽になる?

    少なくとも今ここにいる私は上司が言った通りの人間(悪いことは考えていない)です。
    私も何らか過ちを犯して誰かを傷付けているはずなので、100%完全なる善人と言えないとしても、現状で私利私欲のための悪事は少しも考えていません。

    【関連記事】 自信とは何か? 「相続」は他者が決めること、でも私には自己信頼がある

    教養と心の優しさは連動する


    本題、この件に関連して記事加筆のお知らせ。

    以下↓は池上氏の番組を観た後に書いた記事なのですが、その後に得た情報を追記です。
    『世界トップ三人を眺めて思う。知性ある人が粛清を行う不可解』

    クリック出来ない人のために伏字にして追記分を転載しておきます。
    2020/1/6追記 
    この時は情報が無かったためあくまでも番組で流された話を信じる体で書いていますが、私は初めから「Sが勉強家だった」という話自体に疑問を抱いていました。K国にはありがちな「指導者崇拝のための捏造話」と思われます。
    その後に知った現実的な話を述べると、Sは〇〇時代に悪事の限りを尽くした××兵世代。あの国で出世したということは相当な「猛者(積極的に暴力を推進した人)」だったのでしょう。××兵たちは殺戮に忙しくて勉学に励む機会が無かった。そのため××兵世代は無学・無教養な人が多いという話は有名です。
    その前の指導者であったKは確かに読書家で学があったらしい(ただしKも主義者ですから多聞に漏れず少数民族には苛烈、残酷でしたが)。本人はともかく、学業が奨励されたK時代に育った若者たちは今、教養を身に着けあの国のなかでも特殊な世代として成長しています。教養が人格を磨くことは確かであるようです。

    この通り、教養と人格の高さはどうも比例するらしい。
    先日いただいたメールでもこう書かれていた方がいました。
    …問題は世界情勢の核心部分だし、それを分かっているあなたの頭が良いのは知っていますから、こちらとしては教養をもらっている感じです。
    何より、教養があって心も綺麗な人って貴重なんです。
    教養(もしくは向学心)と心の優しさはどうも連動しているらしくて、どちからが欠けると、たいていは両方ダメになります。
    そういう奴はいっぱいいます。

    筆者に関して仰っていただいたメール文です。恐縮しましたがとても嬉しかった。
    (T様、いつもありがとうございます。本日のメールにも感謝。後ほど返信致します)

    特に

    >教養(もしくは向学心)と心の優しさはどうも連動しているらしくて、どちからが欠けると、たいていは両方ダメに

    という箇所が心に響きました。
    本当に仰る通り。それが真実だろうと思います。
    だから自分も向学心を失わないようにしなければ、と身を引き締める想いで読みました。

    現代人は臣民教育が激し過ぎた昭和世代への反発からか、「教養と人格は関係ない」と思い込んでいます
    実際ニュースを眺めていても高学歴の人間が犯した罪のほうが大きく報道されます。
    ドラマや映画でも、高学歴インテリが残酷な犯罪を企てる設定ばかりです。

    しかし現実の犯罪者データを見ると知性(知能・教養)の低い人が兇悪犯罪を犯す確率のほうが高い。
    世間の「インテリ=性悪の犯罪者」というイメージは、そう考えたほうが面白いからでしょう。単純に映画やドラマでは知能犯でなければストーリー性が弱く、誰も観ない作品となるので仕方がないとも言えますが。

    それと現代では、知性と学力がごちゃ混ぜに語られているせいでもあります。
    学力(知識)は人格と関わりありません。
    知識で人格を磨くことは不可能などころか、逆に行いを悪いほうへ導いてしまう知識もあります。


    自ら牢獄へ歩む学び方


    「行いを悪いほうへ導く知識」とは、殺人思想(K産思想)やカルト宗教の教義などが良い例でしょう。
    自分自身ではたくさん本を読んで頭が良くなっているつもりでも、ただカルト的な主張を強めるための読書をしているだけという場合があります。
    教師や教祖に言われるがまま読書をするタイプです。

    そのような人は、思考停止の牢獄へ自ら歩むような知識の詰め込み方をしてしまうようです。
    他者を見下すため・他者に勝つために学校で良い点を取ろうとするタイプがこうなってしまいがち。
    だから現代では、偏差値の高い人がカルトの強固な信奉者となりやすいのでは? 教祖の言うなりに殺人を犯すのも高学歴インテリであることが多い理由。

    【関連記事】知識は害毒か? 真理探究で落とし穴にはまらない学習法

    現代日本の教育はこの「知識の牢獄に自ら歩むタイプ」を作るためのものだと私には感じられます。
    しかし本当に必要なのは「知性」です。これは教養のことです。※もっと正確に言うと、教養・思考の積み重ねが知性へ繋がる
    残念ながら現代日本では、心を育てる教養がおろそかになっていますね。
    (これもまた獣化計画の一環でしょうが)

    私もそんな現代日本の教育を受けて育った一人なので偉そうなことは言えません。
    ただ、少なくとも教師の言うなりにはならず抗った者ではあります。そのために救われたのかと思っています。

    しかし私などはまだまだ全然足りていませんよ。
    本物の教養人に会うと自分の教養の貧しさを心底恥ずかしく思います。
    このあいだ恥ずかしく思ったのは、驚くべきことにC国の教養人と言葉を交わしたときでした……。
    上記事の追記でも書いた通り、一部の世代のC国人は古代人のような教養を取り戻しています。私も含め、日本人のほうが教養と人格の高さで劣るようになってしまった。

    「教養と優しさは連動している」、
    今後もこのことを信じて学びを続けていかなければいけません。
    死ぬまで勉強とは本当。それもまた楽しいこと。


    〔投稿後の重要な改稿点〕 知性・知能の定義が曖昧だったため投稿後に修正しています。私は普段、知識が無くても賢い考え方のできる人のことを「知能が高い」と思って最も尊敬しています。そのような人は知性もあると言えます。おそらく実体験で本物の教養を身に着けてきたのでしょう。

    詳細: 「勉強で人格は磨けない」対「教養が人格を高める」 矛盾について再考
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