前世で最期に見た朝の景色を思い出す(Andre Gagnonを聴いて)

吉野 圭

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「いつもどんな音楽を聴いていますか?」の質問に答えるシリーズ。(この記事は常体で書きます)
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めぐり遭い


YouTubeでAndre Gagnonの曲と遭遇して、懐かしく聴いていた。彼の曲のなかでこの邦題『めぐり遭い』が一番好きだ。


これもかなり昔の曲。
たいてい執筆のBGMや、寝る前にリラックスするためにかけていただけで当時は夢中になったというほどではなかったのだが、今久しぶりに聴くと心に沁みる。

Andre Gagnonはメランコリックで甘いインストゥルメンタルであるため、ロックやヒップホップ好きには馬鹿にされ毛嫌いされているらしい。
しかし私はメランコリックなので(どうせ。笑)馬鹿にされてもこちらの系統のほうが性に合う。
※もちろんこういう曲だけに浸っているわけではなくて、たまにはロックも聴く

上のYouTubeコメント
上木原充子さん:

この曲を聴いている人達は本当に心優しい人だと思います。絶対に。この曲はアンドレギャニオンが、亡くなった母に捧げた曲だそうです。かけがえのない大切な人への想い。深い愛を感じます。
ウィーラー楽天さん:

これ聴いて自然と涙が溢れた人の中に悪い奴はいない
何か納得。
心優しいのかどうか分からないがこの曲に同調する人はナイーブな面を持っていると思う。
「亡くなった母に捧げた曲」という話は初めて知った。深く共鳴する。
野獣後輩さん:

全てを優しく包み込むようなメロディー
泣いても泣いても、母親の死の悲しみは消えない。
どうすればいいのか分からない。
お母さんごめん、俺、やっぱりあなたがいないと寂しいよ、強くなるって約束したけど、まだまだ、毎日泣いてしまいます。

また、めぐり逢いたい、お母さん。
もし、生まれ変わりがあるとしたら、また俺を生んで(;_;)

辛い(;_;)
この書き込みに不覚にもまた、涙。
涙に溺れるのは良くないと分かっているのだけど、気持ちはよく分かる。
私が会いたいのは「母親」ではないのだが。

今もまだずっと前世で伴に生きた人を想っている。
馬鹿じゃないの?と我ながら。
前世の死後、天界(死後の世界)で再会できずに休む間もなくここへ来たからだろうか。
それともあの人生は特別で、想いが強く残ってしまったからだろうか。


最期に見た朝の景色

再び前世などへ想いを馳せてしまったのは、上の投稿者の方が「東京摩天楼の初日の出」の写真を掲げてくださったからかもしれない。
曲が進むに従って少しずつ朝陽が昇ってくる変化もまたリアルで朝の空気が伝わって来る。
おかげでまた最期に見た景色を思い出した。

小説でもこのブログでも書いている通り、私が前世で死んだのは朝方だった。
地上で最期に見たのは徐々に青く明るくなりつつある空。薄く細い雲がたなびいていた。
朝陽を見ることはできなかったのだが、
「新しい日が来る。生きている人たちの朝が」
と思い、幸せな心地で目を閉じたことを覚えている。

 このブログで触れている記事 →筆者の前世、死の記憶

若い人たちが新しい世の中を生きていく未来を想像してとても幸福な気持ちだった。
その「未来」がどんなものであれいいと思っていた。
未来は生きている人たちのためにあるものだから、思うままの明日を築いて欲しいと願った。

だから今、未来の世の中の酷さを見て憤ることもまた違うのだよなと思う。
今を生きる地上の人間として憤っているのだと言えば正しくなるだろうか。

あの時、
“どのような生き方をしたにしても未来の人たちは愛おしい。自分なりに自由に幸福を求めてくれ”
こう思えたのは既に死者の視点にあったからなのかもしれない。


あの境地にいられたら自分が幸福だ


最近の世の中を眺めていると酷いことばかりで、嘘・洗脳・暴力・殺人……等々の現実に深々と憤りを覚えてばかりいる。
いつも弱い子供が親の虐待を受けて殺されたり、丸腰の一般民が国家に虐殺されてばかり。さらに、それらの圧倒的に明白な犯罪を無かったことにする嘘つき、正当化する権力の犬たちが気持ち悪く、憤りを通り越して吐き気を覚えたりする。
刑罰もあまりにも低い。
常に常に犯罪者は無罪放免となり、餌食となって殺される側は報われない。

義が通らない現代。
一般の人が「義」を理解しなくなったぶん、狂って腐りきった世の中になっている。

でもこんな世の中へ毎日憤ってばかりいると本当に心が壊れてしまうだろう。

思い出せば、前世の晩年もかなり酷い人たちが多かったのだ。
嘘、謀略、犯罪に憤ってばかりいた。
それで心身ともに疲れ果ててあのような状態になった。
(当時の汚い嘘つきたちのレベルは今の日本人ウヨサヨとあまり変わらない。現代の、お隣の国の殺人鬼はちょっと次元が違う別の生き物だが)

だから他人の汚い言動に憤っていた現実は、今とあまり変わらないと言える。
それがどうして最期、あのような幸福な境地になったのだろう……?

やはり汚い人々だけではなく純粋な心を持つ人たちも大勢いたからだろうなと思う。彼らが私を囲んで守り、支えてくれた。
そのことに気付けた自分は幸運だった。
純粋な若者のおかげ。そして最後の最後に自分を救ったのは、あの気持ちを受け止めるぶんだけ心の底に残っていた誠。


今世のこれからはどうなるだろう


今世もまた、最期にあの朝と同じ気持ちになれるのだろうか?
それとも怒りと憎しみで染まってしまい暗い世界へ堕ちてしまうのか。

未来は不確定だ。
状況次第では、私も憎しみの気持ちを最期に抱えて死ぬかもしれない。
(だから、生まれたくないと思った。あの幸福な気持ちのまま輪廻を終えたかった)

どうかそのようなことにならないよう願う。
最終的には自分の心が自分を救うのだということを忘れずにいたい。

もう一度、あの朝を目指して。
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