我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。自作品『我傍に立つ』裏話と世間雑記、占星術メモ
 メニュー・新着

-

「悪は感染症」の発想は意外に的確。トム・クルーズ『ザ・マミー』を観ながら考えたこと

darkuni.png画像はこちらから引用

最近ウイルスを避けなければならないので仕事以外では外出しないようにしている。
それで、休日に録画した映画※を家族と一緒に観ることが多くなった。

最近観たのは『インディペンデンス・デイ リサージェンス』と『ザ・マミー』。
お子様向けのハリウッド映画を観たのは久々だった。
単純明快な映画を観て脳を休めようと思ったのだが、またしても色々考えてしまった。

 ⇒『インディペンデンス・デイ リサージェンス』の感想は別館
 (政治的な要素を含む雑談なのでご注意を)

こちらのブログでは『ザ・マミー』を観ながら考えたことをメモしておく。
少しスピリチュアル的な話にも関わる。


※録画で観ることについて:「コンテンツへは正当な金を払うべきだ」「クレクレばかりではいけない」などと言いつつコンテンツを無料で受け取っている、ごめんなさい。私は、映画は観たい映画は映画館へ行って観るほう。年に数回の映画館なら高いお金を払っても惜しくない。ただネット等のレンタルで映像を買ってまで観たいと思わなくなった。昔はよくレンタル屋へ通ったものだけど。ストリーミングできるようになると観なくなる不思議。

『ザ・マミー』とは あらすじや印象


紹介・あらすじは面倒なのでヤフーから引用
『ザ・マミー』
作品紹介:1932年製作の『ミイラ再生』を新たによみがえらせたアクションアドベンチャー。エジプトの地下深くに埋められていた王女の覚醒と、それを機に始まる恐怖を活写する。監督は『トランスフォーマー』シリーズの脚本や『グランド・イリュージョン』シリーズの製作などを務めたアレックス・カーツマン。トム・クルーズやラッセル・クロウら、ハリウッドスターが出演している。

あらすじ:中東で、古代エジプトの文字が刻まれた石棺が発見される。その発掘に居合わせたアメリカ軍関係者のニック(トム・クルーズ)は、考古学者のジェニー(アナベル・ウォーリス)らと共に調査のために石棺をイギリスに運ぶ飛行機に乗り込む。だが、フライト中に思いも寄らぬアクシデントが起きて、ニックをはじめとする軍関係者を乗せたまま輸送機はロンドン郊外に墜落し、石棺の所在もわからなくなってしまう。
何と言うのかな、『ハムナプトラ』と『インディ・ジョーンズ』を掛け合わせてシリーズ化を狙ったのかと思える印象。
トム・クルーズをハリソン・フォードのようなヒーローキャラに仕立てようとしたところ、失敗したという感じ。
実際は「ダークユニバース・プロジェクト」という古典モンスターを復活させるシリーズだったらしいが、今のところ一作目で終わっているらしい。

ヤフーのレビューも酷評。
mummy.png
大コケするわけだ

お金かけた作りと俳優陣豪華にしてて、これはヒドイ…
地上波初見でさえ後悔した。
ハムナプトラのリメイクにしても、設定がめちゃくちゃで盛り込みすぎ。
序盤は少しコメディ風でトムの定番チャラさを出そうとするも、古代の呪いというよりゾンビだし、まさかの肥えたラッセルまで出してきてジキルとハイドとは…
選ばれし者の人物背景もしっかり描けばいいものを、コソ泥だったトムはゾンビ相手にやたら強いし、中途半端な恋愛要素もいらないな。
最後は自己犠牲のヒーロー物風で終えてるけど、
彼女といつからそんな関係築いたのかのかもよくわからないし、薄っぺらすぎる。
眼球が二つになる演出が良かったのとダンサー出身のソフィアはキレイでしたのでそこだけに星二つ。
cim**** さん
笑、同意。お金をかければヒットするというものではない。
(だからたとえ電通が必死に宣伝したとしても、『ワニくん』をあれだけヒットさせるのは不可能)

でもこの薄っぺらさこそ「THEハリウッド」と感じられ懐かしさがあった。

そもそも大人が真剣に観てレビューを書く部類の作品ではない、お子様向けエンターテイメントだからこの程度がちょうど良いのでは?と思う。
子供が見ればけっこう本気で怖がり楽しむのではないか。

我々の子供の頃にはこういう馬鹿馬鹿しい映画がたくさんあって、それは豊かで優しい時代だった。

深さを演出しようとし意味不明に複雑化している最近のハリウッド映画の勘違いには苛々してしまう。このように単純なほうが好感が持てる。
これが「ハリウッドの等身大」でしょう。

そしてこの映画には抵抗を感じる政治的なメッセージなどもなかった。
罪深い『インディペンデンス・デイ リサージェンス』に比べれば遥かに良い。


設定は膨らませれば面白くなりそう


設定も単純だからこそ想像を膨らませる余地はあった。

たとえばジキル博士の設定、
“悪の感染症に侵されてハイドになってしまう。(その感染症を抑え込むために彼は常に薬を打っていなければならない)”
という話は良いと思う。

この設定を膨らませて細かく描けば壮大で現実的なストーリーを作ることも可能ではと思った。
日本人の漫画家さんならこの設定を使ってもっと面白い作品を生み出せるはず。


「悪は感染症」は表現として的確


ところでこの「悪は感染症」という表現は、意外と現実を的確に表しているのではないか?

普通の人が危険思想にはまってカルト化し、大虐殺を愉しむような悪魔へ変貌してしまう……このようなことは現実に多々ある。
思想に侵され変わっていく過程は、感染症に脳を侵され凶暴化する動物の症状とよく似ている。
現実でもそのように人間を変える教育プログラムを「獣化教育」と呼び奨励する思想集団がある。※K産思想

もちろん現実に「悪」などというウイルスがあるのではなくて、コンピュータが感染するウイルスプログラムに近い。
有害思想というプログラムが脳に侵入して思考を乗っ取り、破壊活動を行うようになるのだから。

私はカルト思想に侵された人がゾンビに思える時がよくある。
有害思想に侵された人はまず対話ができなくなる。耳が破壊されてしまうかのよう。こちらからの言葉が一切通じなくなり、全員がコピーされたように同じ発言を一方的に押し付けて来るだけのスピーカーに過ぎなくなってしまう。
その人を救いたくて有害行動をやめさせようとする家族や友人を「人格障碍者」などと罵倒、あらゆる悪口や暴力で攻撃、最終的には「自分の信念を貫くのに邪魔だから」と言って家族さえ殺す。
そうして彼らは最終的には、ただ他者を食い殺す目的しか持たない「動く屍」となってしまう。

そんな動く屍のカルト集団が闊歩する地上の様子はまるで、バイオハザードのゲーム世界のよう。
彼らが増えれば人類という種が滅亡の危機に脅かされることになるのだから、実際「バイオハザード」と呼んでも良いだろう。


ここで「悪」の定義とは


ところで、有害思想を何の定義もせずに「悪」とだけ呼ぶのは頭が悪い。
「悪い思想」と言っても一方から見れば善に変わってしまうからだ。
たとえばC国K党は、命を大切にする・残虐行為を禁じるなどの人道主義を「悪」と呼び、党の手足となって殺戮を愉しむことを「善」と定義している。
人類の本能に反する異常な善悪分けも、思想に侵された人は真実だと思い込むことができる。

上の映画のなかでもエジプトの死をつかさどる神・セトを「悪」と呼んでいたので笑った。
死後世界の門番が「悪」? 意味不明。

歴史の背景を語れば「悪の名」として挙げられたサタンもルシファーも、迫害された異教徒たちを指す蔑称である。
(現代で喩えるなら、CKがHK市民を「暴徒」と呼ぶのと同じ。独裁者は自分に歯向かった弱者を「暴徒」「サタン」と呼んで殺戮する)

その場合、真実の加害者は一神教のほうであり、サタンは殺戮された被害者だ。
どちらが悪魔なのか。地上の現実に照らせば、虐殺王の一神教のほうが悪魔だと言えるだろう。

このように二元論での「善悪」決めつけは正確ではない。
二元論はいつでも殺戮の言い訳に使われる。たいてい強者による弱者ジェノサイドの正当化手段として。

上の映画のなかでは一応、悪というものを
〔世界を混乱に陥れて人々を苦しませ、その苦痛に快楽を覚える性質〕
と定義していた。
それなら、人類という種の生存本能に照らしてまあ納得。
(現実にそれが「悪癖を持つ魂」の本質を的確に言い表している)

あの者たちの本性を「悪」と呼ぶことに抵抗あるなら、「有害」と言い換えるといい。
殺戮を愉しみとし他者の苦痛を生きがいとして貪る性分は、地上の全生命体にとって「敵」であることは明らかだからだ。


有害な感染症にどう立ち向かうか

目下、新型コロナという危険な感染症が世界人類を襲っているときにこの映画の設定は示唆的だった。

ウイルスや細菌はそれ自体が生き延びる目的で動いているために宿主の種を全滅させることはないが、有害思想は全生命体を滅亡させる。
彼らの「暴力欲求」「殺戮欲求」という渇きが癒えることはないからだ。

宗教家が言うように
「悪魔の目的は人類を滅亡させること」

ということは有り得ない。
悪魔も人類が滅亡すれば他者の苦痛を眺める楽しみがなくなってしまうので。
ただ彼らはイナゴのようなもので欲望を抑えることができないから、結果として餌食となる対象を殺し尽くしてしまうのだろう。

人間集団は少し間違えば凶暴なカルトに感染することがよくある。
きっと昔からそうだったのだろう。例、一神教の「魔女狩り」や「異教徒殺戮」など

今もあらゆる「悪の感染症」が世界に蔓延している。
K産主義。
殺人宗教。
つい最近も東アジアの中華圏で、「C民族を殺せ! 漢文化を破壊して地上を浄化せよ!!」と叫ぶ新手のカルト思想が生まれて流行している。

危険宗教や思想を封じ込めても新たな殺戮思想が生まれる。
きりがない。

さらにオカルト的な知見を付け加えれば、一度「殺戮思想」に感染した者は生まれ変わってもまた同じ快楽を貪りたいという悪癖を持つようになる。
それで、生まれ変わった未来でかつての殺戮思想と同じ臭いを持つ思想に飛びつき、利用して再び同じ快楽を貪ろうとする。
そのような思想が蔓延している土地を選んで生まれようとする者もいる。
もし地上に殺戮思想が無ければ、新たに生み出して殺戮に利用する……。

だから殺人思想は消えないし感染する患者は消えない。
完全消滅は不可能と思って抵抗し続けなければならない。
あたかも本物の感染症との戦いのようだ。

(この結論は『ザ・マミー』の結末と同じ。だから丁寧に描けば良い映画になったと思う)


感染を防ぐには「善き文化教養」というワクチンを打つこと


絶望的なようだが、抵抗する手立てがないわけではない。
それが、善良な文化教養を頭(心)に叩きこむこと。

脳が文化教養プログラムで埋まっていれば、それよりも単純で稚拙な有害思想プログラムが入り込む隙がなくなる。
つまり文化教養が免疫となり脳・精神を防御する。
言わば文化教養はウイルスに対するワクチンのようなものだ。

何を「善き文化教養」と定義するかがまた難しいのだが、古い時代に生まれて人類を育てた功績のある文化なら安心だろう。
それも捻じ曲げて悪用されることがあるので必ず原典を学ぶこと。
そして狭い価値観に凝り固まり教祖のコントロールを受けないように、古今東西を比較しながら広く学ぶことだ。

本来なら「自分の頭で考える」ことができれば一番良いのだが、そのような自己免疫力が元々高い人は少ないらしい。
多くの人は他者から与えられた思想に感染しやすい。
それは疑問を持つことなく学習しようとする人間の本能でもある。ある程度、仕方がないのかもしれない。
(そもそも有害思想を作る者は、そんな人間の欠陥を突いて感染するようにプログラムしている。免疫の脆弱性を突いて感染するウイルスと同じ)

だったら古代の智慧に学べよ、と思う。
漢方などと同じように経験則で「善きもの」と呼ばれ受け継がれてきた文化で免疫を高めればいい。

昔の人は免疫が高かった。体も精神も。
現代人は免疫がとてつもなく低くなっていると思う。
それは保護された環境下で甘やかされて育ったせいでもあるし、大切な文化教養という免疫プログラムを自ら棄てたせいでもある。

今後の人類は免疫を取り戻していくべきだ。
いや、滅亡を防ぐためにはそれしかない。
関連記事
My profile

Author : 吉野 圭

勤め人。趣味は読書、占星術。
一見様はこちらへ。
→プロフィール・お奨め記事

【お願い】
当ブログの記事を気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)

記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

検索フォーム

Translate,翻譯

過去ログ v Co リバース

管理者 別サイト

現在位置

トップ > プライベート > 「悪は感染症」の発想は意外に的確。トム・クルーズ『ザ・マミー』を観ながら考えたこと

このブログはPG12です。→保護者の方へ