~について(基本的な考え方)

    「道徳」という免疫側に立ち続けることが私の役割でありテーマのようです【前半改稿】

    〔2020/5/7記事 2023/5/13 大幅改稿〕

    三年前の記事です。
    前記事『「道徳を言う奴はモラハラ」!? 道徳皆無のソシオパスのほうが危険ですよ』に関連深い話なので、トップ上げしておきます。

    当初メール主への返信として書いた記事へ追記を重ねたため、自分で読み返しても意味不明となっていました。
    前半、読みやすく書き直します。

    超長文。前半・後半の間に水平線を入れておきました。

    よく知らない人による“石投げ行為”


    こちらは以前に当ブログの記事を引用して漫画を描いてくださった方より送信されたメールです。当ブログのテーマにヒットしたのでご本人の承諾をいただいたうえ、引用して返信文を書いていました。

    相手方が攻撃されないようリンク・名前をカットしていたのですが、ご本人はその後に該当の作品を消されて去られた様子。
    話し合いもせず何か思い込みだけで極端な反応、残念です。

    現在(2023年)、メール主は当ブログにも来られていないと思われるため返信形式ではなく解説として書くことにします。
    同じような思想で筆者への陰口をたたいている方は多いはずなので参考までに。

    2020年にいただいたメールより:
    …唐突にこういう事を言うのも、気が引けるのですが、吉野様の言葉が気持ちに届きにくくなりましてメッセージを送らせてもらいました。
    もう…いや、最初から正論だけでは人は動かないと思うのです。
    自分の描いたマンガですが、それを一部形にしたものです。
    (リンク自粛)
    こちらの二本は「進撃の巨人」のエレンの行動(地ならしによる命の駆逐の理由)を核にして、現実を霊的に分析したものです。今日描き上がり更新しました。

    最初から、他者…人が正論で一般的な「悪」の行為を止められるのならば、自分自身も虐待や性的暴行は延々と受けなかったと思います。

    もっと言うのならば、進撃の巨人にある描写があるのですが「「良い人」が体制を占めたらそれこそおしまい」で、人の行為を全て「正しさ」を前提としてしまうことの方が危ういと思います。

    自分の行動や言葉が「正義」だと思えば、相手に対し容赦なく石を投げれるのは、(メール送信者)自身も吉野様も、全ての人にとって同じだと思うのです。
    そして、言葉をはじめ、色々なもので人が人の過ちをつつきすぎた先が「殺人」「自殺」「戦争」など、悲惨な結末なのだと思います。(自分自身も、他人や自分自身を正しさで責めすぎて、何度も自殺未遂があったので、体験からの確信です。)

    今起きている全ての問題は、自分も含めた「全ての人」が「人を本当の意味で人として見て」解決する必要がある問題だと、(メール送信者)は思っています。
    特定の集団や個人を叩いて解決しようとするのでは、また同じ歴史の繰り返しだと思います。
    まず、何であれ率直に思うことを意見してくださったことには本当に感謝していました。

    意見とは内容で判断すべきもの。

    批判であったとしてもその内容が正しいなら受け入れるべきだと私は考えています。
    意見をした、という行為自体で私が怒り攻撃したことは、記憶にある限り覚えがありません。
    (妙な言い方ですみません。つまり、前世でもそのようなことは無かったという意味)

    ただ、

    ・最近来訪した方が一部の記事だけを表面的に眺めて、「筆者の人格」へレッテル貼りをする
    ・「どの記事についての、どの文に対する意見」なのか不明なまま一方的な批判を展開する

    のはどの方面から考えても失礼過ぎるでしょう。
    それこそ、よく知らない他人が通りすがりで「石を投げつける行為」だと思います。

    (ストーカーによる危害を加える目的での人格攻撃よりは遥かにまともではありますが)

    たとえば

    >吉野様の言葉が気持ちに届きにくくなりましてメッセージを送らせてもらいました。

    通りすがり同然の方に、こんなお気持ち表明されてもブログ主としては困惑するしかありませんね。
    「私はこの方のいったい何なのだっけ?」と一瞬、悩みました。笑

    夫婦か恋人ならともかく……。
    いや、長期に来訪されている読者様からの訴えならともかく。
    ごく最近来訪された方で、筆者のことを何もご存知なかった方に「あなたの言葉が届かなくなった」などと責任を問われても困る。

    それは措いて、意見をくださったことには感謝しました。
    私の言葉が気持ちに届かない人はごまんといるはずですが、多くの人のように陰口を叩くのではなく、直接伝えてくださったことには誠実さを感じます。

    問題はその後の文です。どこの記事に対する、何の話なのか推測するしかなかったことがまず問題。

    一応、ご本人に
    「何についてですか?」
    と確認のメールを送ったのですが、やはり曖昧な返答しかなかったため分からずじまいで終わりました。
    その後は音沙汰なしです。

    この時期の私が書いていたことから推測して、おそらく別館(政治関連の話を書くブログ)やSNSでの発言について仰っていたのでは? と解釈してみました。

    具体的に書けば、当時の私はHK弾圧のことでC国への憤りを呟いていたため、
    「ネトウヨ!」
    との反射的なレッテル貼りで「C民を民族ヘイトしている人」と誤解されたのではないかと推測しています。

    (この推測で正解ですか? と質問したところ「まあそんな感じかも」との曖昧な返答でした)

    あるいは、当時の私がコロナ流行時にマスクをつけるよう呼びかけていたため、「正義で人を断罪するマスクポリス」とのレッテル貼りをされた可能性もあります。

    いずれにしても彼女が筆者へ、
    「正義正論を振りかざして暴力をふるう悪人」
    というレッテル・シールを安易に貼り付けたことが問題だなと思いました。

    なにしろそのレッテル・シールは“道徳破壊キャンペーン”を長年行う集団が配っているものでしたから。
    彼女が上メールで語っている思想も、実はその集団の主張コピーです。

    端的に言えばこういうこと:
    seiron.png
    ※政治アカウントで危険。読者様のうっかりフォローを防ぐためアカウント名を消しています
    若いであろうメール主がマンガや世間の教育を鵜呑みにされ、「正義正論を言う奴は悪だ」との思想を信奉している様子が分かり、無念でもありました。

    この記事を書いていた2020年初頭の段階ではメール主が仰る通り、私の発言のせいでモンスターが発生したら困ると思ったので方向転換しようと思っていました。
    しかし直後にあのような世界の悲劇を目撃し、やはり黙っていることのほうが有害だと考えを改めました。

    >今起きている全ての問題は、自分も含めた「全ての人」が「人を本当の意味で人として見て」解決する必要がある問題

    これこそ正論ですね。正論もどきとも言う。
    一見正し過ぎる美文なのですが、果たしてそのようなことを言って犯罪者の蛮行を認めてあげていいのでしょうか?
    このような主張をされる方は(おそらくメール主はどこかで聴いた話をコピーしているだけ)、何故か殺人・暴力を行うテロリストの犯罪行為だけを認めろと言う。テロリストだけを「人として見て」と言う。犯罪者は全員、無罪放免にしろと。
    では被害者は「人」ではないのでしょうか。どうしていつも被害者だけが泣き寝入りし、声を奪われなければならないのか?
    こちらのメール主さんも、実はそのような犯罪者だけを擁護する社会の被害者です。

    それから個人的に思うに、自ら「人間やめた」と宣言して蛮行にふけっている非・人間たちは実在します。
    そのような現実から目を逸らさせるための欺瞞が、正論もどきです。


    もう一点突っ込み(前記事から転載)。

    > 「「良い人」が体制を占めたらそれこそおしまい」で、人の行為を全て「正しさ」を前提としてしまうことの方が危ういと思います。

    「良い人が体制を占めたらおしまい」これはまさに、例の反社集団が掲げる善悪反転・世界破壊のための標語です。
    道徳心を持ち同情心に富む「良い人」が体制を占めてなぜ「おしまい」なのか理解に苦しむ。殺人フリーダムな自分たちが好き放題に蛮行を愉しめなくなるから「おしまい」と言っているのでしょうね。

    こんな思考停止の信者こそがイジメを拡散させ、子供の虐待を許し、あげく戦争の世界を造り出してきたのです。

    【関連記事】
    彼女が信じている正義正論を潰す“道徳破壊キャンペーン”がどこから来たのか? 
    思想の構造読み解きと、このプログラムが導く未来について説いた記事はこちら。

    池田清彦「道徳を言う奴はモラハラ」!? 道徳皆無のソシオパスのほうが危険ですよ

    『進撃の巨人』や『キングダム』などを信奉し、「儒教(道徳)を振りかざす奴こそ悪だ!!」などと唱えるようになった若い人はぜひお読みください。
    洗脳されきっている人は読んでも分からないかもしれませんが…脳の片隅にでも置いておいて。いつか惨劇の当事者となり、思い出す日が来るでしょう。

    【関連記事2】
    「過ちをつつき過ぎたから戦争が止まらなくなった」というのは嘘です。
    メール主が体験した悲劇も、子供への暴力という明白な犯罪を大人たちが黙殺したから起きました。今もその種の犯罪を容認する社会であるから増えている。昔のように「人としてやっちゃいけねーことがあんだろがよ!!」などと道義心からモノ言う大人が多ければもっと減っているはずです。
    前回の世界大戦のときも人々は真実に気付いていながら叫ぶのが怖くて黙りこくっていたために、悲劇が止まらなくなったのです。
    サイレント・マジョリティーこそが悲劇を醸成する。

    悲劇はサイレント・マジョリティーが醸成するのだよ



    〔後半。ここから下は元記事のままです〕

    正論を言いがちなのは私の個性なので、直せないという話


    こう、冷静を装って答えていますが、上のメール文を読み、人格としての部分でダメージを受けなかったかと言うと嘘になります。

    正直に言えば上のメールを読んで、何年ぶりかの深々としたダメージを受けました。
    それと覚えたのは徒労感、ですかね。
    「ああまた、その批判か……。またそこからスタートか」
    という。

    実は、私はこの人生で※何度も投げつけられてきた台詞があります。
    「正論言いやがって。偽善野郎」
    「正義を振りかざすお前が一番の悪だ」
    「正義なんかこの世に無い、正義を信じているお前は馬鹿」
    等々というもの。

    ※小説『我傍』読者様や、ブログ読者様はもちろん。私の創作活動を知らないネット外の人たちからも同様

    私自身は本気で自分のことを正義の人間と思ったことは一度も無いし、正論を振りかざしているつもりは欠片もないのですが。
    いつも書いているけど、私は(現代でメディアが使う)「正義」という言葉が嫌いなんですよ。意外ですか?

     過去記事参照:
     ・「正義」を疑え

    それでもどうしても他人は私を
    「正義の側に立ちたがる偽善野郎」
    と決めつけてくる。
    違う! といくら抗っても
    「お前はどこかの教科書で学んだ正論を唱え、従っているだけ。原理主義ロボット」
    だと決めつけられるということは、きっともう私の本性からしてそうなのでしょう。どうしようもないです。私は誰に学んだわけでもなく自分のまま考え発言しているだけなので。

    つまり正論という教科書に従っているように見える言動は、私の有りのままの個性ということ。
    何かの施設で矯正されたとしても、変えられない魂の本性です。

    もしそれが「有害だから治せ!」と言われるのだとすれば、もはやそちらのほうが私の人格に対する暴力。人格否定の攻撃と言えるでしょう。

    実際、現代社会で私のような人間は生きづらい。
    何故なら現代社会では道徳が完全否定され、正義っぽい匂いを持つもの全てを「悪徳」と考えるような教育が行われてきたからです。
    おそらく私と同じようなタイプは現代で成長する過程で個性を否定され、潰されているのではないでしょうか? 私が受けてきたものと同じ弾圧を受けて。

    【別館関連】「道徳教師のありように不満」…イミフな嫉妬への返答

    証拠。
    『進撃の巨人』でも『デスノート』でも現代の創作は全て「正義」へ疑問を投げかけ、最終的に「正義」など存在しないと明かすスタンスです。
    (これらは悪くない目的で描かれた良質な創作ですが、現代教育の影響を受けた代表作なので挙げておきました。もっとはっきりと洗脳の目的をもって、人間らしい行いの全てを否定し、殺人や虐待を正義だとして奨励する作品もあります。これを獣化教育のための教科書と呼びます)

    これは若い方々は気付かないでしょう。
    日本ではもう70年以上そのような教育が行われているため、ほとんど真理であるかのように日本人の心へ植え付けられてしまっています。

    私の子供の頃は今よりマシで虐めは受けませんでしたが叩かれました。
    「お行儀良過ぎ。道徳教師みたいで気持ち悪い。治せ」
    と嘲笑され責められることは日常。成績表にも“いい子”風な態度について批判的な言葉を書かれましたね。
    だから私は現代で生きていくために自分を殺さねばならない、と思いました。(他に、成績優位で目立つことが恐怖だったせいもあります。それはまた違う話)

    しかし、常に自分の考えではない・自分のものではない言葉を喋らねばならない人生は拷問でした。自分の個性=心を殺すことは本当に、肉体の死よりも恐ろしいことと思います。

    だから私はある時からそのような「精神の自殺」をやめて、思う通り生きることに決めたわけです。
    結果、再び
    「道徳教師!」
    「クソ偽善者!」
    との罵倒をさんざん浴びることになったのですが、それもやむなしと諦めています。

    諦めたので、最近は言葉の定義に気を遣うことがなくなりましたね。
    たとえば長年、注意して「正義」「悪」との言葉を使うことは避けてきたのですが、最近は毎回の定義が面倒で使ってしまう記事が増えました。

    たとえば
     『悪の存在も計画されている? 「必要悪」について私が考えること』
    など。
    これはメール文の相手が使った言葉へ対応させたため。また、引用しなかった箇所について「悪」としか表現できない行為について語っているので便宜上この言葉を用いているのですが。

    上記事を書きながら「きっと、言葉に反応して批判する人がいるだろうなあ…」と予想していました。
    「正義」「悪」という言葉に敏感な人は大勢いるから、陰口をたたかれていることだろうと思います。揚げ足取りにも使われそう。
    でも今は、他の言葉を使うとややこしくなり過ぎる場合、そのまま使うことにしています。
    現実社会の話をするときに、哲学あるいはスピリチュアルに焦点を合わせて厳密な定義をすると、ほとんど全ての言葉が封じられてしまうからです。「次元が違う」あるいは「チャンネルが違う」と考える必要があります。


    「道徳教師」を受け入れる。免疫キャラクターであり続けるということ


    もう少し過去語りをします。

    私が本当に諦めて、自分のキャラクターを受け入れようと思えるようになってきたのは最近のことです。
    そのためにはたくさんの地雷を踏み傷付いてこなければなりませんでした。

    ターニングポイントとなった地雷は、『時の地平線』という作品ですね。あれはクリティカル・ヒットどころか、トラウマ級の爆弾でした。

    これで何度目の紹介か分かりませんが、こちらの作品↓には、この方のご批判と全く同じ批判が描かれています。だから、今回のメールを読んで激しい既視感を覚えていました。
    tokiti1.png
    ※画像はアマゾンより
    このマンガについての紹介と感想はこちらの別館記事にて

    上記事の通り、この作品では何故か私に対して直球で刺さる台詞が多々あり。
    そう思うのは私の勘違いなのかもしれませんが、現代だから意外と何があるか分かりませんね。
    こちら参照:「時の地平線」について、2021年版“ここだけの話”

    この遠隔による苦言メールのような作品が私の人生を決定的に変えました。
    それは子供の頃のような、“自分を殺して嘘のキャラクターで生きる”という地獄へ逆戻りするのではなく。むしろ、「本質個性を変えることは無理なのだからそのまま生きるしかない」という悟り(ある種の諦め)を与えてくれた意味で。

    決して、欠点そのままで良いと開き直っているわけではないです。
    正義の暴走を肯定するわけでもない。
    ただあの作品を読んだことで、「精神の自殺をするくらいなら自分を有りのまま受け入れて生きていこう。どうせ変えられないのだから」、と腹をくくることができたということです。

    どうやら私は欠点込みの自分の個性を受け入れ、他者へ与えるイメージ「道徳教師」「偽善者」の看板を背負っていくのが役割のようです。
    これは私のお役目だし、今の私の人生テーマなのでしょう。
    そしてこれこそが私にとっての、正確な意味のカルマ解消の道だというのが真相です。

    そんな私個人のテーマ、人生計画を否定することは誰にもできないと言えます。
    私の戦いはきっと多くの方に不快を与えているでしょうが、私が虐殺王とならない限り、批判されても引き留められてもやめるわけにはいきません。
    これは人を人として見ずに奴隷化する目的ではなく、ただ城壁となるためです。
    (人を人として見ていないのはあの“地獄虫”たちのほう)

    実は私の本性を言えば、常に防衛に立つ側の者であり、攻撃側になったことがありません。だから自分はモンスターにはならないだろう、と言えます。過去の全てを注意深く見れば私が先に他者を攻撃したことは一度もなく、常に防衛側にいるということが分かってもらえるでしょう。
    むろん、防衛すら許せないという極端な戦争嫌いにとって私は、あくまでも誹謗中傷の相手となるのでしょうが。


    地上の真理と私が思う話


    少し図々しいかもしれませんが自負していることを言えば。
    実は今、私のような古代から直接に来た化石のような人間は、現代に必要なのではないか?と感じています。

    メール主の主張※で少し違うかなと思うのは
    (今の残酷な世の中や災禍について)これは多くの魂が望んだ結果だ
    という箇所。
    ※2022/4/6 ここはメール主のマンガ作品から引用。とっくに削除されたらしい

    確かに時代の運命は、その時代に生きている人間の魂のカルマ総合で導き出される計画書です。
    しかし、それは「望み」という表現とはまた違います。
    と言うのも、「全ての魂が残酷な現実を望んでいるから現代のような残酷な世の中が到来した」ということはあり得ないからです。

    残酷な世界の実現を望んでいる者たちは確かにいます。それが目を逸らしてはならない現実。しかし残虐世界を悦ぶのは、約50%の魂でしょうか。
    あとの50%は、人類の免疫として盾となり城壁となり、残虐な世界の実現を阻止しようとしています。私は非力ながら、おそらくこちら側に属します。
    (これは善悪や正義論とは次元の違う話です。私が自分を「正義」に置いて、誰かを攻撃したい欲望を満たそうとしているのだと勘違いしないでください。単にA/Bどちらの陣営に属しているのか、程度の話)

    現代、最もスタンダードな
    「暴力に抵抗してはならない。抵抗の戦い自体が、さらなる戦争や悲惨な禍を生むのだ。どんな悪事でも許して受け入れろ、人を裁いてはならない、虐待も殺されることも受け入れろ」
    という論。
    これは一方から見れば真実でしょうが、我々の側から見れば誤りです。
    もし人道を守りたいなら地上で絶対に唱えてはならない主張です。

    もちろん被害者の方が、自分を今以上傷付けないために相手を憎むことをやめるのは良いと思います。憎み続けることは辛いことであり、自分を傷付けてしまいますから。
    でも周りの者が被害者に虐待を受け入れさせ、加害者の行為を認め奨励するような発言をするのは絶対に違います。やってはならないことです。

    たとえば、→このような異常判決をする裁判官を許容していては駄目。人間社会が、こんな蛮行を許す論理に納得してはいけないのです。
    この記事で引用している5ちゃんねる民の意見のほうが、真っ当な人間らしい意見と思いますよ。
    今や正論を言うのはすっかり少数派となってしまいましたが、このような「正論」が無くなったらいよいよ本当に人類は終わりです。

    歴史の話をすると、「暴力を受容せよ。抵抗すると禍が起きる」とする思想は2000年前にある宗教によって布教されました。
    今はスピリチュアルジャンルで「引き寄せ法則」を唱える人々によって強固に主張されていますが、現代教育や創作でも、ほとんど全てのものにこの教育は浸透しています。
    私が思うに、これは50%の地獄実現を願う者たちによる詐欺教育でしょう。
    何故なら、古代人類に元々そういう考えは無かったのですから。そして無かった頃の人類はもっと健全でした。
    罪と罰がシンプルで人間的であった時代では、幼児虐待などの残虐な行いは人類免疫として防ぐことができていました。(完全ではないとしても全ての者に伝播はしていかなかった。まして表立って許し、奨励する論など語られることは無かった)

    付け加えれば、本当の正論とは、人類の免疫機能として自然に湧いてきたものだけを指すと私は思います。

    現実には正論を装った暴力もあります。
    本音から出た正論と、嫉妬心や憂さ晴らし・利己主義の都合から出たバッシングは違います。必ず区別する必要があるかと思います。
    たとえば、この方のメールなどは「バッシング」にはなりません。
    しかしSNSなどで住所を晒したり人格攻撃するのは、誰かを叩きたい欲望を止められなくなったモンスターの暴力です。
    曇りのない目でこの二種を区別できなければ、ただ苦言を呈しているだけの免疫機能を過剰攻撃することになったり、反対にヒトラーや曹操のような詐欺師を間違って崇拝することになってしまいます。

    これはややこしい話なのでまたいずれ、別記事で書きましょう。
    とにかくシンプルな正論を叫ぶ者も必要ということは真理。消えたら終わりの人類の免疫なのだと理解してください。
    それでも「正義の匂いがする者の存在が不快だ、どうにかして正義を潰したい」と思う人がいるなら、それはもうその人が“石を投げる側”なのだと言えます。

    最後に繰り返し述べますと、私はこのような自分の個性を殺すことは二度とできません
    ですからもし今後も私の言葉が不快で耐えられないとしたら、それは生来の価値観が異なるということ。
    精神衛生を保つために私のブログ等々を見ないことをお奨めします。


    続き。もう少し具体的な話 >>私が人種・民族差別をするわけがない、絶対的理由(Twitterアカの件など補足)
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    2015年~カウント: