「ニセモノが、演じていくうちにホンモノになっていく物語」を眺めて思ったこと

吉野 圭

昼間見つけたtogetterを複雑な想いで眺めていました。
『ニセモノが、演じていくうちに「ホンモノ」になっていく物語』いろいろ

小悪党の詐欺師だったり、偶然間違えられたりとかいろいろありますが、それがいつの間にか責任感や人格、能力でも『ホンモノ』になっていくという、そんなお話について。

自分の場合は最も身近な物語がある


私は……創作ではちょっと思いつかなかったのですが、最も身近な素材として「自分自身の物語」がこれに当たる気がします。
99%の他人から見て自分は「ホンモノになろうとして必死で演技しているニセモノ」と見えているだろう、という意味で。

いえ、全く演技しきれていないのですが。
そもそも寄せて行く気が微塵もないという。笑
(私は不器用なため演技できない。何一つ物真似できないし)

私の場合は少々複雑な状況で、他人が思う「ホンモノ」のほうが現実人格ではなくフィクション・キャラクターです。
そのため仮に当時から直接タイムマシンで今ここに飛ばされ、当時と同じ肉体を持っていたとしても私は「ニセモノ」扱いされるでしょう。
“生まれ変わりなんて現実にあるわけがない!”という議論とは全く無関係に、たとえ現実の本人として証明されても私は世間で「ニセモノ」という扱いをされるのです。

この状況は実は、前世晩年も全く同じ。

当時は“神がかり”“魔法使い”との噂が集団ヒステリーのごとく大陸を席捲していました(記憶によれば)。今で言えば良くも悪くも“空前の炎上”状態。
そんな史上空前の炎上に個人が太刀打ちできるはずもなく。
現実とのギャップによって私は当時から「ニセモノ」でした。
もちろん当時は現実の地位が本人であることを証明してくれましたから、実際に「ニセモノ」扱いされたわけではありません。
しかし私と直接に会う人々にとって、現実の平凡な私は心情的に「ニセモノ」だったでしょう。さぞかし落胆させてしまったことと思います。

今はもっと落胆させてしまいますね。前世と違って地位も名誉もない一般人。それどころかおそらく、平均以下の質素な生活をしている。
ギャップはどれほどでしょうか? 
ファンの嫌悪感は、フィクションを知らない私の想像を超えます。

なかなか辛い状況。

でも、辛い状況だからこそなるべく自然体でいようと心がけています。これは前世晩年当時からです。
嘘をつかない。(自分の本心について)
演技をしない。
欠点さえも包み隠さずオープンにすることで、他人には軽蔑されるし嫌われてしまうでしょうが、嘘偽りのない自分を残していこうと思っています。

思い出せば、「裸で人々の前に立とう」ということが私の前世晩年からのポリシーでした。
今世の始めは訳の分からない恐怖で萎縮して自分をひた隠しにしてしまいましたが……。今はその頃に戻りたくない、精神の自殺をしたくないと思っています。このことは最近書いた通りです。→『「道徳」という免疫側に立ち続けることが私の役割でありテーマ』

――と、言うことは、私は上の定義とは少し違って
「他人が思うホンモノ(フィクションキャラ)へ近付いて行く」
のではなく、
「フィクションキャラを消し去り、私自身がホンモノとして現実の人格を取り戻す。それがたとえ他者の求める人格でなくても」
との活動をしているのかなと気付きました。

確かに私は長いことニセモノを消し去って自分を取り戻したいと願っていた気がします。
これはおそらく、“自分という存在を消される恐怖”に抗っていることになるのだと思います。
ここで存在とは「名」のことではありません。
名が消えることは問題ない。名も無き一個人として生きた現実があれば人間は(魂は)幸せです。
そうではなく恐ろしいのは、本当の自分のキャラクターと、フィクションのキャラクターとを入れ替えられて“現実存在”を消されることです。
そうならないように前世の私は丸裸で生きようとしたのだし、今も等身大の言葉を晒して消されることに抗っているわけです。


ニセモノが背伸びするから面白いのかも


しかし上のtogetterを眺めて気付いたのは、皆さん、
「ひょんなことで本物と勘違いされた人が、ニセモノだとばれないように必死で演技して取り繕う姿」
を面白がっているのかもしれないということでした。
そうしているうちに責任感が生まれ、本物が背負うはずだった重荷を引き受ける覚悟を決める。
何より、その捨て身の“覚悟”に感動するのだということ。

たとえばこちらのツイートに、皆が求める“ニセモノ奮闘記の面白さ”“感動”が表れていると感じました。
@nakatsu_s 『…「ニセ黄門」も含め【「ニセ〇〇が、本当にその〇〇が必要とされる状況に際して、逃げたり、俺は本当の〇〇じゃないんだ!と白状したりせず、その〇〇役を務めようとする」というのも、亜種ではないか?と。けど、これ定番だよなあ。O・ヘンリーとかが元祖かしら?』https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20170109/p2

>本当にその〇〇が必要とされる状況に際して、逃げたり、俺は本当の〇〇じゃないんだ!と白状したりせず、その〇〇役を務めようとする

この言葉が衝撃的な痛みをもって胸に刺さりました。

自分もいつかその覚悟ができる時が来るのか? 確信犯となる覚悟が?

去年も“負の遺産”をどのように背負うべきか考えていましたっけ。
ここで書いた通り、できれば死ぬまで騒ぎにならないで欲しいという願いが本音。

私は消極的な意味で(つまり受け身で仕方なく)、「本人だ」との自覚がある者です。
しかしだからこそフィクションまで背負いきれず、他人から見て「逃げた」と見える言い逃れをしてしまいそうな気がします。
逃げるわけではなくむしろ本人感覚があるために捏造された歴史や、フィクションの責任まで背負う気に全くなれないからです。

ただ上ツイートを見た時に、「自分はもう少し皆の思う“ホンモノ”に近付くため背伸びをすべきだったかもしれない」と思いました。

私がいっこうに炎上しないのは嘘をつき取り繕ったり、背伸びをして演技をしたりしないからではないでしょうか。
つまりネタとして退屈。
自然体の人間は地味で退屈なのだと思います。史実しか書いていない史書のように。
(しかしそんな退屈な史実のほうが好きと言う人もいて悩ましいところ…)
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