~について(基本的な考え方)

    「純粋」とはバカのことなのか?問題、再考 (『琅琊榜』12話までを観て)

    あれから『琅琊榜』は12話まで観ました。
    正直言って8話あたりまであまり展開が無いのでやめようかなと思ったのですが(笑)、ブログで紹介した手前、やめづらくて見続けていました。

    『三国志TK』はごめんなさい、3話でギブ)


    琅琊榜12話までの感想


    『琅琊榜』は11話・12話から急に面白くなってきます。
    次第に主人公の義に篤い性格が明らかとなってくるのが良い。また、過去に触れる話も多くなってきました。
    12話は衝撃的な感動の展開! 泣かされました。

    東洋美を極めた美しい情景と音楽も良い。亭での語らいは良かったな……。

    そう、この12話で使われている曲を私はずっとYouTubeで聴いていたのです。
    劉涛 『紅顏舊』。これ冒頭の二胡からいい。惹きつけられます。メロディラインも情緒がありながら古過ぎず、現代の曲として聴ける。完璧です。
    “あのずっと聴いていた曲がこれか!”と、再会するような感動。
    たいてい曲から先に好きになった場合、その曲が使われていたドラマを観ると失望することが多いのですが、これはドラマのほうが上回っていたという奇跡。素晴らしいです。

    ストーリーは、もしかしたら『モンテ・クリスト伯』をイメージしているのかなと思いました。
    でも、義があり、情があるので、『モンテ~』より共鳴できます。
    残酷な設定をリアリズムだけで描かないところは西洋との違いでしょうか。

    この芸術性の高さは監督や脚本家が東洋文化の本質を理解し、現代に再現してくれたからだろうと思います。
    儒教に関する理解も完璧と言えるでしょう。
    礼について、儒教大家たちが喧々諤々の議論を行うなど現代から見て首を傾げる設定も古代では当たり前。そういう、古代特有のおかしな慣習も含め再現してくれているのが面白い。

    歴史物としなかったのは大正解です。
    おそらく歴史に囚われないフィクションだからこそ本質が再現できたのでしょう。“策士”の抽出的な表現も含めて。

    建物の描写はとにかく最高です。
    私は、このドラマに退屈を感じていた時も建物の描写だけは楽しみに観ていました。
    梅長蘇が引っ越した先の家、彼がいつも過ごしている居間は特に居心地の良さそうな部屋で羨ましくなります。
    開け放せば風通しの良い広い板の間に、二畳ほどの畳を敷いてそこに座布団を敷いて座り、小机の上に並べた茶器でお茶を飲む。背後には積み上げた書物……。
    駄目だ、もう日本にしか見えない(笑)。鎌倉辺りでああいう邸宅を探して、あのような暮らしがしたい。
    どこか懐かしさを感じるのは、過去記憶のせいか今の習慣に近いせいなのか。脳が混乱します。

    しかしこの建物等々、あまりにも日本の要素が強いので古代中華で時代考証しているのか疑問になってきました。さすがに和紙の障子は違うのでは?と思います。ただまあ、確かに日本風に描いたほうが古代の建物や着物を正しく再現できるだろうとは思います。本質的な意味で。

    2015年制作。
    よく本土でこんな古代文化の再現が許されたな、とまた現代背景を思い出して感心してしまう。あの当時は逆に古代復古が奨励されていたのでしょうね。
    たった5年前なのに今はまた情勢が変わりつつあります。いずれこのドラマは貴重なものとなるでしょう。


    「純粋」が日本よりさらに良い意味で使われていた


    前置きが長くなりました。本題。

    少し前にバイリンガルの方から、大陸語で「純粋」は「単純バカ」的なあまり良くない意味、と教えていただきました。
    でも今回、このドラマの中で「純粋」が日本とほぼ同じ意味、それよりもっと良い「誠実」寄りの意味で使われていて驚きました。

    rouya10.png(C)琅琊榜

    台詞はこちら。
    長蘇:今必要なのは純粋な臣です
    純粋な臣が多ければ謀は減り
    殿下の信条も守れましょう

    靖王:だが彼らの位を上げるのは困難だ

    長蘇:皇太子と誉王がいれば当然かと
    しかし状況は変えられます
    才能のある彼らに足りぬのは機会だけ
    殿下と徒党を組むのを拒んでも
    必ずや恩は感じるはずです
    今は安心してお付き合いを
    将来彼らをどう使うかは私にお任せください
    以上は日本語訳。原語も「純粋」と言っているように聴こえるのですが……、私はヒアリングが苦手なので間違っていたらすみません。

    台詞の内容について、
    「純粋な臣が多ければ謀は減り」
    この点、私も全く同感で共鳴します。
    ここで使われる「純粋」とは心根が良い、誠実などのニュアンス。才能の意味まで含まれている。儒教・道徳に照らしても正しいでしょう。

    日本でも「純粋」はたいてい良い意味で使われます。ただし、才能や知能とは相反するものと思われていますね。純粋さが高まると頭が悪くなる……と、知能と反比例するかのように思われている。だから「純粋」は褒め言葉でありながら、「あいつは純粋過ぎてバカ。使えない」などと嘲笑・批判のために用いる人もいます。
    同様に現代の大陸でもこの言葉には様々なニュアンスがあるのだろうと思いました。むしろ日本よりも用途が幅広いのかな?

    もしかしたら古代も「純粋」という言葉は同じように使われていたでしょうか。
    だとすれば自分が前世でよく言われたと記憶している「純粋」というニュアンスの言葉は、漢語でそのまま同じ「純粋」だった可能性もあります。
    (これは思いつきの考えです。誤っていたら教えてください)


    「純粋さ」は最高の資質


    ちなみに私が他人へ「あなたは純粋だ」と言う時は最高の褒め言葉として使っています。
    そこに「バカ」は含みません。もちろん。
    むしろ純粋さが無ければ物事を見る目が曇り、正しい意見や行いを認めることもできなくなるので、賢さにも繋がる資質だと思います。

    現実にはいくら勉強してたくさんの知識を得ても「知性ある人」「賢い人」になっていない人が大勢いますね。
    偏差値・学歴至上の、日本的な評価基準は誤り。学歴や権力、金など表面に見える浅い基準だけで他人をラベリングする日本人の態度は、世界的に見ても恥ずかしいことです。

    私が思うに、最終的に「賢い人」となるには純粋な目(意識)がなければ無理だと思います。
    知識豊富なだけの人と教養ある人とは異なり、後者となるには心が澄んで誠実でなければ不可能です。

    これは漠然とした道徳の話ではなく、現実の仕事や学習でもそう。

    私が
    「この人は純粋だな」
    と感じる人は、実際に見ているポイントが的確です。
    仕事のスピードが遅かったり、業務的な知識が無い新人であっても、彼らは始めから正しい判断をするので最終的に仕事が早いということになる。
    たとえ知識や技能が無いためにミスをしても、上司の指摘を内容だけで受け取る。だから「アタシ攻撃されたッ! 上から目線のゴーマン・サイテー上司!」などと異次元の誤解をして怨んだりすることなく、きちんと指摘された部分だけ改善する。
    結果、こういう人だけが成長していきます。
    最後に優秀な人だという評価を得るのはこの種の人たちだと思います。

    だから私が
    「仕事の能力なんてどうでもいい。それより人格の優れた人たちと仕事をしたい」
    と言うのは、決して儒教・道徳の教科書に従っているからではなくて、最終的に彼らが正しく優秀な仕事をするからです。
    これも合理=道理ということになります。

    私利私欲で利権を貪り、出世競争に溺れ、他人を蹴落とすことしか考えていない人などもってのほか。使えません。
    いくら高学歴でも計算ができても、他者を害することしかできないそのような人は組織にとって癌でしかないでしょう。
    しかし日本人にはそういう有害人物を「優秀な賢い人」だと勘違いしている人がとても多いですね。そんな愚かな価値観の人々が多数を占めた国は、どんどん衰退し侵略されるまでもなく亡びることでしょう。

    (2022/6/20修正:コロナ政策について日本政府が後手後手で経済を殺し、枠沈の副反応で亡くなった方々も補償せず殺戮を続けているのは、政府が愚かだったからではなく謀略によるのだと確信できました。誤っていたことをお詫びし修正します)

    なので……
    まとめると、「純粋」な人たちに頑張っていただきたいと私は思っています。
    たとえば日本でも本当に純粋かつ誠実、優秀な人たちは大勢います。彼ら彼女らの優秀さは並大抵ではない。でも今、日本では末端の現場にしかそういう人はいません。
    私利私欲の塊でしかないトップ・オブ・馬鹿たちとこの人たちとを入れ替え、本当に純粋かつ優秀な人々がトップを占めたなら、この国は未来永劫栄えるはずです。

    もちろんC国もです。東アジア人、特に大陸の教養ある人々の優秀さは世界一と言えます。純粋さで日本人を遥かに凌駕するからです。今ようやく大陸で蘇った教養人たちは、どうか真の意味での自信を持って国を建て直して欲しい。※現体制は変えるべき


    「単純バカ」のニュアンスは自分限定


    このようなことを書きながら、かつて下の記事ではちょっと「純粋=バカ」のニュアンスで書いていたところがありますね。

    『ネイタルから読める「バカ正直さ」もとい、「純粋性」について』

    ……すみません。
    これは自分にも関わる部分があったので若干、自虐表現をしてしまいました。
    自虐と言うより実際に素直過ぎるところはあるため事実通り申告しているつもりだったのですが。

    諸葛亮のことだとなおさら「イメージを引き下げたい」という本能が発動して少々「単純バカ」を誇張してしまう。
    (ファンの方々には本当にいつも申し訳ない)
    決してアンチのように理屈の通らない誹謗中傷をしたい・全人格を徹底的に否定したいという目的ではありません。当たり前。
    ただ現実の人間レベルにまで落としたいという気持ちがあるためこうなってしまう。
    でもこのような貶めを書くとアンチを喜ばせるだけなので、そろそろやめなければならないなとは思っています。

    あと、自分についてとは言え純粋さを「バカ」であるかのように表現すると、他の純粋な方々を巻き添えにしてしまいます。
    良くないことだったと反省しています。


    ただ――改めてこれだけは言っておくと、私にしても、諸葛亮にしても「バカ正直」なことは事実と思います。笑
    ※諸葛亮については史書に裏付けされた歴史事実として述べています

    プライベートで上司等々が私を「純粋」と呼ぶのは、いじっているのですから「単純バカ」のニュアンスも含むはずです。
    仲良しの人から言われることだから、ちょっとバカにしてんだろうな… と思いながらも本音では嬉しいですよ。
    悪意しかないアンチの悪口とは全く違います。
    仲間として好意を抱いてくれている人の、“いじり” “からかい”には人間の愛を感じるものです。
    こういう“いじり”を受けることがなくなり、尊敬されるだけの身となったらものすごく孤独で辛い。
     
    それと、我々が(?という言い方も変か。私と諸葛亮が)、「謀略苦手」なのも事実です。残念ながら。

    私は仕事で要望があれば戦略コンサルティングも出来なくはないと思います。ただその場合は、防衛を主とするシステム構築をすることになるでしょう。
    他者を騙して陥れるための謀略はお断りします。当然です。コンプライアンスに違反することは信条に反するし、依頼者にとってもハイリスクなうえ概ねマイナスリターンです。
    実際そのように狭い範囲でしか効力を持たないわりにハイリスクな詐欺手法は、現実戦争においてさえ「戦略」の定義からはずれるのです。
    一時の奇策戦術を「戦略」だと思い込んでいるのは、現実戦略を知らないファンタジー妄信者の素人さんだけ。

    とにかくこれは私に限った話。
    他の純粋さんを巻き添えにしてバカにするつもりはありませんので、他の人の評価には使わないでくださいね。


    おまけ。占星術の話


    ところで『ネイタルから読める「バカ正直さ」~』で、グランドトラインが純粋性の徴であるかのように書いたことも少々誤解を招く表現でした。

    アスペクトが人格そのものを表すことはありません。
    ただグランドトライン持ちは恵まれるために実際ピュアな人格を持ちやすい、という結果はあると思います。
    あるいは過去生で恩恵をたくさん受けた結果として、ピュアな人格を持って生まれやすいのかもしれません。

    これもまた「卵が先か・鶏が先か」の議論となってしまいますが……。

    グランドトライン持ちの全員がピュアで、一切犯罪をしない天使かというとそんなことはないでしょう。
    運勢エネルギーが強いために、一度歪んだ考えを持ったグランドトライン持ちはそちらへ傾いたきり止められなくなってしまう、ということはあると思います。

    古来、不吉とされてきたグランドクロス持ちも同じ。
    現実を言えば大犯罪者にこのアスペクトは多いのですが、偉大な経営者や国家リーダーにも多い。
    何度も書いてきた通り善悪の判断というものだけはホロスコープでは不可能です。

    中村哲さんのホロスコープ観察でも分かる通り、やはり惑星・サインなど基本を読み込むほうが人格を深く理解できると思います。
    (それにしても善悪判定だけは無理なのですが)
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