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    易占いただきました。【雷水解】 “解放の時”

    お知らせ。
    今、一部の記事を削除または非公開としています。理由は検索システムの自動ペナルティ回避のため。(Cに不都合な話を書いたことでペナルティを受けたらしい)

    この件で悩んでいたり、脊髄反射での批判を受けて私が「疲れを覚えている」と書いたからなのか? または偶然なのか分かりませんが、読者様より易で占っていただいたそうでメールをいただきました。
    急で驚きましたが(笑)嬉しかったです。T様、ありがとうございます。

    他にも戦争のお話など色々返信したいことがありますがそれは後で別館で書くとして。
     >>書きました。『山本五十六が優秀でも、日本人全体は戦略苦手と言えるでしょう 』
    (後に別館から当ブログへ移動)

    こちらでは、私のプライベートに関わる占い結果だけ引用。

    Q.今の吉野さんに、易占から何かメッセージはある?

    結果:雷水解 爻辞なし
    raisuikai.jpg

    ご紹介いただいた易のサイトは大変詳しくて勉強になりました。
    ただ、ここで解釈文を引用するに少し長くて難解と思いましたので、オーソドックスな解釈をされているこちらより引用します。
    解、利西南、无攸往、其来復吉、有攸往夙吉、

    解(かい)は、西南(せいなん)に利(よ)ろし、往(ゆ)く攸(ところ)无(な)くば、其(そ)れ来(き)たり復(かえ)りて吉(きち)、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)れば夙(はや)くして吉(きち)、

    この卦は、来往生卦法によれば、もとは地水師から来ていたとする。
    地水師の内卦の外より一陽剛がやって来て、その上卦坤の体中に入り九四となったのである。
    坤は西南の方位であり、衆とし、師とは軍旅のことである。
    そもそも天下の険難を解くためには武力行使も必要である。
    今、九四成卦の主として、摂政の位に居る。
    これは西南坤の方に往きて衆を得た様子である。
    だから、西南に利ろし、という。
    そして、険難が解消して最早解くべきところがないのであれば、さらに何かをするのではなく、安静にしてその位を守るようにするのがよい。
    だから、往く攸无くば、其れ来たり復りて吉、という。
    往くというのは場所の移動ではなく、行動する、というニュアンスである。
    来たり復りて、というのは、往くという字に対するものであり、行動する前の、平時の状態に戻ることをいう。
    これも難解と言えば難解か?笑

    要するに、
    「雪解けの春のように、何かしらが“解ける”時期」
    という意味です。
    これは現世的に吉として捉えられる場合と、「今まで順調に行っていた結束が解けて失われる」といった凶として捉える場合がありますね。
    私は今まで氷のなかに閉じ籠もっていたような人生だったのですから、どちらかと言えば外に向かって解放される(現世的には吉)なのかな……という気がします。

    先日来書いているように、私が生まれ持った運勢としての“封印”が緩みつつあるのかもしれません。
    他、詳しくは下に書きます。

    T様のメールより
    人生で何か無理しているなと思ったら、易占に訊いてみるのも悪くないと思います。
    はい、お気遣いに感謝です。

    若い頃から私も人生で迷ったときは易で訊ねてみる習慣がありましたが、最近はやめていたのです。
    何故なら一時期「地水師」ばかり繰り返し出て、怖くなってしまったからです。

    上の検索結果で出る記事にも書いた通り「地水師」とは「軍師」の意。
    意図があからさま過ぎて……眩暈。寒気。
    背後あるいは頭上にいる何物かの存在を感じざるを得ず、恐ろしさも覚えました。他人は私をスピリチュアル分野の人間と見るでしょうが、こう見えてごく普通の環境で生きている一般日本人なので。

    それに同じ卦が出たのですから、もはや訊ねることも無意味だし無礼と思い易占をやめたのです。
    これ以上、訪ねてしまえば易担当のガイドが
    「何度も同じことを言わせるな」
    と怒ってしまう可能性もあります。
    実際、易経には何度も同じことを訊ねてはいけないという戒めがあります。

    だから自分ではもう占うことはありませんが、今回奇遇にも他者に占っていただいたことで妥当な神託を受けることができたと思います。感謝。

    上のサイトの解説で
    「この卦は、来往生卦法によれば、もとは地水師から来ていたとする。」
    とあり、なるほどと思いました。
    また地水師か…と正直うんざりしかけましたが、前回からの流れとして筋が通ります。

    内容的にも現実と合っています。
    “西南”とは中原から見た西南方向(蜀)ですね、象徴的な意味での。
    あるいは日本から見ての台湾などとも解釈できます。
    ※これは今の私の状況から考えて現実に置き換えた象意解釈です。一般的に西南は加藤大岳の言う通り、「治国平天下」「民の救済」と考えて良いと思います。

    今は行動した結果として衆を得たらしい――たぶん読者層が変わった。
    これにて、とりあえず数年前から急かされてきた「やるべきことはやった」らしいのでしばらく平時に戻ることとします。

    まだ初春の雰囲気。
    いずれ夏となり封印が解ける時が来るのか?
    怖いのですが、結末を待ちわびる気持ちもあり、複雑な気分です。
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