神秘・占星術

    〔ホロスコープ分析法〕実際の個性と、見た目とのギャップは諦めるのが肝要です

    今日はものすごく久しぶりに占星術サイトで新記事を書きました。
    と言ってもここでメモしてきた話のまとめではありますが。

    サインの古典解釈と、“見た目印象”の占い方について。
    アセンダントで容貌を占っても当たらないよ、というお話。

    『アセンダントは容貌を表さない! 古典で知る、ハウスの本当の意味』
    『【見た目・他人に与えがちな印象】ASCではなく第12ハウスで占う』

    まあ第12ハウスで占ってみたところで、外見というものは生活スタイルの反映なので必ずしも当たるとは限らないのですが、ASCそのもので観るより少しはマシでしょう。たぶん。

    昔から私は人の容貌、と言うよりそもそも肉体にあまり関心が無いので、ASCであれ何であれ「容貌を占う」ということの意味が分かりませんでした。
    つい、容貌が知りたければ鏡を見ればいいのでは? などと思ってしまう。
    ただ「他者から見た印象」という意味なら自分で分かりにくいし、占いが役に立つこともあるのではと思って上記事を書いてみました。

    ちなみにアセンダントの本質性格も本人は分かりづらく、他者のほうがよく見えていたりしますが、その場合の「他者」とは家族・親友など身近な人のこと。
    第12ハウスで言うところの「他者」は少し遠い他人。取引先の顧客やネット上の“一見さん”、“通りすがりさん”のような人々のことです。
    そんな縁遠い他人は、たとえば一つのツイートや、二~三の記事をさらっと眺めて全てを知った気になりステレオタイプのレッテルを貼り付けて来ます。そして無遠慮な石を投げて来る。(つい先日も私が経験したように
    今回の記事で書いたことは、そういうレッテルのお話。

    筆者について


    サンプルの一つとして自分についてここに書いておきます。

    水瓶座にASCがある私は、現実として“山羊座”の解釈で書いた通りに見られることが多いです。

    私の場合、ドラゴンヘッドも山羊座にありますのでその印象を強めているのだと思われます。
    つまり、

    〔良い意味〕
     ・正統派
     ・清楚、清廉
     ・クラシカル(伝統主義的)
     ・上品
     ・優等生タイプ
     ・規律正しい
     ・信頼度高い
     ・泥中の蓮、掃きだめの鶴

    〔悪い意味〕
     ・真面目過ぎる
     ・地味、お堅い
     ・完璧主義
     ・潔癖症
     ・狭量
     ・厳格
     ・道徳教師のよう
     ・正論ウザすぎ
     ・クソ偽善者

    等々と言われます。
    まるでマンガのような驚くべき台詞もありますが、全て筆者が現人生で実際に言われたことです。

    容貌としても確かに痩せ型で華奢だからクラシカルで潔癖な人と思われがち。
    そのせいでしょうか、初対面の人が壊れ物のように丁重に扱ってくれたり、敬遠して距離を置いていることが多いような気がします。申し訳ない。

    しかし、現実の私の個性は上記の通りではないことを身近な人々は知っています。
    ここのブログに長く通われている方も、筆者が適当で細かいことを気にしない人間であることをご存知でしょう。

    〔追記〕ただし「道徳教師」「正論ウザすぎ」「クソ偽善者」は本性本質であって、山羊座の見た目とは言えないかもしれませんね。私は常にその場で思った通りのことを言う人間です。この率直性と、偽善者にも見える人道主義が水瓶座。偽善ではなくて単に本音を言っているだけです。結果、完璧に守り切れないから偽善になってしまうことはあるかもしれない。

    完璧主義・潔癖症に関しては
    「どこが完璧主義者だ!! ざけんな」
    と突っ込みたくなる人は多いはずです。
    (とにかくこのブログも雑然としていて整理がつきません。その前にまず、誤変換・誤記をどうにかしろって感じですね。…本当にすみません)

    見た目がこうでも本性はクセが強めの水瓶座です。
    故に、「変人」ギャップがあるらしい。私自身はさほど奇抜なことはしない平凡人のつもりですが、心を許して長く付き合った人からは何故か全員から「こんな変な人だと思わなかった」と言われます。笑
    あるいは「無理して奇抜なことをしてる!」と濡れ衣を着せられたり。そんなこと無い。むしろ自分を抑えている時に限ってこういうことを言われる。

    良くも悪くも相手にはギャップで衝撃を与えてしまうのでしょう。ギャップにはまる人は揺るぎなく好きになってくれるし、その逆もあり。日本人には引かれて去られることのほうが多いでしょうか。

    本性は自由主義でもあります。参考→初の定義。私はリバタリアン(中道自由主義)だそうです
    私が厳格になるのは、とにかく「人道」「天道」に反することだけなのです。
    それ以外は自由でけっこう。人権が守られたうえでの自由を歓迎する。

    命を守る・暴力をふるわない・人を陥れる嘘をつかない… 等々。
    そんな人間としての基本(十戒程度)さえ守ってくれたならオーケー。
    下品もけっこう、下ネタも平気。そんなことで眉をひそめたりしない。
    殺人鬼やDV好きの変態以外、全ての個性を歓迎しています。

    大雑把な人もヤンチャな人も、心根が良くて人道を守るなら私は大好きです。
    私自身は彼らの乗りの良さについていけないけど、子供のように無邪気にガツガツ寄って来られたり、引っ張り出されるほうが有難い。嬉しい。

    でも身近ではない他人には私の「自由」の範囲が分からないから、見た目で私のことを「ルールに厳格な学級委員タイプ」と決めつけ、表面ルールだけ守って裏で舌を出している。
    ところが私は表面ルールだけ守って人道を平気で踏みにじる人(たとえば大嘘つきなど)が一番嫌い。だから表面だけ取り繕いつつ、裏で嘘をついたり悪口を愉しんだりしている卑しい人々に怒りを覚える。すると相手には私の地雷のポイントが予想外だったので「エキセントリックな人」と見られ絶縁されてしまう……。
    この繰り返し、エンドレス。

    見た目の印象と本質個性のギャップがあり過ぎるのでしょうか?
    とにかく噛み合わないので人間関係、うまくいきません。

    占い館では見た目ギャップについて偉そうに「こうしたほうがいい」などと書いていますが、実は私自身は失敗ばかりしています。
    失敗を積み重ねたからこそ反面教師として若い人に教えたいのですね。
    早いうちに「縁遠い他者は表面のレッテルしか見ない」のだということに気付いて欲しい。
    そして早めにそのような他者の印象を変えることは不可能だ、と諦めること。

    そんな遠い他者へ与えるイメージを逆に活用してしまうのも良いでしょう。ビジネスでは。
    でも、大事なのは本当の自分を分かってくれて、ありのまま受け入れてくれる人々のほう。
    そんな人々のことだけ信じて、ありのまま生きるようにすればいい。そうすれば自殺しなくても済むのではないでしょうか。
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