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バック・トゥ・ザ・ライフ。封印された今の人生もけっこう幸福だったよ、という話

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〔常体で書く日記〕

昨夜、地上波で『バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)』が放送された。
観るつもりはなかったのだが何気なく眺めていたらやはり面白くて、画面へ釘付けとなってしまった。

ヒューイ・ルイスの“ご機嫌なナンバー”(笑)を聴くと子供の頃へ連れ戻されるよう。楽しかった気分が蘇る。

こんな台詞を言う年寄りにはなりたくなかったのに、どうしても思ってしまう。
1980年代は、世界が明るくて本当に良い時代だった」と。(あくまでも日本や欧米の一般人にとっては)



完璧な映画、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』


子供の頃、この映画を観て衝撃を受け、生意気にも「人生で一番面白かった映画」と思ったのだった(短い人生のくせに)。
長い時を経た今、改めて思う。あれほど完璧で面白いと思えるエンタメ映画はその後も無かったな。

細部まで伏線を張り巡らせ、一切の無駄がない。
SFでありながらシンプル、王道。愛と友情と冒険に満ちたサクセス・ストーリー。
火薬の量や映像技術は物語の付属であるべき。
愛と友情を描いた王道ストーリーなくして、何がエンターテイメントだ。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の完璧さを超えるSFエンタメ作品があるとしたら『ドラえもん』の長編シリーズ(藤子F原作の)くらいかな。※個人的見解です

しかしこの映画は何度も観たつもりでいたのに大人になってから観たことはなかったらしい。今になって色々と気付くことが多い。

大人の目から見て、役者の演技――身のこなしから表情まで一挙手一投足の全てが完璧で驚く。
マーティといいドクといい、まるで彼らが予め決まっていた運命を再現しているだけのように見える役を演じている。
…あ、いや、台本があるフィクションなのだから「予め決まっていた運命を再現」は実際その通りなのだけど、現実には完璧にできていないと思われる映画が多いはず。
『バック・トゥ~』には彼らがこの演技に至るまで何百回、練習したのだろうと思わせるような完璧さがある。

特にマイケルJフォックスのかっこ良さは表現しきれない! 
憧れたなあ。あのスケボー乗りこなし、車ボンネットのスライディング、コミカルなギターパフォーマンス。真似してみたかったが運動神経のない自分にはとうてい無理だった。笑 
(私はキャラが全然違う。どちらかと言えば自分は、ああいうスポーティな人に好かれる「正反対の親友キャラ」側だった。当時はまさか自分が彼らに好かれるとは想像もしていなかったが)

スケボーアクション引用:


それと今回初めて気付いたが「テロリストからプルトニウムを騙し取る」など、けっこう過激な設定もあったんだな。そのテロリストが中東の人っぽかったりして。当時ならではだ。
色々あって狭量な社会となってしまった今のアメリカでは、このような設定のある映画は上映不可となるだろう。
今の日本でもよく放送できたなと思った。長年、テレビ放映を見かけなかったのはこういう設定のせいだったのかもしれない。

アメリカも日本も現代社会は本質からずれた外枠のことで狭量となってしまったと思う。
なるほど文化が廃れるはずだ。

最近のアメリカ映画はつまらない。何よりもストーリーが退屈だ。
いっぽう日本のほうは相変わらず、フィクション作品は世界一に面白いのだがその才能が現実に反映されていないところが残念。庶民が政府に抑えられていて本領を発揮できていない。
……などというウザがられる政治話はまた他で書くとして、とにかく、この時代のアメリカ文化は映画も音楽も最高だった。

一点だけ残念なこと。
今回の吹き替え、昔の山寺さんは少年らしい声で良かったのだが、ドクが「バーック トゥ ザ、フューチャー!」と指さしで決める場面が日本語だったことには落胆。「未来へ君を帰す!」の台詞は無いなあ。
確かにそのほうが意味が分かりやすい。しかし、あれはヒーローが変身ポーズをする時に使うのと同じくらい大事な決め台詞なのだから英語でも良かったはず。小学生のために、そこだけ日本語訳の字幕を入れるとか。
過去の三ツ矢版 吹き替えではどうしていたのだろう? 英語で言った?
それとも私が決め台詞を英語で何度も聞いた覚えがあるのは、この映画が好きだから自分で字幕版を借りて観たのだったかな。


「封印」されても不幸ではなかった。人生の楽しみ


ここからごくプライベートな話。これはたぶん他の記事でも書いたと思うが。

前記事等々で、私は自分の人生を「封印されている」と自虐している。
実際、ガラスの天井どころか存在すら消されているのでは?(戸籍に載っていないのでは?)と疑ってしまうほど、社会から徹底的に排除されてきた人生だった。
※これはあくまでも喩え。実際は戸籍に載っているわけだから健康保険へ入ることができるし義務教育も受けられた。本当に戸籍に載っていない人の悲惨さは私の比ではない

能力が他人よりあっても、それを証明する努力をしても報われない。上へ行けないどころか前へ一歩も進めなかった。
少し進めるかなと希望を感じ始めると、運命に阻止されて引き戻されるし。
だから「漕いでも漕いでも進まない船」と自分の人生を形容している。
そんな自虐も行き過ぎると読者様を心配させてしまうので、“守護”と表現しているのだと前記事で書いた。

貧困差別のせいもあるし、「出そうな釘はとりあえず徹底的に叩き潰しておく」という日本社会のせいも多分にあるのだが、私の場合は不可解な偶然で未来への道を絶たれることもあったので“運命”の作用が強いらしい。
そもそも、自分のような者を叩き潰す習慣を持つ日本社会へ生まれたことも運命の一つ。

前世でまっしぐらに進み過ぎた、ストレートに頂点へ行ってしまったために、反転として今があると考えるのが妥当。(私の運命は単純なイレギュラーであること、再確認)
それと、“守護”と考えるのは、わりと真実だと今では思う。
全ては私を守るため。この静かな場所で護られてきたのだと、今は強く感じる。

振り返れば悪くない人生だった。
体は健康で(時々頭が痛かったり具合が悪いことはあるが大病ではない)、底辺ながら生きるに充分なほど食べて行くことができ、手放しの愛を与えられていて、ささやかながらブログ等を応援してくださっている方々もいる。
しかも平和な日本の道を、何の心配もなく散歩することができる。今回のコロナ禍で初めて外を慎重に歩くという経験をしたくらいだ。

最近、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』など子供時代に好きだった作品に触れ、あれほど明るく精神的に豊かな時代は無かったと感動することが多い。
幸福な時代に生かしてもらったのだと知って、感謝の想いが湧く。

きっとこれ以上に恵まれた人生は考えられない。
私の記憶にある限りの全転生でも、こんな穏やかで心配の要らない人生は一度も無かった。

ちょっと過保護過ぎたから退屈ではあったのだが……。笑
そう愚痴るのも我がままだったなと思う。


今世、子供時代の心を忘れずにいたい


来訪間もない方へ改めて言っておくが、私の子供時代に『三国志』とか東洋の歴史物に触れる機会は一切無かったので。
華流ファン(笑)となりつつある今も、このジャンルに関わっていることが自分で意外だ。

子供の頃の私の世界は、欧州風ファンタジー・ハリウッドのSF映画・日本アニメ・日本小説 等々のみ。
どちらかと言えば欧米寄りな現代の明るい雰囲気で満たされていた。
中華の知識は、かろうじて香港映画から得られる程度。それもすごく好きだったわけではないので詳しくなかった。

つまり精神のルーツ、受け取っていた文化は現代一般の日本人に同じ。(ただの中年)
概ね、マツコや有吉などと似た感じの世界観で育ったと思っていただければ正確。
ちなみにジブリでは『ナウシカ』『ラピュタ』が好き。それと『紅の豚』。『千と千尋』も好きだが初期のほうが物語がシンプルで良かったな… と、こう語ることで世代が分かるだろう。

まあ私は変わり者だから、マツ有が絶対に手を出さないような思想本などを読むことはあったが、少なくとも東洋的なフィクションに触れたことが無かったのは本当。
あのまま普通に生きていれば今も『三国志』と『里見八犬伝』の区別すらついていなかっただろう。

そんな一般日本人としての世界観が、17歳(前世を思い出した時)以降、きっぱり分かたれた。
「アイデンティティが分かれている」と言うとまた憑依されたと誤解する人がいると思うので修正。ここではあくまでも文化・世界観について語っている。性格はずっと変わらないし、記憶のなかの自分は今と連続しているのでアイデンティティは変わらないことになる

前世と今世で世界観を二分されている感覚で、二つの世界を思い出すには意識の切り替えが必要。
それがけっこう無意識に自分の心へ負担をかけている気がする。
特に、前世の記憶は重いので。

まさにこれこそ“ヘビー”と言うのだよ、ドク。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に触れて今世の子供時代を思い出したら、しばらくこのブログに復帰したくないと思ってしまった。1980年代に浸っていたい、1800年前に帰りたくないなあ、などと。……ゴメンナサイ。

まあ、自分の性分と運命から、過去を棄てるのは不可能なので。
また中華や1800年前の情報に触れたらすぐにそちら側へ気持ちが切り替わり、書き続けることになるのだろう。

それで疲れたらまた今世、子供時代の文化に触れようと思う。
バーック トゥ ザ ライフ! 
愛すべき平和な思い出へ。

この思い出を来世以降、永久に携えていけるのだと思うと素敵だな。本当に思い出こそが財産だ。


余談


なお、この時期にこの映画が放送されたのはトランプ氏をモデルにしたと言われているビフの悪役ぶりを視聴者の脳に植え付けるため。つまり2020年アメリカ大統領選挙でのトランプ候補イメージ貶めのためだった。
左翼メディアのプロパガンダはえげつなくて露骨、気持ち悪いなとつくづく。(日本でトランプ氏貶めをしても意味が無いと思うのだが。左翼の敵であるトランプ政権を徹底的に叩きたいという意識から必死さが出てしまうのだろうな)

しかしそんなことは分かっていながら、懐かしい映画を堪能させてもらった。この作品の素晴らしさは現代と関係ない。



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