我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。自作品『我傍に立つ』裏話と世間雑記、占星術メモ
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初めて「自分スゲー」と思った話(ただし過去形)。皆が思う頭の良さ、って何なの?

前記事の1980年代から意識を切り替え、1800年前へ戻る。

とは言えいきなりだと疲れるから、もう少し現代視点に留まりふざけた話をする。どうか不謹慎だと怒らないでください。

(もう面倒だから検索システムのことなど考えず名前そのままで書く)


三国志フィクションの感想を聴いて色々思った


別館で書いている通り最近、上司がGyaoで配信している『三国志TK』にはまり毎日のように感想を言ってくるので、面白いけど内心動揺することが多い。

この間は、ちょうど赤壁のフィクション全開のあたりを観ていたようで、少し興奮気味に
「孔明って奴は凄いな!! 一回聞いただけで長文を暗記してスラスラ言うんだ。あれって本当なのか?」
と言ってきた。

なんだその阿呆設定…… と内心笑っていたのだが、初心者さんに無粋なことは言えず。
「本当のわけないでしょう。頼むから、“あれって本当”とか聞かないでくださいな。三国志フィクションで史実のことはあまり無いから。特に、赤壁あたりの孔明の設定は」
と答えておいたのだけど、相変わらず翌日からも「あれって本当!?」攻撃がやまなかった。笑

さすがに風を呼ぶことを史実と思うことは無かったようで安心した。そこまでだと認知症を疑う。
ただ、「周瑜が嫉妬深くて孔明を殺そうとした」などの微妙な設定は本気にしてしまったようだ。
私はその話を史実ではないと説明したものの、「周瑜はムカつく野郎」という彼の心に刻まれた印象は変えることができなかった。
周瑜さん、優秀な武将だったというのに本当に気の毒だ。

ファンタジー設定以外は、史書を読まない限り何が史実か区別することが難しいのだろう。
記憶に新しい『テラハ』のようなことが古代から行われている。(ただし、曹操に関しては史実のほうがむしろ極悪だから皆さんご注意を)

…これ以上のマニアックな話はここで書くと迷惑だからまた別館にて。

【今のところの関連記事】 史実の孔明についてマニアの意見。 孔明ファンそして孔明本人を勇気づける、かもしれないネット書き込み

以下本題。


記憶力の高さを「頭の良さ」と定義する価値観、浅過ぎるでしょう


上司のエピソードで考えたのは、「皆が思う頭の良さって何なんだろうか?」ということだった。

『三国志TK』で諸葛孔明が賢いということを表現するのに、長文を一瞬見ただけで覚え、滔々と語るなどという設定を用意する。

え、ただ長文を記憶するだけで賢い?
それって表現としても、価値観としても浅くないか!? …と思って脱力してしまった。

日本の漫画家や小説家などは、こんな設定は恥ずかしいから避けるだろう。
たとえばノースコリア工作員の、フォトリーディング(写真のように文書を記憶する)技能習得者として描くならまだしも。
あるいは、サヴァン症候群など障碍を持つ方の特殊な才能として表現するなら現実的で、避けられない設定でもある。たとえば『レインマン』、『ATARU』等。

逆に言えば、特殊訓練・もしくはサヴァンという前提が無い限りは非現実的となってストーリーに齟齬が生じるので、現代のフィクションでは禁忌と思う。

大昔の『演義』(14世紀頃、明の時代)にそういう設定があるのだろうから仕方ない……と思ってみたのだが、問題はあれが2010年の現代創作として放送されたことだ。
例の国の「賢さ」という基準、大丈夫か? と心配になった。

さらに私の上司のように単純に「スゴイ!」と思ってしまう日本人がいることも心配になる。
彼は本気で記憶力が良いだけの人を「賢い」と呼んで崇めるようなタイプではないのだが(単純に特殊技能としてスゲーと思っただけ)、一般日本人でただ記憶力だけを崇める人が多いだろうと想像した。

中華で言えば科挙の弊害、日本もかつての詰め込み教育・受験戦争の弊害から抜け切れていないと思った。


自分の場合


一応ここは私のプライベートブログなので自分語りをしておく。

きっと孔明自身もそうだったろうが、幼い頃に「頭イイ」とチヤホヤされた私・吉野も、上のフィクション孔明のようなフォトリーディングはできない。笑
だって、ノースコリアで特殊訓練を受けたことはないのでね。
フラッシュ暗算もできない。その種の塾に通ったことは無いし。

それでも「賢い子」とチヤホヤされたのが何故なのか、はっきりした理由は分からない。
(今となっては幼い頃さえまるで前世のよう)

ただ、他記事の繰り返しになるが、アイディアがあることはよく褒められたな。「君には何でも工夫がある」と言われた。特許を目指すほどの発明はしないが、笑。実用新案くらいは日常。
それと、「理解力が高い」とは頻繁に言われた。確かにポイントを掴むことが得意だった。
文書などを正確に記憶する必要は無いと思っていたので、長文の暗記などをやろうと思ったことは無い。と言うか、そもそも私は暗記じたいに興味が無い

いつも書いている通り
「暗記などノートかPCに任せておけば充分だろ。必要なら後で調べればよろし」
そう考えるタイプなので、細部の単語記憶が荒い――適当なことは自分で欠点と思う。
だから、受験戦争を経た人たちからは「山川も読んでいないのか」と責められるほど記憶の穴が多いはず。

それでも記憶力が低いかと言うとたぶんそうでもなく、勉強は授業で一回聞けば充分、懸命に学習した覚えが無くてもテストになれば回答が浮かんで来た。
だから、よほど重要な試験(受験など)でない限り、家で予習・復習したことはない。中学以降は家に教科書を持って帰らなかった。

こういうことを書くと子供たちが「それでいいんだ」と思ってしまって勉強をおろそかにする可能性がある。親御さんたちからクレームが来そうなのでここでも改めて注意しておくと、態度だけ真似しても駄目だからね。
家へ教科書を持って帰らない、復習しないなどの態度だけ真似していると本当にただ勉強できないだけの人になるから注意。笑

ポイントを掴むこと。
骨格を理解して重要度を判断することが、まず大事。

諸葛亮の記録で
「テキストを一回読んだ限りで後で読み返すこともしなかった」
とはアンチが誹謗中傷しているように、「孔明は勉強嫌いで勉強しなかったんだ」という意味ではないし、一回読んでテキストを全て覚えたわけでもない。
そう言う人はよほど勉強ができないのだろうなと想像する。

「テキストざっと一読」の勉強法で充分という感覚は確かに、同じタイプでなければ分からないことかもしれない。
上の記録を根拠に
“諸葛亮は細部をおろそかにする”
とする批判は当たらずも遠からずなのだが、おそらく誹謗中傷している人々が諸葛亮と勉強で勝負したら圧倒で負けると思う。
(何故なら彼らの話ぶり・文章から能力がとても低いことが分かる。そもそも、あの記録文を読んで「孔明って勉強が苦手だったんだあー」などと思うのは自分の無能さを晒しているようなもの)


意外に自分はスゴイのかも、と知った件(過去形)


私も諸葛亮も、たぶん『ギフテッド』の定義に当てはまるほうのタイプなのだろうな、とは最近気付いた話。

・記憶よりも推測、分析、アイディアに興味を持つ
・学校で優等生というよりは突飛で孤独を好む
・授業は真面目に聞かない、退屈してしまう

というあたりが完全に当てはまる。
あとは、「自分の能力を隠しがち」との定義が胸に突き刺さるな。もし同じギフテッドの人が読んでいたら必ず涙が浮かんでしまう箇所だろう。

だいたい私がこういう話を始めたのも人生を半分以上過ぎて、今からなら逃げ切れると思ったため。日本では、前世などの電波な話よりも「自分は勉強ができた」というカミングアウトのほうが社会生活に支障が出る。
ここ数年の私はようやく、人生残り少ないから何でも書こうキャンペーン開始という感じだ。


もう一つ、恥ずかしながら最近ようやく知ったこと――かつての自分の偏差値。

私は子供時代、偏差値というものに全く興味が無かったため、自分の偏差値を知らないまま生きてきた。
こう言うとよく驚かれるのだが、そもそも自分の望み通りの学校を受験できる可能性がゼロだったのだから、知る必要のない情報だった。

ただ高校受験の頃に教師から
「あなたの偏差値だと学区内の全ての高校に、余裕で入れます」
と言われたことだけ覚えて
いる。
(でも金が無かったので、交通費がかからない範囲の学校ということで自動的に決まった。選択肢は初めから無かった)

最近になって検索し調べてみたところ、当時の自分の学区内(公立学校)で最も難関だった学校の偏差値は70。
「余裕」と言われたということは、70を少し超えていたのか…? 60くらいだと勘違いしていた。
ふむ。
周りからは当時さんざん言われたが、確かに大人目線だともったいなかったのだな。

実は当時、ほとんど勉強していなかった。
それどころか目立つことの恐怖がピークとなっていた時期。だから中学の三年間は特に成績コントロールに必死だった。
テストでも適宜(わざと)回答を間違えていたし、授業もほとんど内職をして聞かないよう心掛けていた。
最重要なテストの時だけ少し勉強したのだが、あとは今振り返っても教育内容の記憶が無いくらい学業を放棄していた。
それで偏差値70が取れたのは、なかなかだったのでは? 自分で言うのも痛いが初めて「スゴイのかも」と思った。

もし本気になっていたら、そして学校へ行く金があったなら、行きたい世界へ行けたのだろう……社会のお役にも立てていたのだろう。
今さらながら悔いている。

もちろん全て過去形
こんなことは、過去にスポーツ万能だった人が「オリンピック選手になれたかも」と思うのと同じようなもの。結果が無いのだから何の意味もない。
こんな今の自分でも認めてくれる人たちには感謝している。


才能を求めるのは構わないが、本質を見極めて欲しい


最初のテーマに戻る。

記憶力だけが良い人を「頭イイ」と定義する価値観は浅過ぎて、お話にならない。
そのような価値観の人々と私は絶対に話が合わない。話をする時間が無駄。
その浅い価値観に基づき、マウントを取ろうと絡んでくる人たちも未だに後を絶たないが、本当にいい加減うっとおしいからやめて欲しい。無視して良いかな?

偏差値で判断することもそれと同様、浅いとは思う。
そもそも学校の成績が良い=頭イイ とは限らない。
ただ今回調べて知った偏差値は、自分が学業をがんばらずに獲得していた値なので「ポイントを掴むのがうまい」という基礎能力を表していたとは言える。この場合はたぶん、個性の表れでもある。

私はそんな自分を分かってくれる少数の人さえいればいい、と思っている。
死ぬまでに世間の人々全員から理解してもらえるなどと期待していない。


しかし今は少しずつギフテッドの話なども語られるようになったから、若い子たちの未来は明るいのでは。

これからの未来、もし私のようなタイプの子を理解し認める人がいたとするなら、そういう人は世間一般の「頭の良さ」などという基準を持っていないはずだ。
本質だけを見て、何が重要か・どのような素質がどこで役に立つのかを考えている。
社会を良くしていくのはそのような価値観を持つ人々だろう。

日本も含めて中華も、東アジアの人たちは上のような浅薄な設定を信じるのをやめて、そろそろ本当の価値基準に目覚めたらどうだろうか?
高い才能を求めるのは別に構わないのだが、記憶力や計算力などではなく本質を見ることが必要だ。

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