現代世間話

    「業病」などという発想は誤り。前世、転生思想を差別に使うな

    東アジアは逼迫した情勢となっていますが、ここでは軍事や政治の話は避け、スピリチュアルと占星術に関わる話を続けています。

    一つだけ、世間話のうち当ブログにも関係するのではないかと思った話。

    8/2 文章の読みやすさのために少々推敲

    石原氏の「ALSは業病」発言


    問題のニュース。

    ⇒石原慎太郎氏、ALS「業病」発言に異論続出 取材依頼も...関係者通じ「丁重にお断りしたい」


    ⇒石原慎太郎氏「業病のALS」投稿を謝罪ツイートも…「誤解生じた」表現に再び批判

    解説。

    “業病”とは、障碍ある方や難病の方を差し
    「あの人は前世で悪い行いをしたから障碍者として生まれたんだ(難病になって苦しんでいるんだ)」
    と決めつけて誹謗中傷・差別するための言葉。

    石原慎太郎氏は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を「業病」と呼んだのですね。
    そのうえで、ALS患者を殺害した医師に対して
    「切腹の際の介錯をしただけ。弁護したい」
    と述べた。

    問題のツイート:
    isihara.jpg

    難病患者の安楽死を手伝った医師たちを「弁護したい」という気持ちだけは、分からなくもない(苦しむ患者に同情したのだとすれば)。
    日本における安楽死の議論をうながすために行ったツイートなら、支持したいと思います。※

    しかしこの言い方では、
    「ALS患者(その他の難病患者)は前世で悪いことをしたのだ。自業自得だ」
    「今回の事件の被害者は、前世の悪行の責任をとるために切腹を望んだ。医師たちは切腹の苦しみを減らすための介錯人だ。無罪にしろ」
    と言っていることになります。

    石原氏は後で謝罪していますが、彼がもともと障碍を持つ方へ「前世で悪行をした犯罪者」という偏見を抱いていたことは発言から明らかですので、この場合「皆が私の言葉を誤解しているだけ」という弁明は違うのでは? と感じます。

    ※安楽死の議論について: 難病をお持ちの方が苦しまれていることを私は自分の身に置き換えて理解しますし、無理な延命という拷問を停止するという意味での“安楽死”を支持します(スピリチュアルの観点からも、無理な延命はしないほうが望ましい。後述)。ただし今回の事件は金目当ての自殺ほう助であり、闇サイトに「自殺手伝います」と書き込む快楽殺人者と何が違うのか分かりかねます。


    「業病」とは何か


    “業病”と言って障碍者を差別することは、日本には古くからある悪しき風習だったようです。
    障碍を持って生まれた我が子を恥じて、家の奥に監禁するという日本の習慣もこの差別を避けるため。

    最低の風習と思います。

    今回の石原氏の発言でまた唯物論者や一部宗教者などが
    「輪廻転生などという悪魔の宗教を信じるから悪いのだ! 輪廻転生文化を抹殺、仏教を破壊せよ!!」
    と鬼の首を取ったように得意げに触れ回り、弾圧・文化破壊を推し進めるのではないかと心配しています。

    しかし実はスピリチュアル的な観点からも、“業病”は誤りなのです。

    前世記憶を持つ者から言わせていただければ


    法的な議論や、世間常識という一般論からの話は他の方々に任せましょう。

    ここでは当ブログの立場――前世記憶を持つ筆者が書いているブログ――から述べます。

    まず、転生の法則で“業病”という差別は誤りです。
    「障碍・難病の人たちは、前世で悪行を行った報いとして苦しんでいるのだ」
    ということは、実はほとんどありません。
    犯罪被害に遭う方や精神的な苦しみを負う方も同じく。

    むしろ現世で何かの苦しみを背負っている方は、過去生で立派な行いを積んだ経験値の高い魂であることが多いのです。
    おそらく仰ぎ見る相手であって、差別罵倒すべき犯罪者なのではありません。

    無知で差別する人は、用語の意味も知らない


    過去記事の繰り返しになりますが検索で来た方のために用語を解説しておきます。

    そもそも“業(カルマ)”とは“罪”という意味の用語ですらありません。
    それは単に、“行い”という意味

    良い行いも悪い行いも、全て“業(カルマ)”ということになります。

    だからいつだったか私に絡んできた年配の方が仰っていたように
    「カルマを持つ人は、悔恨で下を向いて歩かなければならない」
    と仰るのは誤り。
    言葉の意味としても通りません。
    「行いを持つ人は、悔恨で下を向いて歩かなければならない」って、どういう意味ですか? 考えればおかしいと分かるでしょう。

    確かに、“業(カルマ)”は必ずどこかで消化されます。
    エネルギーの法則として、プラスに転じたものは同じ分量のマイナスで補われるからです。逆も同じ。
    このため良い行いも、悪い行いもその報いは来世以降に返ってきます。
    これが“因果応報”の法則です。

    ただし一回の転生で全て返るわけではない、しかも「犯罪加害者は、来世で同じ犯罪の被害者となる」などという単純な話として返らないので誤解なきように。
    (ごく稀にそのような単純さで返ってくることはありますが。ほとんど違います)

    業病との考え方は、アインシュタインの物理学を小学校の算数で読み解いたつもりになるくらい愚かなもの。詳しくはこちらを。
    【運命論まとめ】 「幸せ」って何ですか? 因果応報、カルマの受け取りも自分で選んだ道

    「運命計画は自分で決める」と言えば、仏教弾圧したい人たちはまた
    「じゃあ、犯罪被害も障碍も自分で決めたことだから受け入れろってことだな! DV被害者はずっと殴られ続けろってことか!」
    などと単純化して叩いてくるのですが、そんなことは言っていないので文脈を考えてください。

    病気に感謝して受け入れることを計画して生まれた人もいれば、状況と戦って新たな人生を歩む計画を持って打生まれた人もいます。
    いずれにしろ、ただひたすら苦しいだけの人生を生きる必要はないということです。

    なお、安楽死についてスピリチュアル観点からの真実を言えば、病状が安定している間での自殺はお奨めしません。
    何故なら魂の計画として寿命は定まっています。
    お迎えが来るまで地上でスタンバイしなければなりません。
    つまり自殺してしまった人は、タイムリミットまでの永遠に思われる時間を地上で過ごすことになります。
    その間ずっと、生きていたときに感じていた苦しみ(特に精神的な苦しみ)が続くらしい。
    だから、寿命ある限り生きることをお奨めします。
    無理な延命治療はこの限りではありません。動物として自然な状態で生きられないならば、すでにタイムリミットを過ぎいてお迎えは来ていると考えられるからです。


    前世、転生思想を差別に使わないで


    最後に、今回の報道で思い出したこと。

    そう言えば、私も子供の頃は“業病”のような考え方が大嫌いだったのでした。
    田舎で幼い頃を過ごした私は、年寄りたちが「業病」で差別するのを耳にしていて、ものすごく嫌な気持ちになっていました。

    それ故にかつての私は輪廻転生の話を嫌っていたし、あまり興味を持たなかったのでした。

    にも拘わらず、自分で体験してしまったのでこうして語り続けることになったわけですが……。→筆者体験の話はこちら
    結果として、「カルマ教は差別教」という話は嘘であるという真実を知ったのですから良かったと思います。

    思うに障碍などを“業病”と呼んで差別する人たちは、ただただ差別がしたいだけなのでしょう。
    その差別欲のためにカルマ思想を曲解(作り変え)して利用しているだけです。

    輪廻転生思想を「差別につながる悪い迷信」として頭ごなしに否定している人たちも、ただ仏教や人類文化を弾圧して破壊したいから批判材料を探している。
    つまり唯物主義者お得意の、こじつけによる「ソーカツ」吊るし上げ・処刑をして愉しみたいだけのことです。

    どちらにしても本来のその人(魂)の、「誰かを差別したい」「誰かを叩き潰したい」という欲望にこそ問題があると感じます。
    基礎的な用語を誤りで使っても恥じないのは、無知だから。
    無知が彼らの悪癖を後押ししているようです。

    真実を言えば、こちら側の人々のほうが「業病」の体現者です。
    他人を差別して叩いて、苦しんでいるところを眺めて快楽を得るという病気の持主ですね。この人たちこそ悪癖改善のため人生修行する必要があります。
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