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【琅琊榜レビュー】「後世まで轟く名声…」で考えてみた。私の野望を告白

まずは別館更新のお知らせから。よろしくお願いします。



以下、本日はドラマの感想とプライベート呟きです。
※『琅琊榜』38話までのネタバレあります。これから観る方は要注意


『琅琊榜』今のところの感想


忙しいと言いながら、唯一の娯楽として『琅琊榜』だけまだ観ています。

『琅琊榜』というドラマが描きたいテーマは“義”なのだと知った辺りから俄然面白くなってきました。
次第に主人公の義に篤い性質が明らかになっていくとともに、同じ志を持つ人々が密かに結び合う展開に痺れます。

「私が最も観たいドラマだった」と言えるでしょうか。
そう、こういうのが観たかった。
この種の「義」が中心テーマとなった物語は、日本ドラマにあまり無い。

恋愛も重要テーマなのだと思っていたのにけっこう始めのほうで恋愛設定を棄て去ったので唖然とし、笑いました。最も売れる設定をあっさり棄て去るという潔さは尊敬します! 
韓流ドラマファンだったら激怒する展開ですね。

このドラマに流れているテーマは中華圏限定の暗号のようなもので、おそらくあちらの社会に属している人なら男女問わず
「ハオハオ(好好)!」
と叫び拍手喝采するのだろうが、外国人には深く響かないはず。特に「義って何?? 全ッ然分からない!」などと仰る女性には。
日本でも『少年ジャンプ』作品が好きな男性にはきっと響くだろうと思います。しかし、日本などであの映像美と雰囲気は反射的に“女性向け”と認識されるため、始めから男性が観る確率が低い。
故に、中華以外での爆発的ヒットは難しいかなと感じますね。
コロナ自粛の際もやはり韓流ドラマが大流行していたらしい。私は微塵も興味持てなかったのですが、やはり日本・韓国では恋愛強しです。

それと男性向けとしてもエンターテイメントの部分がやや弱いかもしれない。
日本のドラマや漫画に比べると、やはり“策”の部分、戦いの展開が荒いと言えます。
とにかく全て後から「想定済」と言えば天才感が出るだろうと思っている(笑)主人公設定に片腹痛くなる。
『演義』の悪い趣味が出た。そういうところ直しなさい、と言いたい。
C国には「ご都合主義」という批判語が無いのでしょうか? だから政府が平気で嘘をつくのか… というわけではないでしょうが。

この点、『半沢直樹』のほうが遥かにうまくて手に汗握らせてくれますね。
日本の作家は勝敗ギリギリの線で細かく話を練ります。鍔迫り合いのハラハラ感がとてもうまい。現実で有り得ないような幸運は描かないし、どちらにも転びそうな展開について「始めから想定済です」と言ったりしない。※
何故、このように日本の作家が手を抜かないのかと言うと、読者がとても厳しくてすぐに「ご都合主義じゃねーか!」という批判が飛んで来るからだろうと思います。中華圏の作家は長い間の『演義』で甘やかされている。
皆フィクションとは言え少なくともその物語内においてはリアルな設定を味わいたいし、主人公が敗けても本気で戦うところが観たいわけです。主人公が余裕あって飄々としているだけではつまらない。

※日本人はどういうわけか現実の戦闘になると緻密な計画が立てられなくなるのですが…。太平洋戦争やコロナのお粗末政策を持ち出すまでもなく、サッカーの試合でさえ愚かなご都合主義(楽観主義)丸出しです。思うに日本はトップに立つ人の能力が一般人に比べ圧倒的に低い。作家など一般で能力高い人が国を任されたほうがうまくいく気がします。


ストレートな「義」が蘇る兆し


ともあれ、『琅琊榜』ではそういった荒さを補って余りあるのが冒頭に書いた「義」の精神。
『琅琊榜』が描きたいのは恋愛でも復讐戦エンターテイメントでもなく、「義」の部分であることが分かるから、私はこのドラマを熱烈支持します。

梅長蘇が過去の犯罪人を追い詰め、始め冷静に淡々と話していたのが、次第に声を荒げてトドメを指す場面は痺れますね。
確かに、こういうところは「三国志と半沢直樹を足して二で割ったドラマ」というコピーの通り『半沢直樹』っぽいです。半沢より圧倒でキャラが薄いけど(半沢が濃すぎ)。

梅長蘇よりも私が好きなのは、言侯(言闕)です。
言侯は本当にカッコイイなあ…! 
もちろん恋愛対象としてではなくて(笑)、ああいう大人になりたかったという憧れです。
毎度、彼の台詞に痺れています。
不遇であっても決して信念を変えず、ストレートに義から発した台詞を言う。青臭く見える大人こそ、真にカッコイイ。
この言侯の台詞に触れるためだけでも『琅琊榜』DVDを買いたいと思うくらいです。

周りの人物が呟く台詞にも、いちいち感動してしまう。
ro38-1.png
“天道は己の心にあり”


て……て、 天道!!!

痺れた。
まさか現代、あの政権下で創られたドラマでこんな言葉を見ることができるとは思いませんでした。
だって、例の運動で天道を殺したつもりでいる国ではないですか。
確か「天道」という言葉を口にしただけで処刑されるのでは? (五十年~三十年前は現実に処刑されましたし、今もまたそうなっているかもしれない)

そもそもこのドラマの設定や文化思想の全てが「あの政権下では有り得ない」もの。明らかに現政権への批判が含まれていると分かるので、「大丈夫なのかこれ…」とハラハラしながら観ています。
ドラマの見方としては邪道なのでしょうが、やはり現実に行われているこの抵抗にハラハラしてしまいます。ある意味、『半沢直樹』よりも切羽詰まった戦いが行われていると言えるでしょう。

しかしこのようなドラマが創られ、全土で放送されて大人気を博したということは、洗脳されきっている人以外の一般庶民の心には「天道」が蘇っているということでしょう。

棄てたものではない、希望はある……
改めてそう確信して嬉しかったです。

監督さんたち、素晴らしいドラマを世に出してくれてありがとう。どうかこの蘇った灯が消えませんように。
(そして監督さんたちの身が安全でありますように)


「私益だけが真実」と信じる虫人種たち


今回、38話を観ていてもう一つ考えさせられたこと。

夏江が梅長蘇を捕まえ、「お前は何をしに都へ来た?」と迫るシーンです。

38話から引用
ro38-2.png

夏:お前ほどの知恵者だぞ
朝廷と関わりたくないお前に誰が強要できよう?

梅:(ふっと微笑み)高く買っていただき、なんとも恐縮です

夏:都で何を手に入れたいのだ
誰もがひれ伏す位か?
天下を動かす権力か?
後世にも轟く名声か?
ふうん……

これは誰のことを言っているのでしょうかね? 
イメージしているのが誰なのか丸分かりで、少々辛かったです。

同時に、不思議にも思いました。
どうして皆さんこう考えるのか。
人の目的が、個人としての利益ではなく大勢の幸福であっては何故いけないのでしょうか?(言い換えると、大勢の幸福が自分の利益である) そういうことは、100%絶対に有り得ない、いや有ってはならないと?

上はC政府に象徴される悪役の台詞ですから、当然、
「人間は100%自分の利益だけのために生きるもの」
という価値観で生きている設定となっています。
現実に彼らのように唯物思想で、一生しか無い命のなかで欲を貪り尽くそうと思っている虫たちは「私益」しか頭にない。私益こそが彼らにとっての宇宙の真実なのだろうと思います。
愚か過ぎて笑ってしまいますが、可哀想に小さな脳しか持たない地獄の虫にはあの発想が限界なのでしょう。

このような虫人種は、たとえば孔明のように“後世まで轟く名声を手に入れた”者を
「始めから計算尽くで権力と名声を手に入れた。そのためにコントロールしやすい主人を選んで背後から操った」
と考えます。
そしてその意味で「憧れるうー」などと気持ち悪いことを言います。
どころか、「自分も孔明を見習い、誰かを操って権力を得たい!」と叫ぶ。
例の人などはこの典型ですね。
(憧れると言うなら、あのような死に方ができるんですか? 寝ずに働くのはけっこう辛いですよ。今のようにブクブク肥って、白豚顔を晒している場合ではありません)

いっぽう「私益」を持たない人々もまた諸葛孔明に上のようなイメージを抱くことが多いでしょうか。
こちら側は孔明を「汚い策士」と呼んで軽蔑するのでしょう。

憧れ・軽蔑いずれにしても、中華において孔明が
「主人の背後で策を囁いてコントロールし、うまことやって権力を得た人物」
としてイメージされてきたのだろうと、このドラマを観ても分かります。
もちろんそれはフィクションであって、現実正反対であったことを知る人は大勢いるのでしょうが。

くだらない空想のイメージに溺れることは本当に良くないと思います。
渡邉氏のような、虫の脳しか持てない唯物人種になってしまいますよ。


また地雷


――ああしまった。
またトラウマを踏まれて変なモードに入ってしまったようです。

「誰もがひれ伏す位か?
天下を動かす権力か?
後世にも轟く名声か?」

考えてみれば、外観上の孔明は確かにその全てを手にしたわけです。
実際、“どこがやねん”と関西風に突っ込みたくなる人生であったというのが現実ですが。

現実:
誰もひれ伏していない(ファン・支持者はいても)、どころか吊るし上げられの日々。
天下を動かす権力も持たなかった。粛清などしなかったため。

「後世にも轟く名声」だけは事実としてあったのでしょう。でも、それって死者にとって何の意味が?
もし本人に利益があったとしても、生まれ変わってから思い出した記憶を照合するのに記録が役立つくらい(笑)ですよ。小さい利益だなあ……。そのうえ、現代では誹謗中傷が大量に溢れているしね。

位・権力・名声。
くだらない、くだらない、くだらない。
 
なんて意味のないもの。

(ただ言っておくと、正当な評価という意味での“名声”なら魂の救いとなります。諸葛亮の魂も今は僅かとなった正当評価に救われていると言えるでしょう。その他の現実的ではない名声はたとえ称賛でも無意味と思います)

そんな完全無意味な物を得るために愛も友情も棄て、他者を陥れたり殺したりするなど悪いこと尽くしで人生を無駄に過ごす者たちがいるとは、そのほうが私には信じられません。
死んだら金も権力も持っては行けないのですよ。
最後に全て失い、魂を汚しきって死後世界に帰り地獄へ堕ちるなど、損しかないではないですか。

それより個人として穏やかに優しい人生を過ごしたほうがよほど有益です。
恵みである人生の時間を僅かも無駄にすることなく、愛を感じながら生きるのが真の「得」というものでしょう。もしも究極の私益を求めるとすれば、利他を目的として生きるべきと思います。
(もちろん計算でそうするのではなく、そうしたいから利他で生きるのが普通ですが。利他に生きるのは魂の本性に従うということ)

『琅琊榜』へ話を戻しますと、主人公の梅長蘇は権力や名誉を求める者ではありません。
どうやらモンテ・クリスト伯とも違って、個人としての復讐が目的というわけでもなく、「義のため」に行動している人のようです。
そういう主人公が描かれているために、私はこのドラマを「良いドラマだ」と言っています。

“復讐のために生きる”
とは、これもまたキリスト教などに洗脳された人々は批判することでしょう。
でも東洋には「義侠」の精神というものがあります。これは「悪いことをした人間を糺す」という考えです。
実は東洋だけではなく古代には西洋にもあったのですが、キ教の正義・正論破壊で否定されてしまっただけ。
宗教による獣化計画で人類が失ってきたものが、まだこの東洋ドラマには息づいています。

もちろん「義侠」の範囲が狭すぎれば、私怨の復讐という醜い行為になります。
ただ、広くなれば「国家のために悪を断つ」という公の目的となる。おそらく梅長蘇の目的はここに該当するでしょうか?

もう一歩進んで、復讐だけではなく大勢のために良い国を造ろうと尽力すればいいのにな、と思っています。
それこそ真に魂が求める欲求に従うということ。
ドラマの設定上、主人公には無理で、きっと残された人々が行うことになるのでしょうが。


私の野望を告白しておきます


さて自分について話しておくと。

(記憶のなかで)私がかつて抱いた目的は、前項の最後に書いた話――「大勢のための良い国造り」に近いです。

結果実現できたとは言えず、今となっては遠い夢でしかない。やり直そうとも思いません。
もし今、ここで野望を持つことが許されるとしても再びの「国造り」などに向かわないでしょう。

せっかくだから夢はもっと大きく。
大声で野望を叫ぶことを許されるなら、本気でこう叫びます。

 全人類が幸福となる真実をこの世で実現したい!!

……ああこんなもの大それた夢でしかなく、何やら宗教っぽくなって危険なのだとしたら。
せめてこう叫んでおきましょう。

 東洋の人々が、幸せに仲良く暮らしていけるように。素晴らしい東洋文化・東洋精神が永遠に続くようお膳だてすること

ついに野望を告白してしまいました。
どうしましょう?
今の無名無力な私にはこれでも99.9%以上実現不可能に思われる野望です。

フィクション孔明にさえ不可能ですよ。
野望のために使えるなら、少しはフィクション的な超能力も欲しいですけどね。風を呼べるくらいではいかんともしがたい。笑

“願えば実現する”
凡人として愚直にそう信じ、自分の小さな声が大河の一滴となっていつか溢れることを願い、明日も叫び続けます。
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