神秘・占星術

    令和と光和、3と5の護りなど。最近のインスピレーションメモ

    ここのところ移転作業に忙殺され、まともな新記事を書くことができませんでした。…いや、それを言うならいつもたいした記事を書いているわけではありませんが、笑。

    しかし息抜きの雑談記事すら書けなかったことは自分としても辛かったです。

    長年何かしら文を書いてきたので、文章が書けない日々はストレスが溜まりました。

    前記事『HSP書き直し』について


    前記事『「HSP(超高感度人間)と諸葛孔明」を読み、占星術的に考えてみる【書き直し版】 』も焼き直しと言えば焼き直し。
    ロンブー淳くんの告白で私は大変な誤りを書いていたことに気付き、急ぎ修正しただけの記事です。そもそも孔明についても分析が誤っていた※ため、ちょうど良かったのではありますが。

    ※分析の誤り:諸葛亮の繊細なイメージは作戦家の職業病による後天的なものだと思っていたのですが、彼もスキゾイドだとすれば、生来から繊細だったのだろうと推測されます。それでいて大胆な発想ができると言われる・悪く言えば大雑把思考(=壬らしい特性)であるのは私も同じ。これらは明らかにASC水瓶座の表れと思います。

    あと今回、アスペクトの解釈も省きました。最近の記事でも書きましたが、アスペクトから繊細さや単純さを読み取るにはもう少し分析が必要のようです。

    もちろん、ネイタルに困難アスペクトの多い人は繊細な傾向があり、生きづらさを感じていることが多いのは確か。しかし100%そうとは限りません。逆もまた然り。
    六芒星を持っていれば運命のリミッターがはずれ活動的な人生を送ることが多いのも確かです。ただしだからと言って、本人の性格に繊細さが皆無というわけでもありませんね。(六芒星持ちはたいていピュアな人格のため、単純に見えてしまうことは往々にしてありますが)

    インスピレーションメモ


    他、話は変わりまして。
    記事が書けなかった期間中に浮かんだインスピレーションをメモしておきます。

    「令和」と「光和」って、似てませんか?


    これはもしかしたら以前にも書いたかもしれませんが、「令和」と「光和」は似ているな、と改めてインスピレーションを覚えました。

    もちろん元号の話です。

    「令和」は現代日本の元号。

    「光和」は三国時代に至る乱世が始まった、後漢末期の元号(中華)。

    先日、初心者さん向けに三国志の紹介記事を書いていて「光和」の年号を入力した瞬間に“ふっ…”とこの感覚が過ぎりました。さらに昨日、HSP絡みで『共感覚』の記事を見直していても感じたのです。この二種の年号は確かに似ている、と。

    何が似ているのかと言えば。

    見たまま「和」という字が同じことは言うまでもありませんが、共感覚として浮かんで見える“色”が似ています。

    「光和」はその字義通り、土色(和)を透き通った明るい黄色が照らしている。

    「令和」は光和がほんの少しだけ陰った、山吹色に近い黄色が土色を照らしている。…

    乱世の始まりの元号に似ている、などと。このことは去年、新年号が発表された当日から感じていましたが、さすがにめでたい日に不吉な話は避けたもの。

    でも今、再びインスピレーションが降ってきましたのでここにメモしておきました。

    「令和」は良い響きだから悪いことばかりではないと思うのですが、私はやはり何かあの時と連動して反転した時代を生きている気がしてなりません……。

    特に“反転”というところが鍵と思います。

    これからは3ではなく5の時代


    もう一つ降ってきたインスピレーションの話。

    もし我々が今、あの当時と連動した時代を生きているのだとしても、これから重要となる数は「3」ではなく「5」になるでしょう。そのようなインスピレーションを得ました。

    悪魔を封じ込める包囲網“ファイブアイズ”など、何かと「5」が語られることが多い現代。このブログでも度々書いてきた通り、今の私も「5」という数に縁があるようです。

    これらの数字は東洋で重視されていますが、実は西洋でも神聖な数です。ピタゴラスを始めとして、西洋人は何かと3や5を使うことが多いように思います。当然ながら魔女狩りが席巻した時代は避けられましたが(今もフリーなんとかの言いがかりを受けて危険なため、避けたほうが良い場面があります)。

    どうして西洋で3や5が神聖な数とされているのかと言うと、これらの数は古代幾何学で「完成」や「平和」を意味しており、現実に物事を安定させる作用があるからでしょう。「三権分立」が典型的。

    いっぽう2や4は「二極」「二分」で対立を意味し、物事は安定しません。二元論でゲバルトを好むほうが本物の悪魔です。

    (だから今、アンチ蜀たちによって「三国時代は呉の魯粛が天下二分を計画した結果だ」という話が声高に叫ばれるようになりましたが、二分で永遠の戦乱を目指すとは愚かで馬鹿げた話です。さすが地獄の虫たちによる発想だなと思います)

    さて3と5のうち、どちらが安定性が高いかと言えば答えは5のほうでしょう。

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    ジャンケンで分かる「三つどもえ」のさらに高度な形が「五の相克」です。お互いが剋し合い抑え合うことで戦いを封印する。だから古来、ペンタグラムが護符となってきたのでしょうね。

    関連する話:
    グランドクインタイル(五芒星形アスペクト)はどう解釈する? 他、占星術以外の五芒星シンボルの意味

    たとえば永遠平和を実現するために“5”という神聖数を活用する……、とか。そのためのインスピレーション?

    もしそれが現代で可能なら、そうなるように私も強く願いたいと思います。

    と言っても、現実の地上で「五相克」の軍事バランスを実現するのは不可能なことです。だからこれはおそらく軍事に関するインスピレーションではありません。

    もっと象徴的な意味での守護でしょう。たとえば人類の精神に関わるもの。哲学思想や、文化という免疫。五色の文化がお互いの争いを抑え合って、平和が実現するなどということ。

    夢みたいな話ですが(そして表現が下手だから読者様にはきっと伝わっていないでしょうが)、とにかくインスピレーションを書き留める目的で書いてみました。

    本日はメモまで。




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