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「いつく」を戒める武道精神に学ぶ。中道は思考活動を続けること、か

軽めの話から勉強になるな……と思った件をメモ。

『ラストアイドル』というグループに殺陣をやらせるという企画があり、メイキング番組を少し眺めていました。(筆者がこのアイドルグループに興味があるわけではないので詳しい話はできない。家族が録画して観ていたので眺めた)



この企画では一流殺陣師・田渕景也氏が指導しています。

田渕景也氏:映画『銀魂』シリーズや『進撃の巨人』の殺陣監督も務めたアクション界の有名人

この方の指導を、居合道有段者が眺めた結果の意見をご紹介。

演技用の殺陣を剣術スポーツとして真似してはダメ


田淵氏の経歴はいまいち分からないので武道を学ばれているのか不明ですが、この方の指導には居合道(実戦を想定した古流剣術)から見て首を傾げることが多いらしく、居合道5段の知人曰く

「居合道や剣道初心者の人は田淵氏の指導をどうか鵜呑みにしないように」

とのことなので広くお伝えしておきます。

 

殺陣はあくまでもドラマや映画などの演技として、いかにカッコ良く見えるかといった見た目を重視するもの。専門の技術だからそれで良いと思います。

でも、あたかも本当の剣術であるかのようにテレビで言うのは良くないと思いましたね。

もちろん現代で真剣を振り回して戦い合うことなど無いので、“本当の剣術”など必要ないと思われるかもしれませんが、まだスポーツとしての剣術が残っていますからその分野では問題です。

長年にわたり実戦で積み重ねられてきた武道の智恵は人間の「体を動かす」という力学に適っています。だから、伝統的な居合道などは無理のない動きで・体を傷めない運動が可能となるように出来ているわけです。でも、演技用の殺陣は「見られるため」という別の目的で発展したもの。

何が言いたいかというと、このような演技用の殺陣を長期間練習してしまうと、体を傷める可能性大ってことです。特に、筋肉の無い女の子などは腕の腱や膝などを損傷する可能性が高いそうです。

居合道5段が

「あんなのフィクション。あんな持ち方、振り方で女の子たちに素振りさせたら腕が駄目になってしまう。特訓させるなど最低だ!」

と怒っておりましたので、アイドルの人たちは長期に練習しないほうが良いと思います。テレビを見ている剣術初心者の方も、どうか真似しないでください。

殺陣は演技用・映像用の専門技術として、どうか短期間に留めていただきたいです。(田淵先生とお弟子さんたちはきっと筋トレもしているはずだから別に考えたほうが良いでしょう)

片足に体重を乗せてすり足で…これは禁忌


特に問題と思ったのは、片足に体重を乗せる指導です。

「(夜間を想定した殺陣で)見えない場所でも足に物が当たったらすぐ避けられるように、すり足で、片足に体重を乗せて移動すること」

との田淵氏の指導について、あれは本当なのか?と居合道有段者に聞いたら笑って、

「すり足は合っているのだが、片足に体重を乗せきって移動するのは禁忌(タブー)。武道では、“イツク”と呼ばれて絶対やってはならないこと。何故なら片足に体重を乗せてしまうと、いざというときに体が動かず危険を避けることができないから

との回答が返ってきました。

ふむふむ。武道も中道なのですね! 理に適っているなあ。

ちょっとした話のようですが、非常に奥深い智恵がある。勉強になります。

 

イツク(居着く)とは


イツク、という言葉を音で聞いて、漢字がいまいち分からなかったので検索してみました。【居着く】と書くそうです。

意味としては、

「運動すべきものが運動を止める。一つところに留まって落ち着いてしまうこと、集中を途切らせて活動停止すること」

といった状態。左右どちらかに体重を乗せ切ってしまうと物理的にこの【居着く】という状態になります。

内心の状態も含めた話では、こちらの知恵袋回答が秀逸だったので引用させていただきます。
hide_kさん 2013/6/13 22:55

…つまり観念的な話になって恐縮ですが、 正確には「続いていた意識が途切れた瞬間」が「居着き」というわけです。 (心体は連動しているので、意識の途切れが体の居着きを招く、 というのも概ね間違いでないと思っています)

意識や心から発生する事象であるため、 例えば質問のように、上級者が自分より実力が下のものと対戦するときに 油断や、悪く言えば「無意識の手抜き」から居着くケースがよくあります。 サッカーの日本代表が、格上のチームには緊張感から善戦するものの、 格下のチームを取りこぼすシーンをよく目にしますが、 これは居着きの代表例ですね。 ザッケローニ監督が、攻守の切り替えの速度を「インテンシティ」という 聞きなれない言葉で表現しましたが イタリア人の彼なりに今の日本代表の「居着く」悪い癖を見抜き、 「インテンシティに欠ける」という独特の表現をしたのかもしれません。

ここからは勝手な解釈ですが。 逆に「居着いていない」状態とは 「意識が自分の重心をコントロールできている」状態であると 考えています。 揺れる電車に立っていても、意識していればよろけることはない。 仕事帰りなどに疲れて意識が飛んでいるとあっちにこっちによろけます。 これは重心のコントロールに関係があります。 動いていようが止まっていようが、意識が重心をコントロールしていれば 有事の際に対応できます。 これが出来ない状態こそ、「居着き」ではないでしょうか。

日本代表、「インテンシティに欠ける=居着く癖」との解釈、ものすごく納得です!

まさにサッカー日本代表には、自分たちが点を取るとたちまち集中を途切らせ、動きを停止させてしまう悪い癖があります。(ここで“動きを停止する”とは、後ろでボールを回して試合放棄してしまうという意味です。ボールが回っているから動いてるじゃん、という話は通らない)

電車の例えも分かりやすかった。

>動いていようが止まっていようが、意識が重心をコントロールしていれば 有事の際に対応できます。 これが出来ない状態こそ、「居着き」ではないでしょうか。

と言うか、重心がコントロールできているということは、見た目に留まっているように見えても実際は“動いて”いるのですよね。足はその場から動かなくても、無意識にインナーマッスルで重心をコントロールしている。これは常に活動している、ということ。命のない人形を電車に立てて置いたら、電車が動くと同時に倒れてしまうでしょう。

右や左に停止したのでは、有事に対応できない


私はスポーツをやらないので体のことでは偉そうなことを言えませんが、思考では常にこの“重心コントロール”の活動をしていると思います。

何度も言いますが“THE中道”であるらしいので……。

証拠として挙がっています:
初の定義。私はリバタリアン(中道自由主義)だそうです。【山猫総研価値観診断テスト結果】

武道の話はこの思想的な中道と同じ。

たかがスポーツと言うなかれ。

肉体の理に適うよう工夫された武道の智恵は、思想・国家運営・軍事……等々全てに通じるようです

何故なら、生物の肉体は小宇宙だからでしょう。生物の運動エネルギーは宇宙真理と対応している。だから生物から演繹に宇宙を識ることができるのだと思います。

 

昨今、Twitterなどで左に先鋭化する人が増えました。そんな俄か左翼から私も「ネトウヨ」とレッテル貼りされているようです。

※左であることを「中道」だと教えられ鵜呑みにしている一般人も多いので、バランス主義の私は「ネトウヨ」という結論になるらしい。愚かなレッテル。

関連記事:中庸とは何か?(2018年版) 伝えることの難しさ

たかが軍事容認、日本を守れと言っているだけでね。現実に犯罪している者(左翼団体)を批判しただけでね。いつどこで私が人種民族の差別をしたと言うのでしょうか? 濡れ衣もいいところ。

このような事実無視、勝手なレッテル貼りが社会のあちこちで行われている。

世の中、右か左の帽子を被っていなければ人に非ずと叫ぶ人たちばかりです。

でも、そのように左右へ「居着いて」しまえば(つまり思考停止してしまえば)、有事の際に一瞬で倒れることになるでしょう。

 

思考停止した人間は、命を失った人形も同然。内心が活動していないので押せば簡単に倒れてしまうと思います。

右にも左にも(前にも後ろにも)居着かないことが、大波に揺られるこれからの世界で生き残る唯一の道ですね。

 

でも、偏った人のほうがカッコイイと思えてしまうのだろうな…


軽めのアイドル番組の話から、思想の話へ流れてしまいました。いつものことながら考えが飛躍して申し訳ありません。

 

冒頭の話に戻ると、殺陣師の田淵氏が「居着く」ポーズを演技指導として教えているのは、それが見た目にカッコイイからでしょう。だから映像技術としては正しいと言えるのです。

おそらく表面上のぱっと見た印象では、体重を極端に左右前後に傾けるポーズのほうがカッコイイと見えるはずです。モデルさんたちが写真を撮られる時に、斜に構えるのはそれがカッコイイから。重心を意識してただ立っているだけのポーズはダサいですから……現実に強いのだとしても地味。

同じように、現実思想でも右か左に先鋭化した人のほうが「カッコイイ」と見られて人を集めるわけです。そして人々はハーメルンの笛吹きを追いかけ、崖から落ちることになる。

 

現実に強い武道家は、重心を意識して立っているだけなのでいかにも弱そうでダサく見えるでしょう。

それと同じく思想的な強さは、一見ぱっとしないもの、地味なもの、ごく普通に思えてダサいものです。古典思想にはこの趣がありますね。古臭くて地味で見向きもされないものほど、人や社会を本当に強くする力があります。
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