我傍的、ここだけの話

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『我傍』執筆の経験からお話。創作は自分のため、存在は他者のため

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自分に攻撃的な人のほうではなく、物言わぬ支援者たちのほうを向くこと。結果が出ないからと卑屈にならず誰かのために存在を続けること。これが大事だなと思います。

昨夜書いたこの部分について、いつも私が言っていることと矛盾していると思われるかな、と感じたので補足しておきます。

基本的なスタンス


私は小説や漫画、そのほかの創作活動はまず“自分のため”に行うべき表現だと思っている者です。

先日も創作活動を始めたという人に私は
「それはとてもいいこと。他人の評価など気にせずに、自分のために創作を愉しんで」
と言いました。

この言葉が昨夜書いた記事の、上の箇所に矛盾しているように思われるかもしれません。

でも実は矛盾ではなく場面(状況)が違うだけです。

整理して書きますと、

・創作は自分のために行う
・自分が存在していることは他者のためと考える

ということです。

もう少し詳しく書いていきます。

創作はまず、自分のために行うもの


「他人の評価など気にせずに、自分のために創作を愉しんで」

とは、ランキングや読者の評価を気にしないで表現したいものを表現すべき、という意味です。まず自分が創作するという行為を愉しむべき。

作者自身が愉しんでいない創作は退屈極まりない、との理由もありますが。

そもそも創作とは本来、表現という行為を作者自身が愉しむことを目的とします。

自分の中にあるイメージを表現すること、その行為・表現している時間をまず作者自身が愉しむ。実はその時点で創作の目的は果たされ、完結していますね。

公開して他者に読んで・見て・聴いてもらえて共感が得られたら、お互いにとって幸せなことです。でも、それは創作じたいの目的ではありません。

先日、これに関係して凄いなと思った話。

芸人ハライチの岩井勇気氏は料理が趣味で、自宅でパエリアなどを作るのだが、完成すると食べずにすぐゴミ箱へ棄てるのだそうです。

周囲の人たちが驚いて
「どうして棄てる! 食べろよ!」と怒ると岩井氏、
「食べません。芸術作品と同じで、作りたいだけだから。作ったらそこで完結」と回答。

イカれてる……いや、変わっていますね。

(余談:この話が放送された番組を観ながら、私が「彼らに比べたら自分は物凄くまともなほうだなあ」と呟いたら、家族が「何!? 同じくらいイカれてるよ! 変わってる人ってほんと自覚ないよね」と怒っていました。何故…。苦笑)

食品ロスが社会問題となっている昨今、岩井氏の行いは食への冒涜として怒られるでしょうが、
「芸術作品だから。作ったら完了。後は棄てるだけ」
との考え方は芸術に対するものとしては究極の正論で、凄いなと思いました。

本来これが芸術(創作)の在り方です。創るという行為そのものを本人が愉しむ、それだけのもの。

でもせっかくだから、棄てずに誰かに味わってもらえば?とは思いますがね。もったいない。自分にとっては作った時点で完結しているならなおさら、他者に味わってもらっても何ら問題は無いはず。

読者を想定せずに書いた処女作の経験


私がこう思っているのは小説『我傍に立つ』の経験があるからです。

あの小説は始め、誰かに読んでもらうために書いた文ではありませんでした。
発表することを全く考えておらず、ただ自分の中に在る記憶を吐き出したいという衝動にかられて書いていただけです。当初は小説として書くつもりさえなかったので細かい描写のないスケッチのような文なのです。

余談ですがあのスケッチ風の素のまま文について、発表後「描写が少なくて嫌だ」などと匿名クレームがあったので、次回作では小説的な描写多めに書くよう心がけました。すると「描写がウザい」「綺麗過ぎる文で気持ち悪い、小説はもっとシンプルであるべき」等々と掲示板で物議を醸す始末。なんなんだ、いったいどうして欲しいんだ、笑。しかも直接言って来ないで陰で悪口を言っている匿名チキンたち。情けない。

結局、文句を言いたいタイプの読者は何であってもクレームをつけるだけ。ストレス解消の反射でしかないのだなと思い、匿名チキンの声を参考にするのはやめました。

私としてはシンプルな文のほうが好きなので、当初のスケッチ風小説が一番自分らしいと思うのだけど、そもそも小説として書き始めた文ではなかったから特殊過ぎて自分でも再現できないです。意識してあのような自分丸出しの文は書けません。

自分の頭の中だけであの記憶を留めておくことに耐えられなかった。だから表現した。それだけのこと。
家族が心配するほど連日わんわん号泣しながら書いたのですが……(前世から全く成長がない。笑)、執筆することで私の心は癒されました。

つまり、完全に自分のために行った創作だと言えます。

私が岩井氏と違っていたのは、完成後にゴミ箱に棄てる気は起きなかったということですね。

書いた後、他者にもこの物語を伝えたいという想いが湧きました。

発表は創作としては余計な付け足し行為だったのかもしれません。でも後から考えれば発表して良かったと思っています。多くの方々と、あの日あの頃に感じた気持ちを共有できたから。

激しい熱量で「感動した!」と言ってくださる方々の声に触れると、つくづく「自分の中だけで留めなくて良かった……発表して良かった」と思います。

この通り全く狙ったことではなかったにも関わらず、読者様と共有できた感情・伝わったメッセージは想像を絶していたという経験をしました。

だから私は「創作はまず自分のために行え」と言っています。後で作品をどうするかはその時に決めれば良い、ただし書いている間は純粋に自分が創作を愉しむこと。
きっとそんなふうに狙いなく書かれた文でなければ、他者へ本当の心を届けることはできないのでは? と思います。
(こう言ったら何ですが、たぶん『出師表』も同じ種類の文かと…。あれは狙いなく丸裸で書かれた文です)

他者の意見に翻弄されていると自分の考えを見失う


こう述べる理由はもう一つあって。
処女作の後の私は他者の目を意識してしまい、創作を愉しむことができなくなってしまった。そのことを自分で残念に思っているからです。

『我傍』以降、期待に応えるために残りの過去生記憶を小説化したり。
痛い恋愛小説を書いてネットで少し人気を得たりもしました。
それらの小説にもお褒めの声をいただいていますが、振り返ってみれば自作品のなかで『我傍』を超えるものは書けなかったと思います。
(むろん全て素人小説なのでこんな話をするレベルにも達していないことは言っておきます。お恥ずかしい。あくまでも自作品のなかで、という基準です)

『永遠の雨』完結後は力尽きて、あれ以来もう小説を書こうという気が湧いてきません。ブログ記事で書きたいことがあるからなのですが、結局は、オンラインで小説を発表しても読者を獲得できない時代になった……などの余計な考えが創作意欲を失わせているのです。

こんなふうに邪?な考えに捕われるようになったらもう、書きたいことも見失っていると言えます。

私がまた小説を書くとしたらもっと年を取ってから。ブログも仕事もやめて完全に手持無沙汰となったときでしょう。その時は純粋に、「記憶を書く」ルールに縛られることもなく、一人きりの愉しみとして静かな小説を書いてみたいものです。

存在は他者のためと考える


いっぽう昨夜書いた「結果が出ないからと卑屈にならず誰かのために存在を続けること」とは、公開して行う活動・発信という行為についてです。

ブログ、YouTube、SNS……芸能活動も含む。

あるいはただ生きる、存在するというだけのことを指します。

「自分のためだけに生きている」と思っていると、生きるのをやめてしまいたくなる時があります。

この世でたった一人だと思った場合に、自分を大切にできる人などいないからです。

それでよくファンのことを忘れた芸能人が自暴自棄になり、お酒や薬に走ったりしている。あのような態度は、自分がどれだけの人の愛を背負って生きているのか忘れた時にしかできません。

人の愛を反故にして平気でいる態度を「我がまま」と呼びます。有名となったために毎日が辛くてたまらない、その気持ちは理解するけど、今は最高度の修行をしているのだと自覚して耐えてください。我がままで人の愛を反故にするのは最低です。

だから私は「他者のために存在を続ける」との信念を持ったほうがいいと思っています。

「誰も自分なんか求めていない」と思う人もいるかもしれませんが、きっとそんなことはありません。

公開で活動している人なら、人気を得られなくても必ず一人くらいは楽しみに眺めてくれている人がいるものです。

何も発信していなくても家族や友達が必要としているはず。

もし「自分は完全に一人ぼっち、家族も求めていない」とあくまでも言うなら、これから求められる人になるよう努めましょう。そのために存在しましょう。

命は貴重なり。

誰でもここに存在することに意味がある。

本当は他者に求められるかどうかは命の価値に関係ないのですが……もし「求められていない」ことが自己否定の理由になっているなら真実を知るべきです。

誰でも、未来には大勢から必要とされるようになる可能性を秘めているという真実を。

たとえば私の場合。
今はもちろん、未来の人々も裏切ってはならないと思っています。だからできる限り存在を続けようとしています。
創作などの愉しみは自分のため。生きることも本当は自分のため。でも発表すること、ここに存在することは「他者のため」です。

我がままなクレーマーの声に翻弄されることを防ぎ、耳をふさいで完全孤独のなかで創作または信念に基づく行動をした後は、それを他者のために開放・提供する。私はずっとそうしてきました。
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