我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。『我傍』裏話や前世、軽めの話+占星術
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日本人っぽく見えて、日本人らしくない人

昨日上げた別館の記事で、資料として土井晩翠『星落秋風五丈原』を引用しました。

初めて目にした詩ですがあまりきちんと読むことはできませんでした……申し訳ないです。感想を言えば、「うなされそう」です。悪口よりもむしろこういうほうが重くてきつい。

土井晩翠お好きな方は、堪能してください。私も『荒城の月』は大好きです。春高楼の~♪※ メロディが浮かぶだけで感動しますね。

※1/8修正。「春荒城の」と勘違いで記憶していました。すみません

聴きたくなってYouTubeで探しました。やはりこれは、いいなあ。ちゃんと聴くのは中学校以来:

荒城の月 Koujou no tsuki (倍賞千恵子 Baishou Cheko)ローマ字歌詞付き(With Lyrics in Romaji) - YouTube

昨夜「うなされなければいいな…」と怯えつつ寝床に入ったのですが、幸いなことに朝方まで見ていた夢は現世の仕事の件。一つ仕事が増えるという平和で幸せなものでした。(現実は緊急事態宣言騒ぎのせいで減りそうですが)

貧しくても今の現実生活のほうが、私には幸せな夢の世界です。

補足した件


本題。お知らせです。

昨日の記事にこちら、追記しています。

〔1/5補足〕現実に孔明は「日本人っぽい」性格だったのか?


史実の諸葛亮が近現代の日本人のような性格だったかどうかについては、私は疑問に思っています。

確かに大人しめな性格、責任を一人で背負い込み“過労死”したなどの点はいかにも日本人らしい。

しかし合理・現実主義の思考パターンは日本人とは本質的に異なると思います。それどころか東洋的ですらなく、(不思議なことですが)西洋的とも言えます。

たとえば名誉には背を向け、華々しい活躍や玉砕には無関心、ほぼ事務的な軍隊の動かし方をしています。兵站が途切れたならすぐさま大軍を引き上げさせた。一兵でも失うことを恐れ、“命”を守るための工夫をあれこれ考えている。このような合理につながる人道主義は西洋的と言え、東洋ではめずらしいタイプだったのではないかと思います。

また法律に関しては不思議と西洋的な意味での「法治」を行いました。民ではなく権力者を縛るための「法的精神」を持つのも、東洋ではめずらしい。(管仲など実務では存在しないこともないですが)

史実の諸葛亮:



兵站を無視した楽観主義で「餓死しても任務遂行しろ」と言う、名誉を重んじた華々しい玉砕を求める……そんな近代日本人とは、諸葛亮はとうてい話が合わないだろうと思います。と言うより意見が対立して大喧嘩になりそう。徳川家康がいれば話が合いそうですが。

現代日本に諸葛亮が生まれても、“変わり者ギフテッド”ですから個性的な人間を許さない日本社会では浮いてしまって孤独を感じるだけです。

なかなか東洋では生きづらいタイプ。だからこそ、東洋で目立って有名になったのではないかと考えています。

ともあれ、求められて日本人に転生したのならば諸葛亮も日本のために尽くすでしょう。誠実な人々が存在する限り。

まったく、「合理主義」などとよく言うよと自分でも思いますが、今は史実を語る人が激減していますので、恥を忍んで学んだ評価をそのまま書いています。(他者の評価ながらもちろん私が同意することでもあります)

「亮は日本人っぽく見えて、本質違う」

とは、前にこの件を他の場で書いたとき(今は記事撤去)強めに主張していた話。

今回の記事で主張するのは本筋と違うと考えて始め書かなかったのですが、やはり嘘はつきたくないので追記しておきました。

亮が日本人っぽいのだという話で共感を求め、支持していただき闘っていただく(結局は日本のための防衛として)……ということも作戦としてあるかとは思います。でも、私はそういうことをしたくない。

客観的で公平な、史実に基づく話をしていただきたいのです。何故なら敵が嘘をついているのだから、こちらは正当な真実だけを語らねばなりません。

敵と同じ嘘つきになっては、敗けます。

真実への誠実だけが最終的に真の勝利を勝ち取るのだと私は考えています。道理と合理の両面から、です。

※道理≒合理です

上の引用文で何よりの真実は、最後の一文です。一番、嘘っぽい話が真実。たいてい現実とはそんなものです。事実は小説より奇なり…。だけど何の役にも立たない真実です。

今は裏付けなど関係ないし、私もどうでも良くなっています。ただ私は自分の感覚で分かることをお伝えするお役目だと思って、叫び続けるだけです。

“信じる信じないは、あなた次第”と言いますが、信じなくても良いので拡散してください。お願いします。

日本人らしさの定義


ここからはプライベートで、筆者の話。

「日本人っぽくて、実は本質が日本人らしくない」

とは私も言われることです。

私のことをあまり知らない人たちは、外見的な印象で「純・和風!」「なんて日本人らしいの~」などと仰います。亮と同じで、大人しくて前に出ないので「奥ゆかしい」と思われるらしいです。

しかし。少し深く付き合った人たちは「全然日本人らしくない」ということに気付いて唖然とするようです。皆さんこんな顔になります:😓 笑

ルールは守っているのですが、日本社会の価値観からは逸脱したことをするとのこと。「変人と思われたくてわざと奇抜なことやってる」と濡れ衣を着せられるくらいですから、相当に逸脱したことを言ったりやったりしているらしい。何が?という感じで、自分ではよく分かりません。ただ他人から学んだことよりも独自で考えたことを優先するのは確かです。

唯一、初対面のときから「君って日本人らしくないね! 欧米的!!」と連呼していたのが今の上司。やはり凄い人かもしれません(目を見れば人格が分かる、と自分で豪語するだけあります)。そういう本質を見る人とだけ、私はうまくいくようです。

かつて記事に書きましたが、性格診断でも見事に「西洋人タイプ」と出ています。私は思考のしかたが西洋人風であるらしい。

こちらが該当記事。スピリチュアルから考えられる理由についても触れています:

あなたは西洋人タイプか、東洋人タイプか? | 我傍的、ここだけの話 (ksnovel-labo.com)

こうして実例を見れば、そもそも「日本人らしい」という定義って何だ?という疑問が湧いてきますよね。

大人しい・引っ込み思案だからといって「日本人らしい(東洋人らしい)」というわけではないのだ、ということです。むしろ思考のしかた、日頃の行動に「らしさ」が現れるのだと思います。

なお、「儒教に従って君主に忠誠を捧げる」などの気持ちは、私にはよく分かりません。

私の場合は「自分が信じた人は絶対的に信じ続ける」だけです。教義に従っているのでもない、戒律など関係ない、自分自身の気持ちとして敬愛を覚えた相手に尽くすのみ。自分で敬愛という気持ちを抱いたのだからなおさら、本心を裏切ることなどできません。

西洋的な思考をするわりに「儒教的」と見られている諸葛亮も、きっと私と同じだったのでは?と思います。(いえ、同じです。言い切っておきましょう)

教えより強い想いというものがあるのですよ。これぞ真実。
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