三国志、歴史|隆中譚

    『我傍に立つ』で書いた思想を他者の創作で目撃し、歓喜したという話

    前回に引き続き『孔子』ドラマの話を別館で書いています。

    今回はプロパガンダの指摘ではなくて、このドラマでほんとうに心震えた箇所の引用。
    善い話・希望の話ばかりだから安心してお読みください。
    なぜ私がこのドラマを熱烈にお奨めしたか理解していただけるはず。

    冒頭アイキャッチで引用した台詞には、本当に声を上げてしまいました。
    自分が小説『我傍』で表現し続けたことが再現されている! 自分の感覚、前世記憶は間違っていなかった。ヤッターー!!と。

    siihaku.png
    あの言葉自体を孔子が言っていたかどうかは疑問です。伝統的なイメージとは異なりますね。
    ただドラマ制作者は非常に詳しく儒教を勉強しているようなので、儒教真髄の解釈としておそらく古代のままで正しいのだと思います。
    (18世紀に天才学者が儒教の古代解釈を見い出したそうなのですが、もしかしたらその解釈に従ったのかもしれません)

    『我傍』あとがきなどで告白しているように、あの処女作は可能な限り資料を参考にせず、自分のイメージ(記憶)を優先させて書いた小説です。
    だから建物や景色描写などは現代イメージが混ざっていますし、経緯の順番が入れ替わっていたなど誤っているところも多々あるわけです。
    しかし根本の概念――「民意=天意」は強く記憶に残っていることでしかも今の私の信念でもあり、きっと正しいはずだと信じていました。

    このたびフィクションの中ではありますが、ようやく古代思想として同じ概念に巡り合い感激しました。
    「君は間違っていないよ」とはっきり告げられた想い。

    前世記憶を具体的な人生記録で裏付けられたときよりも、自分の信念が裏付けられた今この瞬間のほうが嬉しい。

    良い意味での自信(自己肯定)がふつふつと湧いてくる。
    同時に過去の教育を与えてくださった先生や、社会へ感謝の念も込み上げてきます。

    これまで自分の記憶を信じてきて良かった。…涙

    不自由な国から誠実なフィクションを世に送り出してくださったドラマ制作者様へ、心から感謝。
    関連記事

    2015年~カウント: