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知識は害毒か? 真理探究で落とし穴にはまらない学習法

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ご質問ではないのですが、いただいたメールのなかから最近私が上げた記事に関連する話を採り上げます。

知識についての話です。




直観を持つ人たち


S様のメールより引用。
ゲーテを読んでいて気付いたことだそうです。

引用文中、筆者に対する呼称については(筆者)と変換
全員というわけではないが、古典文学だったり偉人と称された人というのは真理を体感して、文字や芸術と各々の手法に変換してるなと思ったんです。

(筆者)もですが、誰に教えられるわけでもなく感じ取るじゃないですか。

私なんかはバーチの本を通して、勉強のような形で差し出された答えを少しずつ学んでいくのですが、(筆者)達のような方は自分たちで自ずと受け取っている。

その違いに気付いて、ものすごく凄い事だとつくづく感嘆させられました。
恐縮なお話。
私だってバーチの本には学ぶところがたくさんありますよ……。

ただ確かにバーチの本を読んでも知識として受け取るだけではありません。
自分の中に既にあるセンサーで真理を感じ取り、響き合わせている感じです。

このことは全ての文学、芸術、思想に対して同様です。

センサーを持つのはたぶん、一度真理とつながる体験をしたからだと思います。
『永遠1』の回答でお話しした通り)
真理とつながった体験は消えることなく、魂のセンサーが開いた状態を保ったまま転生を続けるのでしょう。

同じ体験をした人たちは幼い頃から何も学習しなくても真理を感じるセンサーを持つため、傍目には「直観」の強い人に見えるはず。
通常は前世の記憶などありませんから、自分でも何故その直観があるのか分からないと思います。私も子供の頃は分かりませんでした。

なお「直観」という言葉は単なる思いつきなどの意味で使われることもありますが、心理学者ユング言うところの定義なら、悟りに近いインスピレーションのことになります。
学習を経ずに知覚する能力の指標。色覚や嗅覚・味覚などの鋭さを示す「感覚」とは別物で、この二種の能力は何故かたいてい反比例します。(反比例するのは、直観のほうが強くなると肉体感覚から離れていくからでしょう)

生まれつきそんなセンサーを持つからといって直観タイプの人間が特別に凄いわけでも何でもなく、優位というわけですらありません。

こういう話をすると嫉妬したり、「お前なんかが。嘘に決まってる」と必死で否定したり、憎んだりする人がいますがそんなことには何の意味もないわけです。
嫉妬して相手を貶めたところで、相対的に自分が“悟りの境地”という地位に上がれるわけがない。そういう大奥のような次元の話ではないのです。
真理を求める道に地位などありませんから。

(地上に属する話ではないのに“位”を得ようとして、他者へ嫉妬し引きずり降ろして自分がその地位に上がろうとしている。それは真理の道と真逆を進むこと)

知識は真理の探究に何の役にも立たない?


しかし私も何の理由もなく、瞑想だけで突然に真理を悟ったわけではありませんね。

前々世の人生であのインスピレーションを得るに至るまで、長い長い人生の旅を経てきました。

他人から踏みつけにされる経験をし、痛みと苦しみを味わい、人間社会の悲惨と闇を嫌というほど見て……。
最後に私の「先生」と出会って教え導きを受け、死に際の瞬間に“真理”とつながる感覚を得ました。

私自身が人生の旅のなかで考え抜き積み重ねた経験が主でしたが、最終的に先生の教えが背中を押してくれたことは間違いありません。

つまり知識だけで真理へ辿り着くことは絶対不可能だが、経験が全てというわけではない。

だから、
「知識は完全に無意味で役に立たないもの」
とは言えませんね。
(私自身、知識至上主義者は嫌いですが知識絶対否定論者でもありません)

前の話と矛盾するようですが、知識も心の鍛錬とともに積み重ねるならいつか真理へ届く足掛かりとなるのです。

90%の経験 + 10%の知識

感覚としてはそんな割合です。
経験と学びの総合で、真理探究のために必要な階段を昇るという感じでしょうか。

しかしどちらに対しても自分で考えることが必要でした。
“心が一番大事”
とは自分の心に耳を傾けて考えるべきだ、と言っています。

よく、お釈迦様のような人が静かに座り瞑想をして悟りの境地に達する――などという話がありますが、あれはただ「自分の心に耳を傾けている」様子をファンタジーで表しているのではないかと思います。

経験でも知識でも口を開けて呑み込むだけでは何の栄養にもなりません。
特に知識は自分の心に照らし合わせて吟味しなければ有害な毒にもなります。
何故なら人々を誤った方向へ誘導するために、“罠”としての知識をばらまいている者たちがいるからです。

知識が毒となる現代。狂気の罠に落ちやすい学習方法とは


前回も私は知識に関してこのように書きました。これは真理に関する話ではなく地上の知識についてでしたが。
「まず知ることが第一」、その通りです。
でも、実際はなかなか正しい知識を仕入れることも難しい。
大きな看板を掲げる者たちが叫んでいることを「知識」だと信じて行動するだけでは駄目なのだと思います。大声で叫ぶ者たちが、人々を煽動しようと罠を仕掛けていることもよくありますから。

“一次情報をチェックせよ”と言われますが、現地へ取材に行けるわけがない一般人には不可能です。
実際には不可能だと知りながら、「ファクトチェックせよ!」と大声で叫ぶ。そのうえで「我々がファクトチェックしてみました!」などと情報を提供するのは、人々を一網打尽に絡めとる罠だと悟るべきです。
知識というものは罠として扱いやすい道具なのです。
何故なら簡単に歪めることができるわりに、人々を誘導する力を持つからです。

上の転載文は政治など現実的な事柄についてでした。
しかし、真理の話をするジャンルでもたくさんの罠がばらまかれていますね。

最近はスピリチュアルよりもネットワークビジネスのほうが流行りのようです。しかし今でも時々スピリチュアルを使った詐欺があるらしいので気を付けてください。
セミナー、ワーク、オンラインサロン……等々。手法は様々です。
宗教という形をとっていないことがほとんどだから、「宗教ではないから大丈夫」などと見た目で安心してはいけません。
本質の構造で観れば、ビジネスサロンも左翼団体もスピワークも、カルト宗教と同じものなのですから。

スピリチュアルだろうとビジネスだろうと、とにかく受け身で知識にしがみつこうとしないこと。
あなたがた自身が教祖や主催者の言葉を繰り返すだけの、コピーロボットにならないことです。
(私のブログでもそうですよ。知識再生のコピーロボットで自分の考えを持たない読者さんはお断りです。…と、こんな素っ気ないことを言って突き放すからあまり人気にならないのだろうけど)

知識にしがみつくと洗脳・マインドコントロールという落とし穴に落ちてしまいます。
ただ他者の意見を脳に刷り込んだだけであるのに、何故か自分がレベルアップしたような気分になって「自分は真理を得たのだ」と勘違いしてしまう。
そうなれば教祖の思うがまま。
好き放題に操られて搾取されたあげく、教祖の言うなりで殺人まで実行する脳を失った奴隷となるでしょう。

狂気に堕ちやすい人のタイプ


どういう人がそのような狂気に堕ちやすいのか? と言うと、残念ながら“頑張り屋さん”の人です。
特に、学校の成績が良い「秀才」だった人は狂信の度合いが強く、カルト教団のなかでも幹部クラスになる傾向があるようです。

おそらく秀才タイプの信者は自分が学習した知識に自信を持つのでしょう、教祖(思想書)から与えられた教義を絶対的に正しいものとして信奉します。
そうなれば、どのような誤りを指摘されても決して目が覚めることはありません。
嘘をつくことや殺人などの犯罪を強要されたとしても、「それは正しい理想のために必要なことだ」という歪んだ理屈を考え出し、自分が与えられた知識の正当性をなおさら強固に唱えるようになるだけです。
過ちを認めたくないという秀才のプライドも手伝って、自己正当化のためだけに他者の口を封じ始める。
そうなればもはや狂気。壊れた殺人ロボットでしかありません。

このような狂気に堕ちた秀才は、日本で有名な事件を起こしたカルト宗教の幹部や、世界革命という理想のために今も破壊活動を続けている左翼たちに典型例を見ることができます。

どうして現代はこのように愚かな秀才が生まれやすいのか?
それはよく言われていることですが、詰め込み教育の弊害ではないかと思います。
最も良くないのが、コピーロボットとして知識を暗唱できた子供だけが、良い成績をとって褒められる世界をつくっていること。
そんなコピーロボット化の調教ばかりしていれば、教祖やリーダーの命令に従いやすい“無脳な”奴隷たちが大量生産されるわけです。

私も前世~今世前半までは一応インテリ側でした。
それでも今のところ他者のコピーロボットになったことがないのは、いわゆる「秀才タイプ」ではなかったからでしょう。
知識だけ鵜呑みにすることは無かった。自分なりに考えるほうが好きだった。
(優等生っぽく見られるけど秀才ではなかったらしいですね。ギフテッドの特徴に合致)
そんなところが前々世で先生から「打てば響く楽器」と呼ばれた理由なのではないかと想像します。先生もコピーロボットお断りの人だったので。
現代では私のような他人の台本に従わないタイプは浮いてしまって、どこのグループからも除け者にされています。しかし他者の奴隷となるよりは幸福な人生だと言えます。

もしも真理とつながるセンサーを持ちたいなら、まず「秀才」であることをやめるべきです。
少々孤独ではありますが、知識ではなく分析を中心として学習するようにしてみては?

知識は程々で構いません。とにかく“頑張り屋さん”をやめましょう。
教祖にとっての「イイ子」を演じないように。私に対して「イイ信者」を演じてもすぐに見抜きますよ。

真理への旅路には先を歩くか後を歩くかという違いはあるけど、生まれ持った能力の優劣や、「教祖・信者」の別はありません。
スタートラインは皆、同じ。
違って見えるのはただ、今この地上時点で魂が若いか老いているかの違いだけです。

だから、焦らないでください。
焦って欲張ることが一番、危険です。

いつも書いていることですが、我々に与えられている使命は
「ただ目の前の人生を必死に生きること」。
それだけ。
人によっては今世の人生計画が政治家になることかもしれない、芸術家かもしれない、主婦かもしれない。他人を苦しめる悪行以外、否定される生き方など何もありません。
そんな人それぞれの人生計画を精一杯に生きることです。
そうすれば、自ずからカルマの回収が行われて善い方へ向かっていきます。

特別な宗教儀式や修行など要らないのです。
人生に裏技なんか無い。※
そういった“裏技”を求めてサロンやカルト宗教に近付くのは、他人より先に行きたい・優位に立って他人を見下したいという欲望なのだと気付いてください。

※風水や「引き寄せ法則」を教えている人たちは、人生を変える魔法があって今すぐ金持ちになれるのだ・カルマなんて存在しないと主張しています。これは欲望を煽る危険な考え方。少なくとも「引き寄せ」は悪魔崇拝を起源とするため注意したほうが良いです。欲張って地上で優位に立つ力を先取りすれば、必ず後で莫大なツケを払うことになります。
【関連記事】現世での成功は果たして、最善の選択か? 魂の目的と肉体の欲求との違い

まとめ 最善の学習法


最後に、カルトという落とし穴にはまらない最善の学習法についてまとめておきます。
これは特に真理探究したい人向きですが、全てのジャンルの学習に言えることです。

1.一人の著者、一つのジャンルの本だけ読まない


危険な思想にはまってしまう人の典型的な本の読み方は、一人の著者・一つのジャンルの本だけ延々と読み続けることです。
読書を「学ぶ手段」としてではなく、自分の願望を強化する知識武装のためのツールとして悪用してしまうのです。

カルトな思想や健康法にはまる人たちは、
「私はたくさんの本を読んで知識を身に付けている。あなたよりたくさん知っている。だから私が誤ることは絶対にない(間違っているのはあなたのほうだ)」
と主張します。
しかしそのような人たちが読んでいる本は、全てそのカルト思想を推奨する本ばかりなのです。
同じ種類の本をいくらたくさん読んでも知識が広がっていくことは永久にありません。
むしろ、願望を先鋭化して狂信を深めていくだけです。

2.知識だけを過剰に信頼しない


前回も書きましたが、大手メディアがプロパガンダするときは必ず
「ファクトチェックせよ!」
と叫んだ後に
「我々がファクトチェックしました~。どうぞお受け取りください」
と言って情報を差し出します。
看板の大きな会社がファクトチェックしてくれたんだ、だったら真実に違いない、と思い込んだ民衆は容易く騙されて煽動されてしまいます。

何故このような罠にはまるのか?
――原因は、「知識」だけを妄信し依存しているからです。

たとえば戦場では入手した情報が正しいか誤りなのか、取材に行って確認している暇などありません。
緊急性が高ければ高いほど、ファクトチェックなどというものは不可能になるのです。
したがってファクトチェックに依存している者は、戦場では全く使い物にならないと言えます。

【別館の関連記事】
ファクトチェック依存は危険! 司馬懿に学ぶ、戦時情報への向き合い方
Qアノンと某国が同列の陰謀論!? 手法を覚えてプロパガンダを読み解く

学問でも現実の政治でも、重要なのは自分のなかに基準をもって知識と向き合うことです。
まして真理についての学習ならなおさら。自分自身の心と常に照らし合わせながら響かせて吟味しなければ1ミリも理解できませんし、悪い宗教の信者として囚われてしまうことがあります。
繰り返しますが、妄信して依存するだけの知識は毒にしかなりません。

3.広く雑多な学習をする


1と同じ。(1を逆から言っている)
学習したいなら一人の著者、一つのジャンルだけに留まらず、広く何でも読むべきです。

コミックやライトノベルだけ読み続けない。(最近の日本漫画やライトノベルは妙な思想に汚染されているようです)
一種の思想書(たとえば左側)ばかり深読みしないこと。
スピリチュアル好きな人でも、スピばかり読んでいては駄目。
健康法では賛同者の本ばかり読み漁らない。

日本では「広く浅く」の読書が馬鹿にされる傾向があるのですが、外国人はわりと「広く浅く」の読書を好む人が多いようです。私はそんな外国読みのほうに共鳴します。そのほうが確かに視野が広がるし、知識を妄信する危険も少ないと思います。

【別館リンク】二流の読書でバカになる? 広く浅くの雑読を後押しする、嬉しい言葉

4.肩肘張らない、頑張り過ぎない。秀才をやめよう


本文の繰り返しになりますが、勉強を頑張り過ぎないこと。とにかくこれが大事。

秀才をやめましょう、教祖の言うなりをやめましょう。

人生の旅路はとてつもなく長いのです。
焦らずに、目の前の人生に向き合ってください。せっかくの人生を大切にしてください。
“心”を主体として行動していけば必ず真理へ到達できます。
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