我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    前世のほうが、幼い頃より近くなる。“遠隔エゴサ”で記憶の距離感が変わってきた

    〔独白のため常体〕

    今、歴史館の雑談記事を増やさなければと思っている。
    適当で気楽な記事が無いとアクセスが増えないので。

    しかし私は元々歴史ファンではないし、他者としてあの時代を眺めて愉しんだことが一度もないから、頭の中に雑談ネタが皆無。

    やむを得ず検索でネタを探している。これを“遠隔エゴサーチ”と称している。

    “遠隔エゴサ”とは――前世名でエゴサーチすること(笑)、私の造語。

    現在の自分についてではないから、誹謗中傷を書かれても私の実生活には何ら影響はない。
    その名と現在の私には遥かな距離と分厚い壁があって、こちら側の生活は保護されている。
    ただ自分だけがその名の本人であるという自覚があるために、精神的にはダメージを受けてしまうという状況。

    もちろん今ここに通われている読者様はこの状況をご存知なわけだが、世間に事実として認めさせるのは不可能だろう。このことは敵対者であっても同じ。勘違いの精神病患者として嘲笑されるくらいがせいぜいだ、同一人物として攻撃することは不可能。

    これはハンドルネームで匿名にて活動している人が、ハンドルネーム名に対してだけ悪口を書かれている状況に似ている。
    実生活に何の影響もないので法的に訴えることもできない。
    しかしそのハンドルネームの持主が自分であることを、自分だけは知っている。このため一人ぼっちで、精神的にひたすらダメージを受け続けることになる。
    そんな精神的ダメージに耐え切れず自殺する人もたくさんいる。

    私は前世が誹謗中傷されたからといって自殺などしないがね。
    と言うより、「前世が悪口を言われて自殺」は意味不明過ぎるだろう。(だって前世から見れば私は死人なのだから)

    死んでも何も変わらないことは、この状況そのものが証明している。

    自分の実生活には関係ないのだから、本来なら放置していいこと。他人も「無視すればいい」と言うだろう。
    そんなことは、死後世界を垣間見た体験者である私自身が誰よりも知っている。だからこそ現に数十年もの間スルーし続けてきた。
    しかし「文化破壊」「日本人の精神侵略」という犯罪に気付いて、これは私の問題ではなく現在を生きる人々(日本人、東アジア人)に対する犯罪なのだと気付いて、やむを得ず小さな声を上げ始めた。

    どうして私が自分ごととして反論しなければならないのかなあ……、恥ずかしいよ、と愚痴を言いつつ。
    今のところ日本でこのジャンルにて行われている謀略に気付いているのは私一人だけ、つまり世界でただ一人だけであるらしいから、発信をやめるわけにいかない。自分に鞭打って遠隔エゴサを続ける。

    【気付いているのは私だけ、について】
    古代史に関して大量の嘘がばらまかれていることに気付いているファンたちは存在すると思う。でもそれが何故であるのか背景の事情が理解できないために、「ただの流行。歴史ジャンルに無知なバカが増えただけ」と思って発言することを諦め、ただジャンルから離れて行くだけであるらしい。仮に政治的な謀略だと気付いている人がいたとしても、発信しているのは今のところ私ただ一人だけのようだ。どうか早く目覚めて、助けて欲しい。

    その後:こんな知恵袋質問に気付いてメモした。近現代史に詳しい人はやはり存在するが、日本で洗脳活動が行われていることに気付かれているかどうか?
     ⇒https://shoku1800.tokyo/2021/06/post-3478/


    こんな活動を続けているうち、自然と今の自分について考えることが少なくなってきた。

    もともと自分への悪口にさほど関心の無かった人間。
    私は遠隔エゴサはするが、今の自分の名で本物のエゴサーチをしたことがほぼない。(一度だけやったかな
    もし偏った誹謗中傷を見かけたら自分の場合は応答してしまう※だろう、と分かっているため遠慮しているのだが。
    とにかく頭のおかしい絡んで来るタイプとは関わりたくない。相手にするのが面倒だし、実際そんな時間がない。

    ※私は自分の記事などに言及された場合、必要を感じると応答する癖がある。たとえばこのように。
    →ドラゴンヘッドとMCが重なったらどうすれば?(すみません。迷惑ならメールください)
    ご厚意でそっとリンクされているだけの方には申し訳ない。だからこそなるべく検索しないようにしている。


    ……それで。

    このように現実の過去について検索したり語ったりしているうちに、ふと「記憶の距離感」が変わっていることに気付いて愕然とした。

    “記憶の距離感”とは、今という時点からその時がどのくらい離れているか(過去であるのか)、という感覚のこと。

    人は印象的な出来事ほど昨日あったかのように近い記憶として感じている。このため正確で客観的な時間と一致した「記憶の距離感」を持っている人は誰もいない。
    だがそれでも、トラウマ級の特殊な出来事が無い限り、大雑把な括りで幼い頃のことは遠く感じられ、十年以内のことは近く感じられると思う。

    さすがに私も一つ前の人生について、今の人生より近く感じられたことは無かった。今までは

    それが、最近は記録を頻繁に見るせいで記憶の現実化が強まっている。
    前世人格との「人格一致」を自覚する時間が増え、その結果、ついに現世の幼い頃の記憶よりも圧倒で現在に近く感じられるようになってしまった。

    だからまるで前世への誹謗中傷が現在の自分に対してであるかのようにダイレクトに突き刺さるし、当時の気持ちのままで返してしまいたくなる。
    取り乱さないように心がけているが、深いところでダメージを受けているのは否定できない。

    何よりこの苦行の結果として、今の自分の幼い頃が前世より遠くなってしまったことがやはり少々寂しい。
    今の自分の人生は、誰にも記録されることがない自分だけの思い出だ。私が忘れてしまったら地上で覚えている人はいなくなる。(もちろんアカシックレコードには保存されているのだろうけど、そういうことではなくて)

    記憶の距離感を取り戻すためにここへ幼い頃の話でも書いていこうかな。……それこそ誰も興味ないか、笑。
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