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“負けず嫌い”の活かし方。ヘタレな自分は見習うべきと思った

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上司とオリンピック柔道の試合について雑談しているとき、彼が
「子供の頃に道場に通い始めても、負けず嫌いな子だけが残っていくんだよな。他人に勝ちたいとか、自分に勝ちたいとか」
と言っていました。

上司もスポーツ派で武道を続けてきた人なので、負けず嫌いの情熱を知っているのでしょう。彼の場合はどちらかと言えば、“他人に勝ちたい”と言うよりも“自分に克ちたい”という気持ちのほうが強いタイプですが。

いっぽう私は、おそらく負けず嫌いではない人間なので痛い言葉でした。
むしろ積極的に負けにいくタイプ。最低。

自分に克ちたい、という気持ちなら少しあるかもしれない。
と言っても過去の自分を超えようとするのではなく、あくまでも現在を基準として「怠ける気持ちに克ちたい」とか、そういう感じです。
“律する”ということですね。ただし自分ルールも完璧を目指すと脅迫症へ移行して良くないから、ほどほどを心がけていますが。

はっきり言えるのは、他人に勝ちたいと思ったことが一度もないということ。
これは自分が一番優れている、と思っているからではなくて、「他人は他人。自分は自分」と思っているだけです。他人と比べても意味がないと思ってしまう。

そもそも勝負事が嫌いです。
スポーツは苦手だからお話にもならないのだけど、囲碁や将棋などの頭脳ゲームも嫌です。
相手の勝ちたいという欲を感じ取ってしまうことすらも嫌なのですよねえ。自分がそういう感情を持つことは、なおさら嫌だと思ってしまうし。…ということは前にも書きましたっけ。勝って盤を引っくり返されたことがトラウマで、以降は盤上ゲームができなくなった。
MCにチェスがあるのにね。“名刺”を全く活かさず。涙)
何よりも、奪い合いのゼロサム・ゲームが嫌いなのです。だから幼い頃、椅子取りゲームが大嫌いでした。相手から奪わなければならないという状況を強要されるのが、とてもとても苦手。奪うくらいなら譲ってしまう。

一言でいえば、THEヘタレです。はい。

自分のこういうところ、人として欠陥があると分かっていますよ。
上司が言うように、負けず嫌いは悪いことではないどころか努力を続けていくための健全な情熱にもなるでしょう。

もちろん負けず嫌いなのに努力をしないタイプは大勢います。
そういう人たちは相対的に自分が優位に立てれば良いと思っているので、相手を蹴落とすためにネットで誹謗中傷を書き込むなどの犯罪へ向かってしまいがち。
そこまでしなくとも、自分が羨ましいと感じる友人の一挙手一投足に「マウント取られた」などと言いがかりをつけ、嫉妬心全開で悪口ばかり言っている人は本当に嫌ですね。みっともないと思うし、私は個人的に近づきたくないと思ってしまう。かつて友人にそのようなタイプがいましたが、生理的に耐えられず距離を置くことになりました。

しかし私は潔癖症過ぎたと言えます。
自分を磨くためのエネルギーともなるのだから、やはり少しは負けず嫌いの感情も必要でしょう。

私のような「負けたくない」という感情が欠如した人間は、出世も求めないため無為に生きてしまいがちです。
また、何よりも他者のために勝たなければならない状況で勝ちにこだわれないことは、“罪”にもなると思います。自分が勝たなかったせいで人が死ぬわけですから。あるいは、人の期待を裏切るのですから。

思うに、負けず嫌いもバランスが肝要です。
「自分に克ちたい」という気持ちを多めに。
「他人に勝ちたい」という感情もゼロでは駄目で、3割ほど持つ。

そうすれば、健全に何かを得て活力のある人生を送ることができるのかなと思います。
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