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吉野圭のプライベートブログです。小説裏話、前世+占星術
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前を向く、生きる義務について

ご無沙汰しています。
昨晩の地震では皆さんご無事だったでしょうか。11年前のような大規模な津波被害がなかっただけでも私はホッとしましたが、被害がゼロではなかったこと胸を痛めております。亡くなられた方には心からご冥福をお祈り申し上げます。

災害もそうですが、戦争や暴動も、悲しいことばかりの昨今。全てに目を向けていたら心が弱り人生が暗く沈んでしまいます。
誰も全人類の悲しみを背負いきれるわけがありません。背負う必要もないと思います。
無事に生きている限りは、楽しいことにも目を向けて前を向いて歩いていくのが「生きている者の義務」ではないでしょうか。

あ、別に、義務感だけで生きる必要はないのですがね。
あまりにも世の中が悲しいことだらけだと、「何で自分なんかが生き残っているんだ…自分だけこんな場所で安穏と暮らしていていいのか」と思ってしまう人もいます。私がけっこうそのタイプなのですが、そんな考えに捕われたときは「生きる義務」を無理にでも挙げてみることにしています。

義務、と言えば通常は負担だと感じるでしょう。でも悲しみに捕まったときは義務が生きるエネルギーになるのですよ。けっこう。
なにも大それたことではなくても良いのです。
私は、自分など必要ないと本気で思ってしまったときの最後の砦として「積読(買って読んでいない本)を消化していない。あの子たちを読まないで死ぬなんて著者に申し訳ない、だからまだ死ねない」という義務を用意しています。
人によっては「まだあの場所へ旅行していない」とか「あの店のメニューを制覇していない」とかになるかもしれませんね。
そういう個人的な心残りというものが、案外いちばん力を持っていて現世に引き留め歩く意味となるものです。

他に、私の場合はブログを書くことも「生きる意味」としての良い義務感になっているかな。
どのくらいの方が通ってくださっているのか分かりませんし(アクセス数は分かるけど常連数は正確に分からない)、もしかしたら批判的に読んでいる人が大半だったりするのかもしれませんが、ごく少数であっても本気で通ってくださる方のために続けなければと思っています。
疲れ切ってギブアップする時が来たなら、その際はゴメンナサイということで。

弱くて小さ過ぎる声ですが、できる限り発し続けなければならない。それが自分の義務だと信じて踏ん張っていますね、今は。


――そのようなわけで。
本日も別館にて長文を更新しました。

もしキナ臭い世間話にお疲れでなければ、読んでいただきますと幸いです。
(三国時代のリアルにも少し触れています)

【別館】 認知戦とは? メディアが上から「民意」を強制、あなたが兵器となる時代

未来の孤独な人へ。いつか、このか細い声が届くよう祈って。
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