
前記事の事件に関連し、誤解されそうだなと思った記事に追記しておきました。
(マニアックな歴史話ですみません。これは別館に移動できなかったプライベート込みの雑談です)
【追記あり】志って、何だろう? 裴松之の怒りが理解できなかった件
先日も四柱推命(算命学)の記事で書いたように、私はかつて
「東洋の価値観は苦手。合わない」
と書いていました。
しかし現代華人が受け継ぐ真実の「義」を眺めた2022年現在から振り返ると、私が東洋思想で苦手と思っていたのは官職を目指すエリートたちの価値観であって、一般庶民が抱いていた「義」の価値観には深く共鳴していたと思います。
昔から言ってきたように私の魂は西洋での経験のほうが長いため、西洋思想のほうに馴染みがありまして、そのため個人主義・自由主義の影響が強いのだと考えられます。
でもその「馴染みある西洋思想」とは古代限定。
私が近代西欧思想に共鳴するところは僅か。と言うより近代の西洋哲学は自分には合わない、正義の捻じ曲げが気色悪いなと思ってしまうので哲学書もほぼ読めませんね。
二千年前、キリスト教に支配されて以降の西洋には一度も生まれていないため馴染むところがないのだと思います。
(孔明も同じ個人主義側と言えます。東洋では長いこと儒教を体現したとされ、官職を目指すエリートたちに持ち上げられてきた諸葛亮ですが、実はエリート志向の人たちとは真逆のタイプ。だから若い頃、官位志向の世間に背を向け「晴耕雨読」していたのですよ。そんな個人主義の気配を上級歴史マニアたちは嗅ぎ取っているのだから凄いなと思いますね。マキャベリストなど冗談じゃない、赤過ぎる嘘。何度でも言おう、嘘つき歴史学者の「名士先生」より一般マニアの方が優秀)
西洋にも「義=Justice」はもちろんあるのですが、これはキリスト教の布教以降、一神の裁定に委ねられることになってしまいました。
一神すなわち独裁体制が「正義だ」と言えば、どのような蛮行でも正義ということになってしまう。その絶対支配世界に人間本来の「義」が入り込む余地はありません。
したがって、『パンズ・ラビリンス』考察でも書いたように真に自然法的なJustice、人間の感性に基づく「義」を貫こうとした人々は西洋では地下に潜るしかなかったのだと思います。
その人たちは多神教徒で、欧米では東洋主義とされます。本人たちも東洋志向で、日本などに惹かれる傾向あり。欧州で開花したジャポニズムもその流れ。小泉八雲=ラフカディオ・ハーンなど古代多神教(ギリシャ)への郷愁で日本が好きだという西欧人も多い。
……横道に逸れそうだからストップ。
というわけで、
ここに改めて私の共鳴する思想と方向性を整理しておきますと次のようになります。
・古代西洋主義(個人主義、自由主義、多神教)に共鳴
・反近代西欧哲学(反一神教)
・東洋では庶民思想に共鳴 「義」「天道」
・東洋的多神教(神道、仏教、自然崇拝)を受け入れる
・東洋の官僚エリート主義(出世第一)には共鳴しない
つまり構造的に、
「古代西洋多神教 = 東洋庶民思想」
なので現代では東洋思想のほうに共鳴する部分が多いと言って良いのかもしれません。
だから結果、現代で掲げるなら東洋の旗しかないということになります。
あくまでも現代における都合上の話。
今も東洋には私が嫌いなエリート主義も根強くあるから、手放しで「東洋好き」とは言えませんが。東洋占術の価値観はどうしても無理ですね。
もしも西洋が古代のまま個人主義・多神教だったら、手放しで「西洋好き」と言えたのかもしれないですね。
残念ながら今の西欧は文字通りの悪魔に侵されきっています。
まさに悪魔思想の中枢だったウクライナが典型です。嘘まみれ、善悪反転。蛮行した者の事実が「無かったこと」にされ、していない者の蛮行が捏造される。やりたい放題です。
あれほどの大々的な蛮行が許される西欧の地獄に共鳴できるものですか。
そんな地獄だったからこそ、欧州で個人主義が強くなり抵抗の力も高まったという歴史は皮肉なものです。
ですが今後掲げるとしたら近代哲学の毒を含む西欧ではなく、東洋の旗になるのでしょう。純粋に多神教が保存されていたこの地の旗しかない。
結論:希望は東洋にあり。
このような未来を見通した予言者たちが、「東方に救世主が生まれる」と言ったのかもしれませんね。
(救世主とは人のことではなく思想のことだと思います)
★アイキャッチ画像について
内容と関係なさそうな画像ですが、水瓶座は私のASCであり「多神教」的な自由思想を表すため使わせていただきました。