我傍的、ここだけの話

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リアリティある前世記憶、過去の身体の中から見た体験

自分の記憶は第三者視点」だとお話ししたついでに、関連する話をもう一つ上げておきます。

(しばらくスピ話をお休みしていたから罪滅ぼし。~最近、当ブログへ来られた方へ。驚くでしょうがこちらのジャンルがここのメインです。スピが苦手な方は読まないようご注意ください)

前記事で書いた通り、私の記憶は現世でも前世でも全く同じように第三者視点です。

ただし新しい記憶と古い記憶では少し違って、

・現世で時間的に近い記憶の場合は、意識すれば自分側(身体の中)の視点から思い出すことができる。

・時間的に遠い記憶、現世の幼少期や前世は意識しても自分側の視点から思い出すのは難しい。


という感じです。

一番最初に前世記憶を思い出したときは「ニュース映像のような感じ」で非常にリアリティがありましたが、それでも自分の中から眺めた場面は少なかったと思います。

また前世記憶のなかに現代の情報が混ざっていて、建物や家具などが現代的に見えた部分もありました。これは、やはり現世記憶の癖が出て「脳による抽象化」を行っていたことになります。
もし自分側から眺めた記憶をそのまま再生できたなら、もっと当時のままに細かい景色や服装が見えたことでしょう。

自惚れかもしれませんが私の場合、細かく思い出せたらきっと公に資するのでは※……と思っています。
自分自身は精神的にキツイでしょうし、今は信じる人もほとんどいないでしょうが。
私の話を信じていただける僅かな人のために、回答の一つとして記憶を遺して去れたらいいなと考えています。

※特に本気で思い出すべきだと考えるのは人生の重要ポイントです。本当に私自身が計画、決断したのか。だとすれば本心どのように考えてのことだったのか? その記憶はDLされなかった部分。最初の小説『我傍に立つ』で現代感覚にてフィクションを作ってしまったのですが、今考えると間違っていたと思います。申し訳なかった。実名版でリベンジするつもりなので、手がかりだけでも思い出したいと願っています。

身体の中から前世記憶を再生した体験


実を言うとたった一度だけ、身体の中から視点のリアルな前世記憶を見たことがあります。

十年くらい前だったでしょうか? ブログで紹介するためワイス博士の催眠CDを試していたときのこと。
催眠のバックに流れている音楽で気持ちよくなり、ウトウトしてしまったのですがその時に非常にリアルな映像を見ました。
(この話はたぶん書いていないと思いますが、重複していたらすみません)

あれはいつどこの景色か。はっきりと分かりませんがおそらく四十代後半くらいの記憶です。
まだ健康で元気であることは身体の中からの感覚で分かりました。

私は建物の中にいました。
和風にも見える木造建築の狭い建物、階段で上り下りする重層の建築物です。都にあるような豪勢な建物ではなく簡素だったので、戦場に近い地で仮ごしらえに造ったものかもしれません。
内部の構造は日本の城にも似ていました。現代と違って陽光をたくさん採り入れられないし、当然ながら電灯も無いので少し暗く感じられました。
その建物の上層階が自分の執務室だったようです。記憶はその部屋から始まります。

私は開け放たれた窓の傍の、文机の前に座って仕事をしていました。椅子ではなく日本人のように床に座って。たとえば明治の文豪みたいな感じですね… いや、直接に“古代中華ふう”と言えば正しいのか? 現代人の私の脳にその素材が無いので、照らし合わせることができずに「明治の文豪ふう」と思ってしまう。
窓にもガラスはありませんでした。壁を切ってくり抜き戸を開けただけの簡素な窓です。
(つまり、今までのような現代アレンジのない記憶だったということ)

その窓から外の景色が見えました。晴れた日で、比較的に近い場所に山があり、濃い緑の木々が美しく茂っていました。
季節ははっきりと分かりませんが、たぶん夏の終わり頃でしょう。陽ざしは眩しいが窓から入って来るのは心地良く涼しい風。私は仕事の手を休め、景色を眺めながら風を頬や首元の肌で感じていました。

そのとき、窓の下から溌剌とした青年たちの声が聞こえてきました。どうやら兵士たちが調練のため出かけるようです。
私は彼らの姿を近くで見ようと、階段を下りて行き外へ出ました。建物の中から外へ出たとき目が慣れないため一瞬景色が見えにくくなくなる感じも体感しました。
大勢の勇ましい若者たちが整然と並び調練の準備をしています。私は彼らを眺め眩しく、誇らしく感じていました。隊長に励ましの声をかけると、明るい顔で何か言葉を返されましたが、会話の内容は覚えていません。
…以降の記憶はぼやけます。

それで奇妙だったのは、この記憶を思い出しながら同時に“現世”の意識もあったことです。
現代の私は、VRのように見えるリアルな記憶に驚いていました。何より以前見たときは現代知識が混ざって現代風にも造り替えられた景色が、(おそらく)その時代のまま見えたことに驚愕していました。
「記憶がグレードアップしたなあ」
などと妙に感心していました。

そのまま現代の私は身体の外に出て(外からの視点に移して)、前世の自分をよく眺めようとします。
やはり自分の姿をはっきり見ることはできませんでしたが、対面して向き合うことになりました。
この時、前世の自分がこちらを見たのでギョッとします。

そして前世から現代の自分へ、強いメッセージが響きました。(日本語の音声ではなく意味だけ分かるメッセージです)
頼むから今の平和を味わって欲しい! 日常を味わいつくしてくれ!
と。

私はもちろん当時の気持ち、「平凡に平和のなかで人生を送ってみたかった」という願いを覚えていたので、そのメッセージを深く理解しました。

ちょうどその頃、現代の人生の意味に迷い「無為に時を消化するだけで良いのだろうか」と思い悩んでいました。
何もしていない人生。何も為せずに終わってしまうのではと恐れ罪を覚える日々。
だからこのようなメッセージが過去から飛ばされて来たのだと思います。

以降、私は無駄に忙しくしていた人生を改め、目の前の日常を楽しむことにしました。特に遊び回るというわけではなく、散歩したり読書したりブログを書いたりの素朴な日常へ戻ったわけです。
いつかこの平和な日常は必ず無くなってしまう。貴重過ぎる今を味わいつくさなければ、という想いが強くなりました。

過去との対面


「せっかく身体の中から見た記憶だったら、もっと重要シーン思い出せよ…」と思われることでしょう。(私も後でちらっと思いました)
他愛のない日常場面の再生ばかりで、すみません。

この記憶は他人にはどうでも良い場面でしょうから今まで書きませんでした。たぶん自分にとってだけ重要だったのだと思います。

あのように過去世の自分と向き合い、過去の自分が何かメッセージを言ってくるのは二回目です。(一回目は小説『永遠の雨』に収録)
単なる記憶の再生だと思って見ているのに、過去の自分がこちらを振り向き視線を合わせて来るのでけっこう怖いです。しかも何か言ってくるわけですからおっかないですよ。
もしかしたらこの場合は、アカシックレコードからの記憶DLではなく実際に過去へ飛んでいるのかも? …うーん。謎。

やってやれないことはない… か?


何故、今これを書いたかというと「やってやれないことはない」と明かしたかったからです。

前世に関して曖昧でボンヤリした記憶しかない私ですが、その気になればリアルな記憶を得ることも可能かもしれない、ということです。

実名版を書くにあたって、知識とともに“記憶再生(または過去飛び)”のスキルも上げていかねばと考えています。

これがきっと私の恩返しになります――ここに生かしてもらえたこと、それから長年支持してくださった死者と生者のオーディエンスたちへ。


【関連記事】前に少しだけこの記憶に触れたときの記事:『我傍に立つ』を現実名で書くべきか問題。最近、現実イメージがはっきりしてきた
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