吉川英治『三国志』などの長編を読む時間はなかったので、とりあえずGYAOで無料配信されていたフィクションを観ています。
なかでも参考になるのが『パリピ孔明』です。原作者がよほどの三国志オタクなのでしょう、『演義』キャラを抽出して描いてくれているため参考になります。
当初ギブアップしかけながらも、現代モノとして普通に面白かったので四話まで観ることができました。
たびたびフィクションにしか出て来ない三国志用語があり「何ソレ!?」と思いながら検索して勉強していますよ。たとえば、セキヘイハチジンとか。私には未知の領域だった世界を学ばせていただいています。ありがとうございます。
しかし現代日本設定のギャグでなければギブアップしていたかも。
現代モノとして「空気感」を味わえる
現代の部分、英子ちゃんの出世物語として見れば楽しめますね。
まー 私にとっては音楽のジャンルでも「何言ってるか分からない」用語だらけなのですが。フロウ※って何ですか??
※検索先生の回答:ラップの言い回しのこと、だそうです
現代音楽は分からないけど、このアニメで私は自分の若い頃のこと(もちろん今世の)を思い出しています。
遊ぶタイプでは全然なかったので渋谷通いしていたわけではありませんよ。でも東京に住んでいれば何かと用事があり渋谷には行くことになります。特に、十代後半~二十歳くらいは。
友人の付き合いでライブハウスに行ったこともあったし、渋谷でバイトしたこともありましたのでその当時はよく行っていました。まだ東急東横乗り場が地上で分かりやすかった頃…です。
ただしクラブは行ったことがないです。地味タイプのため、その種の夜遊びには参加したことがないと言うか参加できなかったと言うか。
通りすがるだけだったセンター街では、いつも黒服のお兄さんたちや黒い車に付きまとわれ、「いい仕事あるよぉ」との怪しいお誘いを受けた記憶しかないという…。苦笑
ともかく、このアニメにはそんな渋谷の街の「空気感」があります。
いや、二十歳前後の「空気感」と言ったほうが正しいかな。
英子ちゃんの、夢を追いながらも現実には何もならず埋もれていく日々、ついつい「私なんか…」と言ってしまう口癖などは誰もが経験したことがあるのではないでしょうか?
私もこのアニメで最も共鳴するのは英子ちゃんの呟きです。
自己肯定感の低い現代人らしいタイプかもしれない。現代日本に生まれた子は自虐で育てられているから、いくつになっても「自分なんか…」と思う癖が抜けないのでしょう。私などは未だに「自分なんか」と思ってしまいますからね。そんな呟きをついここで書いてしまい、読者様に励まされて支えられています。情けない。(いつもすみません。ありがとうございます)
したがって、このアニメでは孔明Pの言葉が自分に向けられた叱咤激励のように感じられます。変な状況。
孔明P曰く
「夢を叶えたければ“私なんか”と言う癖からやめましょう」
とのアドバイスが刺さりました。全く仰る通りだと思う。
思わずお前が言うか!と突っ込みましたが…笑。
ツボな台詞
その他、四話でツボに入った台詞や設定。
店長「孔明が何か考えてるはずだ!」店長の言葉に笑った。
英子「だって孔明、何考えてるかわかんないじゃないですかぁ!!」
店長「くそっ、それは否めねぇ!!」
なるほど『演義』孔明を知る人は激しく同意しそうな台詞ですね。
「何考えてるか分からない」と、私もよく言われますがそれはたぶん違う意味です。笑
英子「孔明って休みの日、何してんのかなあって」先生、現代の日本の東京で星は見えませんよ。
孔明(易占の筮竹を広げながら)「そうですねえ… 昨夜、星の巡りを見たところ北斗七星の輝きが強く南から東へ向けて星屑が一筋の弧を描きました」
北斗七星はかろうじて弱く見えますが、微妙な輝きの違いなど判別できませんね。
だから我々は計算上の「星の巡り」しか観察できません。
本日もちょうど星降る日(水瓶座流星群)なのですが、どうせ東京ではほとんど見えないでしょう。昔は夜中に起きて流星群を見に行ったもの。でも、落胆するだけなのでやめました。最近はSNSにて星がきれいなところで撮影された流星群動画を堪能しています。
本日の流星群の時間など:別サイト⇒水瓶座流星群2022
現代の都会は星が見えないから孤独感が募りますね。
満天の星がいつも頭上に輝いていれば、少しは心持ちも違ったのでしょうが。
孔明「…いつか時が来れば分かります」太字のところはちょっとグサッときました。
英子「もー。そういう言い方ズルい。インチキ占い師みたい。ってか孔明は本職は占い師なの?」
孔明「軍師とお呼びください」
軍師は占い師じゃないですよ! 占いの知識は必須だけれども。
ちなみに私は若い頃から占星術師になる気は無かったのですが、ここへ来られる方で「ブログ主は占い師」だと思っている人は多いみたいです。恐縮です。プロになるにはもっと研鑽が必要だと思います。
――以上、四話で面白かった台詞集でした。
『パリピ』のフィクション孔明は自信があって堂々としており、人を食った感じで、今回の話では聖徳太子なみの音感力とコミュニケーション力の高さを見せました。クラブでたくさんの友達作って根回し、など凄いコミュの手腕を見せます。
器用なタイプで私から見るとメチャクチャ羨ましい。
悪意は感じないのだけど見事に史実と反対な能力を持つキャラクターで、これはこれで納得しかねるものがありますね。
あくまでも『演義』孔明という別人格で、皆さんの大事なキャラですから文句は言わないけど、どうか現実と混同はしないようお願いします。
史実の孔明は不器用でコミュ力も低め、音感も弱いほうと思います…。ほぼ室内に篭もって作戦を立てていたわけなので。
(たぶん→こんな感じと思われます。孔明の言語力と文脈力=本質抽出、戦略を立てる際の計画力が高かったことは史実上も明らかですが、音感などは微妙)
私が思うに、このようなフィクションで描かれる「軍師」のイメージは明代など戦争が少なかった時代のものか、日本の黒田官兵衛などの折衝タイプですね。
大陸系で本当の「軍師」、つまり軍事専門家・作戦家はオタク気質のタイプです。
軍師とコミュ力について現実的な話はこちら別館記事で触れていますので、興味がある方はどうぞ。
⇒「オタクは軍師になりたがる」で一考。“軍師”向きの資質とは?
個人的な萌えポイント
最後に。これは本当に私だけの萌えポイントなのですが、英子ちゃんや店長など皆が孔明を
「コーメー」
と気軽に呼び捨てしているところが最高の幸せな設定だと思いました。
ただインテリというだけで嫌われ邪見にされ、嫌っていない人でも壁を造り遠巻きに眺める。そんな隔離環境で育った私は、気軽に呼び捨てで何でも言ってくれる関係に憧れました。
成績調整という最低の努力(?)によって、高校の頃には「バーカ」と気軽に頭を叩いてくれたりする友達を得ましたが、それも結局は嘘で得たもの。
そのままのキャラを認めてくれて、対等に接してくれる人など空想のなかの“王”しか存在しないのではと思っていましたね。
(後にそれは現実イメージだったと分かり、私の今においてもそのまま認めてくれる人たちが現れましたが)
アニメやマンガ、ドラマでも、インテリキャラの扱いはだいたい同じ。これは三国志に限らずです。
全フィクション作品のなかでインテリは「先生」と呼ばれ隔離されているか、サイコパスの犯罪者として描かれるかのどちらかです。
だから私はアニメを観ていても常に寂しさを覚え、傷付いたりしています。
それなのにこの『パリピ孔明』では、インテリそのもののキャラが自然に受け入れられ、「コーメー」と軽く呼ばれる。
これってもしかしたら夢にまで見た世界かもしれない!
たぶん現実の諸葛亮で言えば人生の前半…劉備たちが生きていた頃に近いのでしょう。ちょっと幸せを感じています。
今回そのようなことに気付いたおかげで、挫折せずしばらく観ていけそうだと思いました。
英子ちゃん可愛いし。(むしろそれが一番魅力)
また何か感想を抱いたらレポートします。