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「ほめないで」と言う子供たち続出。実は恐ろしい褒め言葉と、正しい称賛の受け止め方

積読メモ。

昨日、この書籍を見かけタイトルと紹介文に驚愕していました。

先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち
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令和時代の若者心理、その驚くべき実像とは?

目立ちたくない、埋もれていたい、浮くのがヤダ。人前でほめられると、帰りたくなる。 今、こんな若者が激増しています。これはいったい、どんな心理なのでしょうか。

【あなたのまわりに、こんな若者いませんか?】

5人で順番を決めるときは3番目か4番目を狙う
均等配分にこだわるあまり、料理の取り分けができない
自分より友だちがよく撮れている写真をSNSに投稿する
「若手が活躍する会社」に就職したがらない
社会貢献活動は「頼まれたら全然やるんですけどね」
言われた以上のことはしない …etc.
これはほぼ私のことです。まさか自分が「令和の若者」だったとは知りませんでした。(違う違う、笑)

時代がようやく私に追いついた! ということですかね。喜ばしい追いつき方ではないですが。

埋もれたい願望の人生だった


私は均等配分を除き、この書籍の紹介文で上げられた項目にだいたい当てはまる人生を送ってきました。
ただし「いい子症候群」と言われると全く違います。「いい子」と呼ばれることこそ何より恐れたので。
(今は、演技しても無意味だった、どうせ道徳家・偽善者と誹謗中傷されるのは避けられないと気付いたため開き直っている状態)

「均等配分を除き」について解説しますと、結果の平等(共産主義)は絶対ダメだと思っていて、機会の平等という公平さを求めている者です。何故なら実力のない怠慢な人が、がんばった実力者と同等の報酬分配を受ける社会は真の意味で不平等でしょう。犯罪者と嘘つきは罰せられるべき。努力した人は報われるべきだ……
と考えているのですが、この場合も言われてみれば、「称賛を受けて報われるべきだ」としてイメージするのは他人。自分についてはそっちのけで、「褒められるべきだ」と思ったことは一度もなかった気がします。

完全に令和若者を先取りした、埋もれ志向の人生でしたね。
内心ずっと冷汗をかきながら「普通の現代人」という仮面のキャラを演じてきたことは何度も書いた通り。
上司や家族に言わせれば、無意識に突飛なことを口走っているので「ぜんぜん演技成功してないよ」と言われますが…(笑) 初対面の人には「普通」「目立たない奴」と思われているはず。たぶん。

同世代とのギャップは断崖絶壁級だったのか


上の書籍レビューにて
ジェネレーションギャップの深さ!

「私はもう社会人10年目だから、新人の気持ちがわからなくてうまくコミュニケーションとれてないのだろう、どうしたら上手くサポートしてあげれるかなぁ」と悩んでおり、本書に辿り着きました。
なんかもう…私の言い方と話術の技能とかじゃなくて、前提条件からズレてる可能性を示唆されて愕然としています。
人前で褒めちゃ駄目だったん!?から目から鱗体験の連続でした…。
たくさんヒントもらいました。相互理解にむけてがんばります。
と、たぶん私より一回り以上も年下の方が書かれていて愕然としました。

では、同世代の人たちのなかで自分はどれほどの「ギャップ」で生きていたのかと。
断崖絶壁くらいのギャップだったのか。

なるほどそれでは友達に理解を求めても無理だったのだよなと思います。
周りの人たちから見れば想像もできなかった、「信じられない」存在。幽霊同然に存在しないはずの人間だった。
だから演技をしていたなどのカミングアウトすると100%嫌味だと受け取られ、「サイテー」と罵倒されるのが落ちだったのです。

「褒めて伸ばす」に偏った教育の弊害


振り返れば、私の子供の頃は日本人の多くが根拠のない自信を抱いていた時代でしたね。
子供たちに対してもムチよりアメが多く与えられるようになった時期だったと思います。

ちょうど叱る教育から“褒めて伸ばす”教育へ移行していた時代だったのでしょう。「褒めることは良いこと」とされて、全校生徒の前で賞状をあげることも手放しで行われていました。
さらに、年配の人たちのなかにはまだ儒教精神を持った人も多くて、読書好きや勉強できる「優等生」を持ち上げる文化もありました。
幼い頃の私は見事にそのような「儒教的称賛」の模範となる子供に見えたようで、まあ壮絶に褒められましたよね。その評価を自ら落とすことに必死となっていたのが今の人生。

【関連記事】幼い頃、どんな子供でしたか?
私の人生だけで昭和初期~平成の日本における諸葛亮持ち上げ→貶め工作をプチ体験できそうな感じです。

(同世代のイジメ性質については別の要因があったと思われるためカット)

ようやく今、「褒められるのが怖い」症候群が明るみに出されました。
私が今の若い子たちに対して羨ましいなと思うのは、かつてタブーだったこのような話もできるようになったこと、解説してくれる人が出てきたことです。
このことだけを考えれば、少しは良い時代になったのかもしれないと言えます。
もし私の若い頃にこのような話が表で語られていたなら、「世界に自分のような人間がたった一人なのだ」と思い込む必要はなかったし、別キャラを演じるほど追い詰められることもなかったのでしょう。

ただし表で語られるようになったということは、それだけ自分と同じ遠慮タイプが増えたということですね。
それはそれで、健全な社会とは言えないのかもしれません。

少しは称賛を素直に受け取るようになろう


最近では「褒める教育」の有害性も叫ばれるようになりました。

たとえばアドラー心理学などは
「褒めるな、叱るな、教えるな」
と主張しています。
褒めることも叱ることも同じように、報酬・恐怖による「支配」だと言うのです。

脳が未発達な子供に対しては確かに正しく鋭い指摘でしょう。
ただし大人に対してまで賞罰否定を徹底するのはいかがなものかと私は思っていますがね。
賞罰なし、教えることもしない、では新人に仕事も教えられず企業活動が死んでしまいます。犯罪した人を裁判して処罰しなければ社会も崩壊してしまいます。社会がある限り「他人へ何も干渉しない」のは不可能と言えます。
…まあ、そういう極端な話ではなくて、「褒めるも罰するもほどほどに」ということですね。
それより「的確に、正当に」のほうが良いと私は思いますが。罰せられるべき人が罰せられる、報われるべき人が報われる社会になれば皆が納得して自分で目標を見い出しがんばれるはず。経済も回るようになる。

さて、このように教育する側だけの問題を叫ぶばかりではなくて、「褒められること」に委縮し過ぎてしまった我々も態度を改善すべきと思います。

私の若い頃、褒められるたび否定してばかりいたので年上の人から「失礼だぞ!」とものすごく怒られた。それで目が覚めたというお話を前にしました。

他人は滅多に心から褒めてくれないものです。
ましてお世辞を言う場面でもないのに称賛してくださった場合、それは誠心誠意で選んだプレゼントのようなもの。その気持ちの篭もったプレゼントを目の前で叩き落すようなことをすれば相手はどう感じるか? 想像すべきだということです。

令和の若者たちも、「人前で褒めないでください」などと相手に要求してばかりいないで、相手の気持ちも尊重すべきと思います。
もちろん子供のときは無理でしょうが、大人になったらありがたさに気付いてほしい。そこから大人への第一歩が始まるのかな、なんて思っています。

こう言いながら私は今も完全にできていないかもしれませんが。以前に比べてずいぶん素直に受け止められるようになってきた…のでは?
むしろ最近では過分だと思える評価でも、自分を高める目標として受け止めるようにしています。

自分を認めて自律的に生きるために


私の場合、低くなり過ぎた自己肯定感を正常に戻すには年齢的にかなり遅過ぎました。
人生の終わりにでも治癒できるなら幸福なほうだと思いますが、若い人たちにはもう少し早く気付いてほしいと願います。
このまま自信のない遠慮がちな若者ばかりで溢れたなら、日本は競争力を失い沈没するいっぽうです。

上の書籍には自己肯定感を高める方法が具体的に書いてあるのでしょうか?
効果があるか分かりませんが、実践してみると良いですね。

個人的にお奨めするのは鏡を見るように自己分析し、自分の良いところと、ダメなところを肯定的に認めること。
よく言う「強みと弱みを知ること」です。
そのために性格診断(専門的なものに限る)を活用するのもいいですし、他人に言われた評価のうち正当なものを手掛かりとするのもいい。

たとえば「君は~の才能があるね!」と言われたら、恥ずかしい自惚れと思わずに真に受けてみる。そのことで道が開ける場合がよくありますね。(私は真に受けることができなかったので今この体たらくなのです…)

なお、ただの悪口は自分とは関わりない言葉として完全無視で良いと思います。
悪口はたいてい、「相手を貶めたい」という目的だけで発せられた嘘つきの言葉。何も事実を反映していませんし、役に立つ情報もありません。
むしろ悪口に引きずられてしまうことによって可能性を自ら潰し、人生を傷付けることもあります。
他人を貶めたいなどというネガティブな精神しか持たない相手と関わるのも人生の時間がもったいないですよ※。無意味な悪口は心の中のゴミ箱に棄てましょう。


※ちなみにいつも書いていることですが、別館で蜀人物への悪口に憤っているのは、歴史捏造・道徳破壊・人民洗脳(悪事の正当化)という非人道行為への憤りです。「個人への悪口に怒る」感情とは少し違います。もちろん私自身が彼への悪口に引きずられて自分の人生を傷付けている、ということは全くないのでご心配なさらず。私個人は、皆様からの温かいメッセージを真に受けて自己信頼を高める日々です。
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