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「運命の人は待っていても現れない」転職で年収一千万の人曰く

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もう一つネットメディアを眺めての雑談ですが。この文章に打たれました。
 運命の人は、いくら待っても僕らのところには来ません。でも、自分から探しに行くほうが、ずっと楽しい。僕は心からそう思っています。自分の意志さえあれば、人生は新しく始められるのです。

『転職が僕らを助けてくれる――新卒で入れなかったあの会社に入社する方法』より
まったくその通りだと思います。
「望んだ人生」があるなら自分から動いていけば、必ず何らか道は開けるでしょう。
“何らか”、ね。
それは浅はかな地上の感性(≒欲望)で望んだ通りとは限らないのですが、「運命が導くところ」へ行き着くことにはなるでしょう。

信念を持ち夢をつかんだのは凄い


この記事を書いている方は、高卒でありながら転職し続けた結果として今は年収一千万円だとか。
凄いことだと思います。
まあ就職氷河期で完全買い手市場、学歴でのふるい落としが絶対だった我々のときとは時代も違うのでしょう。
しかし、売り手市場となった今であっても高卒では望んだ会社に入れなかった。これが現実。「学歴差別なんか存在しない」は嘘ですよ。それでも彼は就職後、たくさんの会社に応募して落とされながら諦めずに面接し続けた。転職もたくさんしたのかな? その結果、「わらしべ長者」的に高年収を獲得したようですね。

何が“成功”かの定義は人によって違い、必ずしも高年収を得ることだけが成功とは言えない
ただ彼に限って言えば、高年収が目標だったので夢を叶えたと言えるのでしょう。

人によってこの目標が「充実した仕事による生きがい」だったり、「波乱万丈のワクワク感」だったり、「安定した生活での精神的豊かさ」だったりと異なります。
ここを間違ってはならないと思います。
成功の定義を「高年収」や「著名になること」だけに画一化して、彼の結果だけをチヤホヤしては駄目。その結果が得られていない自分を貶めて落ち込む必要もない。

この話で称えるべきは、ブレない信念に基づいて行動し続けた彼の生き方でしょう。

人生目標は人それぞれ。だが行動なき達成はない


運命論的に言えば、この記事を書いた山下良輔さんは「満足いく仕事で高収入を得ること」を目的として生まれてきたのでしょうね。

低次元だな… と思うなかれ。過去生では職を失い子供を餓死させたなどの経験があるのかもしれません。あるいは、前世ではエリート家系に生まれて余裕の人生を送ってしまったので、今世では低い位置から努力で勝ち取ることを経験したかったとか。
(さらにこの後どうなるか分かりません。思わぬところに落とし穴があったりして、大事なのは収入だけではないと気付くことになるかもしれない。それも今の地位がなければ気付けないことです)

人生計画は人それぞれ。目標も人それぞれです。
一時的に単純な富や名声をを求める人生もあるでしょう。その逆もあります。
要は心に従って、行動していくということが大切です。

「行動しなければどんな人生も始まらない」、これは真実。
待っているだけでは白馬の王子様も、白馬に乗ったオッサン(笑)も現れてはくれないのです。

たとえば、おなじみ諸葛孔明だって引きこもりで三顧の礼を待っていただけではありませんからね。
史実では自分からお城へ行ってガラスの靴を落としてきたのですよ。
(…いつものことながら気持ち悪い表現ですみません)

【史実参照】 三顧礼の真相。本当にあった? なかった? 考えてみる

これは別に初めから採用されることを求めての行動ではなく、周りに強制されるなどして「とりあえず」行ったわけですが。つまり城主とは「運命に導かれて」出会ったもの。しかし行動した結果として運命の出会いを果たしたのだと言えます。
金持ちになったわけではないし過労死していますし、名声を得たとしてもオモチャにされるだけ、世間の価値観では「成功」した人生とは言い難い。しかし深い絆を得るなど精神的充実は得られましたね。このため、本人視点からは成功と言って良いのではないでしょうか。
たぶん生まれる前に計画したことのほぼ全てを達成した人生だったと考えられます。これこそが行動した結果です。

自分の場合、現在


なお私―― 現在の私について言えば、行動しても世間で言うところの成功≒富と名声を得ることは不可能だったようです。
まともな仕事に就き多忙な生活を送ることすら叶いませんでした。
(あらゆる手段で阻止されました。見えない者たちの介入があることが分かるほど)

今「日本人の平均的な人生」として持つべきものを持っていない私は、他人から見て「不幸のどん底」にあると思えるはず。
きっと見下されているでしょうし哀れに思われているでしょう。

でも得られなかったものは、おそらく私自身が本心から望んでいなかった事柄だと分かっています。
魂の声に耳を澄ませば
「名声なんてもうコリゴリ」
と聴こえてきますよ。当たり前。笑

とにかく「目立ちたくない」とは子供の頃から思っていましたが、まさかここまで極端に叶うとは予想していませんでした。強制隠遁生活です。
せめて安定した生活のために普通に稼げる仕事が欲しいと願ったものの、それもまた要らぬ心配だったようで。
結果として、特に忙しくしなくても安定的な生活を送ることができてしまいました。

どうやら私が持って生まれた人生計画は、
多忙を避けてゆったり人生を愉しむこと
だったようです。

このような運命計画があったことも、行動したからこそはっきり分かったわけです。

ついでに言えば、この安定的な生活をくれた「運命の相手」とも若い時の行動で出会ったのでした。
孔明にとっての劉備とは好対照に私を“強制隠遁”(笑)させた7室の太陽、今の伴侶ですね。

歩いてみなければ壁も分からない


“全ては偶然ではなく必然だ”
とは真実ですが、何かしら行動していかなければ必然が目の前に表れてくることもないでしょう。

生まれたときの我々は記憶という地図を失い、迷路の入り口に立たされているようなもの。
どこに壁があるのかさえ歩いてみなければ分からない
曲がりくねった角の向こうに隠れている運命の人とも出会えません。

心はこの迷路において唯一のレーダーとなりますから、心の声に耳を傾けつつ歩くことが重要です。
そう言いながらも迷路のなかにいるうちは、「一般の価値観」に惑わされて道を見失ってしまうことも多いでしょうか。私もそうでしたし。
でも最終的に自分だけの道を発見できれば“成功”と言えます。
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