三国志、歴史|隆中譚

    悪口メール(孔明+筆者に対する)への応答と、この人生を振り返って最近気付いたこと

    ここのところ何件か、ややこしい方の相手をしていたもので記事も書けませんでした。

    「ややこしい方」とは。
    一件だけ公開できるのはこちら。

    諸葛亮に対する悪口と、筆者へ嫌がらせするためのメールです。とても不快な内容ですので、大丈夫な方だけお読みください。長文です。

    【別館】他者の言うなりが「人道主義」?? 赤**氏の悪口メールに反応してみた

    魏延のことなど聞いて来ましたよね。
    当然、ものすごく非人道な意識での嫌がらせです。精神レイプというやつでしょう。本当におぞましい。

    どうやらここのブログを表面的に読んだ方のようで、筆者と諸葛亮を混同して※支離滅裂な文を送ってこられました。
    ほとんど意味不明なのですが、一応私のほうで整理して返答してみました。

    ※補足。「混同しているのはお前じゃないかw」という声が聞こえてきそうですが、たとえ完全に共鳴している人物であっても私はきちんと区別していますよ(気持ちを一致させて語るときは先にそう断り書きを置いています)。時系列をごちゃまぜにして、言動もシャッフルし、「誰がいつ語ったことについての話なのか分からない」状態で話すのは支離滅裂と言えますね。これは現世限定であっても同じこと。「いつ・どこで・何というタイトルで書いた記事の何々という件」と明確に指定するのが、議論の最低限のルール。「何についての話なのか」対象が分からず支離滅裂な文は、お話になりません。
    たとえば一人の作家であっても、ペンネームが変わればその時点からの作品は新・ペンネームで呼ばれるべきです。ペンネームが変わらない場合でも、作風が変われば区別されて語られます。ゴッホやピカソの作品だって、「初期」「中期」「後期」などと呼ばれているではないですか。(時と状況が違えば細部まで完全に同じというわけではない。実際、私はここで現代日本人のアイデンティティを載せて語っている)

    一点だけ、ここでしかできない話を書きます。
    「赤眉」と名乗る人のメール(5/23)から引用:
    もう一つ質問です。
    この人物は「正当に評価されていない」という悩みを抱えています。
    人の話を聞かず、融通が効かず、人を対等に思わない人物(※)は正当に評価されるでしょうか。
    また、彼に因果応報が対応する前世か来世があったとすれば、「人々に必要以上に持ち上げられる/評価されない」ことを経験する必要に迫られる/迫られただろうと考えますが、どうでしょうか?
    後半の因果応報について。それは全く違いますね。因果応報の意味も分かっていないらしい。

    そもそも「人の話を聞かない」からといって、過剰・過少に評価されるというのは意味不明(笑)です。
    運命は地上の算数のように単純ではありませんが、少なくともこの方の思考回路のように支離滅裂ではありませんね。

    あと、上記事でも書きましたがプライベートとしてお話しすると、今世で「正当に評価されない」と悩んだことはなかったと思います。
    そもそも何が正当な人生かどうかなど、基準がありませんし。最低限、今の低い能力であっても相応の仕事が欲しいと望んでいただけです。
    でも、どうやら私の人生計画は違ったようです。
    これは少なくとも「人の話を聞かないから」受けた罰ではありません(笑)。全てが「保護(守護)」だったと思います。

    最近振り返って思うに、どうもこの人生で私の運命は日本の社会に深入りしないよう設計されていた気がします。
    これは本当にごく最近気付いたことなのですが、この国は根底から何者かに乗っ取られ入れ替わっていますね。汚染されている、と言ってもいい。
    だから私はたぶん、この社会に深入りしてはならなかったのです。深入りしないよう守ってもらっていたと理解しました。日本を汚染している、あんな非人道な者たちと関わってはならなかった。

    現代日本は私にとって自分の人生を潰した国、切り捨てた国です。
    過去人格に対しても弄びオモチャにし、あげく吊るして悪口を浴びせている。こんな義のない現代日本人(正しくは、そのなかの左翼)を恨んだことがなかったかと言えば嘘になります。
    だからもとよりこの国へ恩返しをするような義理もありませんでしたが、決して「どうでもいい」とは思っていませんでした。なんとか立ち直って欲しいと願っていました。
    ただ今となっては難しそう。多くの日本人は目の前の危機に関心が無さそうですし、非人道な思想のほうに共鳴しています。
    滅んだとしても同情できないと感じています。
    せめて未来にでも蘇る「日本の種」を残しておきたいと、そんなことだけ考えています。

    こんなふうに思うのも日本人として、一国民としての意識しかないから。皆さんと対等だから、と言うよりむしろ下級国民だからなのですよ。

    前世での、あの「全てを差し出したい」と思った強烈な民への“慈しみ”という気持ちは、やはり親心のようなものだったと思い出します。
    そんな強い愛情を、親心を、あの虫たちは「上から目線」と罵倒し嘲笑していますよね。人間の心が皆無。あまりにも非人間な本性を露呈しており、非道が過ぎます。

    非道な者にはいずれ天罰が降る、と言われているのは喩えでも何でもありませんよ。
    ただの運動の法則ですから、神を信じない者でも必ず報いを受けることになります。それこそが「因果応報」です。
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