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悲劇はサイレント・マジョリティーが醸成するのだよ(追記のお知らせ)

あれから、『悪口メール(孔明+筆者に対する)への応答…』別館リンクを当ブログの関連記事へ貼りました。

おそらくあの者たちは筆者の性格分析記事や、「道徳」の記事をネットの各所でさらして誹謗中傷しているはず。せっかくなので、最大限に宣伝利用させていただきます。
自分たちの犯罪が一般人の目に触れる機会を増やしてくれてありがとう。

ついでに、いろいろと言葉足らずだった箇所を追記していますのでお知らせです。

混同させているのは私、ではありますが


まず、先日の記事にて。
どうやらここのブログを表面的に読んだ方のようで、筆者と諸葛亮を混同して※支離滅裂な文を送ってこられました。
と書いた箇所、おそらく「いや、混同させているのはお前じゃないかw」と思われた方は多いでしょう。

私も書きながら思ったんですけどね。当日はごちゃごちゃ説明するのが面倒で、そのまま投稿してしまいました。

本日改め、このように補足しておきました。
※補足。「混同しているのはお前じゃないかw」という声が聞こえてきそうですが、たとえ完全に共鳴している人物であっても私はきちんと区別していますよ(気持ちを一致させて語るときは先にそう断り書きを置いています)。時系列をごちゃまぜにして、言動もシャッフルし、「誰がいつ語ったことについての話なのか分からない」状態で話すのは支離滅裂と言えますね。これは現世限定であっても同じこと。「いつ・どこで・何というタイトルで書いた記事の何々という件」と明確に指定するのが、議論の最低限のルール。「何についての話なのか」対象が分からず支離滅裂な文は、お話になりません。
たとえば一人の作家であっても、ペンネームが変わればその時点からの作品は新・ペンネームで呼ばれるべきです。ペンネームが変わらない場合でも、作風が変われば区別されて語られます。ゴッホやピカソの作品だって、「初期」「中期」「後期」などと呼ばれているではないですか。(時と状況が違えば細部まで完全に同じというわけではない。実際、私はここで現代日本人のアイデンティティを載せて語っている)
前世云々を否定するわけではありませんので念のため。
“人格一致”を体験した限りは、根底で同一の人格が続いていることをもはや否定するつもりはないのです。

ただ、発言は、きちんとその発言時点での名で呼んでくださいよ。というだけのことです。

時、場所、タイトルの指定は大事。
論文だったら、「何年何月何日~に於いて、筆名~として書かれた『タイトル』の何ページ、何行目」まで指定して話さなければ無効となります。

もちろん雑談のこのブログで、ほとんどの方にはそこまで求めません。たいてい、細かく指定しなくても怒らないのでご安心ください(笑)。投稿年月日など書いていただけるとありがたいですが。
ただし少なくとも他人の言説を非難するのであれば、きちんと日時タイトル行数(ブログの場合は具体的な文章)を指定し論理的に書くべきです。
それなのに、ブログ記事の投稿日も指定しないどころか、まさかの筆者と過去の人物をごちゃ混ぜにして支離滅裂な文を送り付けるとは。頭の悪さが狂気レベルに達しています。なるほどAIが「人類の迷惑フォルダ」に振り分けるはずだ。


悲劇は「過ちをつつくから」起こるのではない、黙るから起きるのだ


もう一つ、追記した記事のお知らせ。
これがおそらく“赤**”氏たちが攻撃対象としている記事ですね。(ちなみに彼らが攻撃対象とする理由は、ただ「道徳」への憎悪ゆえ。文章は全く読まずに「道徳」との単語だけで脊髄反射しています)

「道徳」という免疫側に立ち続けることが私の役割でありテーマのようです

今回の別館リンクを貼るついでにメール文を読み直して、2020年~の悲劇を目の当たりにした後だからなおさら腹の底からの怒りが湧いてしまい、追記しました。
関連記事を書いてから追記。
以下この記事では長々と誠意を篭めて書いたのですが、メール主には1ミリも伝わらなかったようで残念です。「他人の話を聞かない」のは明らかに向こう側のほうだと思いますね。

もちろん別館で引用したメールで分かる通り、歪んだ解釈をするあの集団に対しては完全に無駄でした。
私や孔明を悪者に仕立てたい人は、文脈を無視して「自ら道徳教師を名乗った上から目線の偽善野郎」と呼ぶ。とにかく敵と定めた相手を貶めるために結論ありきのレッテルを貼り、暴力をふるうだけの者たちなのですよ。何故なら、初めから相手の存在を否定して消すことだけが目的だから。「叩き潰す理由がなければ、でっちあげればいい」と思って歴史捏造までする。

冒頭メールを送ってこられた方のようなタイプは、あの暴力をふるう側の“過ち”=嘘・強奪・大殺戮だけを一方的に許せと言います。そうして現在進行形の過ちを批判する声を封じ、破壊行為や殺戮に加担している。
悪事遂行のために被害者へ沈黙を強要するとは、まるであの世界一の殺戮を行ってきたカルト教の教義のようです。

この記事を書いていた段階ではメール主が仰る通り、私の発言のせいでモンスターが発生したら困ると思ったので方向転換しようと思っていました。
しかし直後にあのような世界の悲劇を目撃し、やはり黙っていては駄目だと考えを改めました。
「過ちをつつき過ぎたから戦争が止まらなくなった」というのは嘘ですよ。前回の世界大戦のときも、人々は真実に気付いていながら叫ぶのが怖くて黙りこくっていたために、悲劇が止まらなくなったのです。
サイレント・マジョリティーこそが悲劇を醸成する。

今日、改めて上のメール文を読み直して再び怒りが湧いてきました。後から怒りを呼ぶタイプの文です。
表面だけきれいに整えられた言葉。あの説教をして他人の口を塞いでいる側はさぞ心地いいのだろうなと思います。

“今起きている全ての問題は、自分も含めた「全ての人」が「人を本当の意味で人として見て」解決する必要がある問題”とは。
拷問現場でも同じことを言って被害者の口を塞ぐのか? (おそらくこのメールを書いてきた人ならそうするでしょう、暴力をふるう側に「やめろ」と言うことこそ悪だと仰るのだから)
きっぱり言えますが、こういう人のことこそまさに「偽善者」と呼ぶのです。

あのメールを送って来られたような人たちは、2020年に目の前でバタバタと倒れ死んでいった人々を見ても
「ウイルスを(故意に)まいた勢力の過ちを責めてはならない。右の頬を打たれたら左の頬を出せ、枠沈を三回・四回…と打て」
と伝道師のような微笑みを称えて言っていたのだろう。
そう思うと怒りと悲しみが湧いてきます。

若いうちなら、どこかで耳にしたような綺麗ごとを言いたくなるのも仕方ないと思います。
私も若い頃には「全ての過ちを許そう」的な綺麗ごとを口にした覚えがあります。
でも、それがどれだけ暴力の被害者を踏みにじる言葉だったか。どれだけ人類にとって有害な考え方だったか今では深く理解して、反省しています。

「悪などない。過ちを責めるから、戦争が生まれる」
とは、犯罪者自身がばらまいた、犯罪しやすい世界を造るための嘘だったと気付いて欲しいです。

そして悲劇を育てるのは罪を責めるからではなく、黙るから。
1930年代のドイツや日本、1949年以降の中国で起きた実例を学んでください。
止められるはずだった人々は皆、「私たちが黙っていたからジェノサイドを招いた」と後悔しているのですよ。

狂気にかられた破壊者は、実はほんの少数。
その少数に従い、「悪を責めるのは罪」などといった嘘を鵜呑みにして黙ってしまうから嘘も強奪もやりたい放題となる。そうして過ちを黙認しているうちに、自分の親が、子が殺されてしまうのです。

かつて流行った欅坂46の歌『サイレントマジョリティー(物言わぬ多数者)』などのメッセージ※も分かりやすいはず。
どこかの国の大統領が言っていた 声を上げない者たちは賛成していると


※この曲じたいは、「多様性の一本化」という謎の二重思考(二律背反)を掲げる左翼を利するための歌なのかもしれない。ただし「多様性」は彼ら自身の首を絞める。何故かずっと「マジョリティーは自分たちの味方、だから多くの民衆が選挙に行けば我々の政権奪取が叶う」と思い込んでいる彼らだが、実際の結果はこちら。そもそも「サイレント・マジョリティ」とは「左翼の声は大声だがほんの少数。国民の大多数は左翼と同意見ではない」という意味で使われた言葉。
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