⇒GYAO パリピ孔明
犯罪者への応答には時間を割きながら、誠意ある作品に対しては怠慢な私。一番ダメですねえ、こういうの。まじで申し訳ない。
私の弱点は、「ここは大丈夫」と思って危機を感じなくなると興味が薄くなってしまうところです。
もともと人間はネガティブ・バイアスといって悪いほうへ目を向ける性質がありますが、私はかつての職業病※なのか、一般よりもそのネガティブ・バイアスが強いようです。
※軍事ではIF文を書き危険な穴へ意識を向け、防衛を強化せねばならない。その癖が抜けないのか、私には危険な箇所にこだわり突つき回す傾向がある。(ただそれが世界を悪くするのではなく逆。→悲劇はサイレントマジョリティーが醸成するのだよ)
それで、どうやら『パリピ孔明』は歴史捏造の犯罪が行われておらずリスペクトがあるらしい…と判断できた頃から視聴の熱意が鈍ってしまいました。申し訳ない。
(あと前にも書いた通りラップが苦手、バイブス苦手、音楽用語について行けないせいもある。古代人の前に昭和人。笑)
見逃して後悔。民草を感動させる話は観たかった
見逃したところは英子ちゃんが“民草(たみくさ=聞き手)”たる親友に歌を聴かせ、涙を流させた話だったらしい。
最高に良い話だった気がします。
見逃して損しました!
始めは『演義』の嫌なところも描かれていてどうかなと思いましたが、次第に良い話へと変わりつつあります。孔明も演義から脱して、ちゃんと本人の意思を尊重するように見えて良かった。
音楽のことは苦手なのですが、この物語に流れているテーマは私が日ごろ考えていることと一緒で嬉しかったですよ。一緒だったのは以下の意見。
「自分らしく生きろ。個性を出して表現しろ」
「自分で考え、自分の意見を持て」
「金欲しさに卑しいエンタメ書くな。我がままな“自称民”の奴隷となるな、ポピュリズムのカルトに陥るな」
「有名無力、無名有力。自分を棄てた奴隷になるくらいなら少数の本気の支持を得たほうがいい。ストリートで魂から歌え! ネットの片隅で本物の言葉をつづれ!」
等々
ずっと思っていたし、いつも言ってきましたね。現代人にはほとんど(ここのブログに通われている少数の方にしか)耳を傾けてもらえませんでしたが。
(まあ、今の私は「無名無力」状態だから大勢に耳を傾けてもらえないわけですが。それでも魂を悪魔に売って操り人形となるよりは幸福だったと思います)
物語では、英子ちゃんの親友は実は有名アイドルで、悪徳マネージャーの奴隷となっている。とても不幸な状態です。
現に今の時代ではよくある話でしょう。
と、言うか現代日本も米国も、売れている作家やタレントのほとんどが悪しきものの奴隷だろうと思います。
今は完全に「左」の価値観に即したことを言い、「左」の工作で善悪反転の嘘をつかねば世間から消されてしまいますので、表に出ている人の100%が奴隷と言えますよ。まさにディストピアです。
こんな時代で売れたりするのはむしろ不幸なことだと言えるのかもしれない。
私が先日の記事で、「この国の社会に深入りしなくて良かった。守護されていたのだ」と書いたのは、このどうしようもなく根底から蝕まれているディストピアに気付いたためです。
おそらく『パリピ孔明』では英子ちゃんの歌声が人々の心を動かし、真なる人気を獲得し、表の世界で成功を得ていくのでしょう。
実は、それこそ三国時代で現実に起きたことでした。
あの時代の人々は「心」で生きていたために、真心が伝わって人気が爆発したのだと思います。
――でもそれは今となっては、“漫画の中だけ”で起きる話。
世に言う、
「自分の気持ちなんか出して表現したら絶対ダメなんだよ。売れたいなら、大衆が求めるエログロを提供しなさいよ。それがエンタメであり、売れることだけが正義。心のある創作は悪。どうせ大衆は上等なものを理解できないんだから、心を抜かないとダメ」
というエンタメ業界の主張が現実となってしまっているのが現代ですね。
(創作でもずっと善悪反転、心の破壊が行われているわけです)
残念なことだけど、こんな心が失われた悪魔の世界で奴隷になるくらいなら、“自分”としてストリートで叫んだほうが人として死ねるではないですか。
私なら後者を選びます。
稼げる作品だけが正義?
違いますよ。
人の心を動かす作品だけに価値があるのです。泣かせるつもりもなく、泣いていただける(または笑ってもらえる)メッセージを世に出せたなら奇跡です。
創作を目指す皆様へ、どうかエンタメ業界の善悪反転の嘘を信じることなく、英子ちゃんのように魂から歌ってください。
心と心の共鳴だけが人を救うのだと私は今も信じています。
アニメについて細かな感想
一応、今回の話について気になってしまった場面をメモしておきます。

ムスカ? いや、シャアか?? (…と沸く昭和のアニメファン)
ではなく、この場合は曹操か。
いかにも曹操らしいファシストぶり。こういうのに萌え萌え叫ぶ現代日本人が、私は気持ち悪いなと思います。
それはたぶん自分もファシストになって残虐なことを愉しみたいという願望の現れ。だから気持ち悪いのでしょう。

この場面は、危うく泣いてしまうところでした。
いや……正直に言いましょう。薄っすら涙で曇ってまともに見えませんでした。(後でこうして場面を探す時にようやく直視しました)
私の知る場面と完全に同じ、だからではありません。
この場面を描いてくれた漫画家さんとアニメーターの誠実に感動したものです。
でも、劉備が貴公子ふうのイケメンとして描かれているのは苦笑しました。もう少しオジサンで、丸いフォルムのほうが良かったな。笑
それと頼むから劉備を平伏させないでください。膝をつかせないでください。そこはフィクションで劉備の人格を正しく表したデフォルメなのでしょうが、こういう映像を見せられるのは本当にちょっとキツイ。
……あと冒頭シーンもまさかの史実をきっちり描いてくださって嬉しかったですが、これは別館向きの話と思うので別館で引用しましょう。
その後:書きました。>>劉備と孔明はリアルタイムで人気だった件(史実)と、カミングアウト
まとまらない感想文。疲れたのでとりあえず投稿して寝ます。昨日~今日はたくさん書き過ぎました。
(なお、『パリピ孔明』については今後もレビューしていきたいと思います。応援するためです。歴史に興味のない方には、邪魔な記事で本当にすみません)