三国志、歴史|隆中譚

    劉備と孔明はリアルタイムで人気だった件(史実)と、カミングアウト

    昨夜「別館で引用する」と言った『パリピ孔明10』の冒頭、記事にしました。

    【史実】劉備たちはリアルタイムで超絶人気だった『パリピ孔明』アニメ第10話から

    たぶん今回は閲覧注意の箇所はありません。積極的に大勢の方に読んでいただきたい内容です。
    どうか拡散をお願いします。

    この話では私の「記憶語り」を裏付ける史料を引用しています。
    裏付ける、と言っても、あれだけではとうていあの声援を表すに足らないのですが。

    史家たちはどうして当時の大熱狂を書いてくださらなかったのか? 

    ・当時の人にとっては書く必要もないくらい当たり前過ぎる現実だったから
    ・国家のことは書いても一般庶民のことは書かないのが史書として通常だったから

    などという理由が考えられ、仕方ないとは思いますが。

    それでもこうして、かろうじて当時の熱狂ぶりがうかがえる文が残っていたのはありがたいです。
    「書く必要が無かったのに文に漏れ出してしまった」という事実が存在するだけでも、当時の凄まじいフィーバーぶりが推測できるのではと思います。(推測できない歴史家もいますが、W大あたりに)

    ところで今さらながら、「記憶語り」などと表で言って良かったのか? 
    そもそも私の記憶を三国時代に重ねていいのかどうか、倫理的な面では疑問の余地がありますね。ただ現実的には、ここまで完全に一致する出来事は他に二つとない、私が記憶語りしたところで一つも史書に反することはないと言えます。

    【参考】記録と向き合う。「現実調査」の過程

    だから、もういいでしょうと思います。隠しはしません。私の記憶は諸葛亮のものです。

    今さらの表でのカミングアウト。皆さんもう知ってた。笑
    “敵方”にもバレてしまって今度は私が吊るし上げの対象に定められたらしいので、隠し立てする必要もなくなりました。

    というわけで、これからは表でも少し三国時代の話をしていきます。歴史嫌いの方にはご迷惑でしょうが…。
    今後も客観的な史書の話は別館へ。記憶語りのウエイトが大きい場合は当ブログと分けます。

    ただし、ほんとの記憶語り――史書抜きで純粋に私の記憶を語る話は拙著『我傍』読者様限定のままとします。
    公開すれば要パス記事を読むために本を買ってくださった方々に申し訳ないからです。
    それに私の小説を全文読まずに、一記事だけ切り取って読んだ方には伝わらない話もあります。
    (小説を読んでも地獄出身の方は歪んだ脳で曲解するのでしょうが。地獄虫は無視、虫だけに)

    実はまだ「自分の記憶は自分のもの」という意識があります。
    公開の場で現実名を名乗って、手あかのついたイメージに乗っ取られたくないという気持ちが残っています。

    名前だけでは分からないことがある、ということを知っていただきたいと思います。イメージだけでの脊髄反射レッテル貼りは、もうやめてください。

    無名ながらに今の私にも「20世紀~21世紀の日本に生存している個人」としての自覚、アイデンティティがあります。たとえ自分の前世でも乗っ取られたくないと思っている。
    だから意識のうえで、今と前世を区別しているわけです。継続し、共通した性格(育った時代環境が違う・立場も違うため完全に同じなわけではない)はもう分別しようもないけど。

    【関連記事】雑談2 「前世と今世、変わった所変わらない所」に乗ってみる

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