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「草船借箭(そうせんしゃくせん)」とは? 史実孔明は人を騙すことなど一番苦手ですが…

最近は三国時代の話ばかりで、興味のない人には本当ゴメンナサイと思っています。

若い頃、延々と歴史の知識を披露するオジサンを見て「嫌だなー。ああはなりたくない」と思っていたのですが、気付けば自分がそうなっているという。

ご存知のとおり不可抗力。
おそらく実名で私しか語れないことを語ると、延々たる歴史話となります。

それにしても昨日のようなネガティブな話ばかりでは公害かなと思うので、軽めの雑談を書きましょう。アニメの力を借りて。

『パリピ孔明』11話感想


昨夜駆け込みで『パリピ孔明 第11話』、観ました。

※以下ネタバレあります。これから観る予定の方はご注意を※

「草船借箭(そうせんしゃくせん)」ですか……うーん。

【草船借箭とは? アニメより解説引用】
西暦208年、長江。
曹操軍100万に対して、孫権と劉備の連合軍3万で立ち向かった、いわゆる「赤壁(せきへき)の戦い」。
その際、劉備軍の孔明は、呉の武将・周瑜に「10日で10万本の矢を調達するよう」頼まれた。しかしそれは誰の目から見ても不可能な要求だった。
それもそのはず、周瑜が目障りな孔明を排除すべく無理難題を吹っかけたからだ。
しかし!
孔明は10日どころか、たった一晩で10万本の矢を用意して見せた。その方法とは濃霧のなか、藁人形を載せた船団を曹操軍の陣地へ向かわせ、敵襲だと勘違いした曹操軍により放たれた矢を、そっくりいただくというものだった。
kome11.png
まず曹操軍100万にオイ!と心の中で突っ込みを入れました。 
『演義』の実際の表現は知りませんが、フィクション内で年々曹操軍の数が増えている気がするのは気のせいですか?
(もしかしたらこれも曹操さまを称えるCプロパガンダ? だとしたら逆効果なのでは、笑)

それと、ご存知と思うが「孔明が10万本の矢を持ってきた」という話は、孔明エピソードとしてはフィクション。
史実では呉がこういうことをしたと記録されています。

いかにもフィクションっぽい話なのだけど、史実なのですね。呉人の優秀さと狡猾さが際立つ逸話。
でも実際、敵の武具を奪って再利用するということは戦場では当たり前に行われていたと思います。あえて記録する必要もないくらい頻繁に。
特に矢は再利用しやすいですから、放ったら敵にあげたも同然となることは分かるはず。だから逆に、いかにそのような損失を少なくするか(つまり、ムダな攻撃を抑えるか)が指揮者の腕の見せ所と思います。

で、そんな呉人の「騙し討ち」を孔明のせいにされるという、赤壁フィクションは慣れているからもういいのですが……。

アニメでは現代に置き換えて、
「10万いいね!」
を得るために孔明が観客を騙すようなことをした。
これは
「良くないね!!」
です。

敵を騙し討ちして10万の矢をかすめ取る、のは戦争だから普通と言える。敵同士、どちらもお互い様であるし。

しかし観客は敵ではない。「民草」たるお客さんを騙すのは、絶対やったらダメなこと。
お金で「いいね」を買い、工作員を使ってプロパガンダしている、ファシスト共産党の主席(ななみんを奴隷使いしている悪徳事務所社長)と同じになってしまうでしょ。

まあこれは敵方のファッショが金で観客を釣るという悪事を先に行ったので、寄って来た金に群がるだけの大衆を逆利用した、ということに過ぎないのかもしれない。
金だけに群がっている人たちは、その時点では“観客”とも言えないですからね。

だが、こういう話はあまり気分が良くない。
特に工作員を予め放っておいて、真相に気付いた大衆へ「あれは偽物だ! デマデマ!」と叫ばせ攪乱させるところなど、今現にSNSでアチラ側がやっているプロパガンダと同じ。あのおぞましい現実の工作を投影してしまい、不快になりました。

ただ日本アニメですから、これで終わらないでしょう。たぶん。
華流ドラマの場合はこのまま悪どいことでもスルーして「作戦に勝ったから良し」となってしまう※ところがあり、私はいつも不快を覚えているのですが、日本アニメは違いますよね?  ね?

現にちゃんと観客の反応もリアルで、その場にいた全員が英子ちゃん側のアンチとなってしまう展開が描かれていました。それはそうなる。
でもそこからの「どんでん返し」があるかな。

この後、感動の話に繋がりそうな伏線が読み取れましたので次回を期待して待ちましょう。


※この差について、「中華は騙し討ちを良しとしてきた文化だから」「道徳が無いから」と言うのはヘイトです。確かに戦場において兵は詭道と言われましたし、さらに近代中華では道徳を破壊されたので今こんな感じになっていますが、本来は道義心のある民族でした。ところでドラマやコミックにおけるこの差は、純粋にストーリーテリング能力の差かなと思います。日本作家の物語を造る能力は世界一だし、中華では言論自由がなく創作能力が育たなかったため差があって当然と思う。でもそれこそ「士三日会わざれば刮目して待つべし」だから、日本人も油断していられませんよ。

騙し討ちが苦手だとヒーローになれない?


当ブログ読者様はよくご存知と思いますが、一応述べておくと史実孔明は「騙し討ち」が苦手な人間です。

【別館・用語解説】 「兵は詭道」について、私(とたぶん諸葛亮も)の考え

だから騙し討ちを得意とするフィクション孔明は、史実と全く異なるキャラクターなのです。

そういえば最近、華流ドラマ『三国志TK』で知ったばかりの上司が言っていました。
「孔明ってさあ、前半と後半ですごいキャラ違うよな? あれって年取って性格変わったってことなの?」

笑……
全ての三国志初心者が思うであろう見本のような感想ですね。

年を取って性格が変わったのではなく、単に

前半:記録が少ないから創作家が好き勝手にキャラクターを造った
後半:発言、行動などの記録が多く残っているため史実通りにキャラ変した


というだけのことです。

つまり、最初から後半キャラだったということ。
(そして何なら生まれ変わったとしてもあまり変わりません)

まあ、本質は自由人で変人ですので、地位に縛られることのなかった若い頃はもっと柔らかい感じに見えたのでしょう。ギフテッドだったのですし。
後半は高みに祭り上げられ、周りの扱いが変わってガチガチに縛られていたため、本来よりかしこまって見えると思います。
「真面目で融通のきかない優等生」とだけ見られるとまた違いますので、そのギャップで驚いた人たちから「変人」「天才」の誹り?を受けてしまうのだと思います。

【要パス】私は何故、「天才」と呼ばれたのか(記憶語り)

とにかく、フィクション孔明の神算鬼謀に作戦を繰り出す感じ、人を騙して平然としている性格は全く現実ではないですよ。残念ながら。

でもこういう創作を眺めていますと、あのように騙し討ちで“戦いに勝つ”キャラクターでなければ人気が得られず、ヒーローにはなれなかったのだろうなと想像します。
リアルタイムでは全くそんなことをせずに人気を得たわけですが、偉大なプロデューサーの劉備がいたからですね。

実際、同じような性格でも素のままの私はこのように人気が得られていないわけで。
(いえ、読者様からの熱烈なご支持を得ているのは存じております。ありがたいことです。ただ一般には受けないよなという意味)

本当にプロデューサーが必要なのは今の私かもしれません。…涙
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