現代世間話

    「さん付け禁止」と反ルッキズム… 愛あるイジりを禁じて孤独の大量生産

    現代通常モードに戻り世間話です。
    tumblr投稿からの転載、少し書き足しあり。

    (当記事は現代の話ですが、自分の事情を書くために少しだけ歴史に触れるかもしれません)

    キャンセルカルチャー推進者のツイート


    まず、流れてきたのはこんなツイート。
    容姿や体型にまつわること
    性差によるステレオタイプなジャッジ
    相手を「いじる」こと

    それらができなくなると「何も言えなくなる」と思うなら、それは「社会が窮屈になった」のではなく、「あなたの世界がそもそも狭かった」のだと思う。誰かの痛みの上に築いた狭い王国で横暴に振る舞っていただけ
    鴻巣麻里香 / Twitter
    そうではなくて地雷がどこにあるか分からないから何も言えなくなるということ。後から何でも言いがかりをつけ相手を攻撃する、あなた方のほうがごく狭の王国で横暴に振る舞う虐殺王。

    もう、典型的なMeToo・ハラハラ・キャンセルカルチャー流行に乗った主張だと思いました。

    【関連する別館記事】多様性、LGBTQ+、夫婦別姓… **が掲げるジェンダー政策の意味とは?

    私はそもそも、この「台本通りコピペ」したかのような言説というだけでも苦手なのですがね。
    よくこんな、誰かが言った台詞の切り貼りを恥ずかし気もなく投稿できるなあ…と呆れてしまいます。しかもそれは日本ではなく、NYあたりでの流行であるし(破壊活動をしている集団の)。

    この方はプロ活動家なのかもしれませんが、そうではないとしたら乗せられ過ぎ。
    NY、おしゃれ、コピペすれば私も最先端と見られる! と考えて安易にこういう投稿しているのが見え見えで、他人事ですが恥ずかしくなってしまいます。
    そんなこと、生まれてから一度も思ったことないのにファッションで言っているでしょ? と丸分かりで嫌になる。

    何故それが分かるかと言うと、私はずっとステレオタイプで差別しない側だったからです。
    ゆえに流行に乗りコピペで語っている人、台本で言わされているプロの嘘がはっきりと感じられ寒気がします。

    見た目で差別するな、とか。
    性差でジャッジするな、とか。
    そんなことは私は生まれてからずっと思ってきましたよ。
    いえ前世だって変わらず、私はその種の差別をしたことがありません――と言うのは記録に残っています※からご存知の方もいるでしょうか。

    前世だけではなく、遥か以前から人を見た目で分けたことはありませんでした。
    何故なら本当に、見た目や性差に興味なかったですから。

    ※余談ながら今世の配偶者は「美」の側だったようです(他人に言わせれば。実際、若い頃は超絶にモテて芸能事務所にも入ったことがあるらしい)。しかし私は付き合う前、そのことに気付きもしませんでした。つまり別に「醜い人が好き」ということではなく、どちらにせよ容姿に興味がないだけです。人によっては怒りますねこの言い方…だから本人には言わない。

    おそらく私は魂の歴史上、ずっとジェンダーレスでしたし非ルッキズムでしたね。
    アンチ、と言わないのはルッキズムに怒り反対する気もないからです。つまりもともと興味がない
    芯から見た目に興味がなかったので、美形をチヤホヤする人の気持ちが分からないけど、「ほとんどの人にとって美醜は大事みたいだなあ」と他人事として眺め認めている感じ。
    美醜に反応できない自分が一人、なんだか障碍者みたいな特殊な人間で浮いていると思ってきました。
    だからと言って、そのことに怒り社会を破壊しようなどとは思いません。あの方々みたいに。

    激しく見た目や性別にこだわり、差別や嫉妬してきたのは彼ら彼女らです。
    たいてい流行好きで他人の主張をコピペして得意になっている、上のような人々が差別の首謀者でした。

    今もフェミニズムや反ルッキズムを材料として他者を排除し潰しているのは彼ら彼女らのほう
    「自分が人を責めるのはいいが、他人が意見するのは許さない(ハラスメント・マウントとレッテルを貼って封じる)」。
    完全なる自己中心で独善。
    全ての文化を潰し、人の絆を滅ぼし分断させる、人類に対する犯罪と思います。

    以下は同じ内容ですが、tumblr投稿の後半も転載しておきます。
    いっぽうで愛ある「イジリ」ができずに、相手の人格を根底から踏みにじる誹謗中傷しているのは、このツイートを上げた種類の者たちだろう。

    いわゆるキャンセルカルチャーの愚連隊。

    人の心を、文化を殺し続けている心貧しき破壊魔たち。そちらのほうが遥かに横暴で残虐な暴力。

    国家、文化、会社、会社の上司、男友達、女友達、夫、親、子供……等々

    仲間だったはずの全ての相手を敵視、排除し続けている。そうして自分以外の他人の全員を殺し続けた彼ら彼女たちが築く王国は、たった一人で立つ永久の孤独だ。


    「イジられる」ことが幸せな時もある


    “イジり”についてtumblrで私はこう書きました。
    私は、「いじって」ほしかったな。ずっと。

    今の人生、愛あるイジリで救われたし、仲良くなれた人たちもいた。

    そんな愛を理解できないなんて気の毒に。あまりにも心が貧しい。
    (イジメと愛あるイジリは違う。その区別ができることも重要)
    もちろん“イジり”を装った悪意あるイジメというものは確かにあって、そのような暴力につながりそうな場合は“イジり”をストップすべきと思いますが。
    そうではなく、親しみの気持ちを表した“イジり”も現実に数多くあります。それが「愛あるイジり」。

    孤独になりかけた誰かをイジることで、親近感を持たせ仲間に引き入れるなどの手は小学生でも使います。
    プロの芸人たちもお互いをイジることで売れてきました。
    落ち目になったり、炎上して嫌われかけた芸人を救うときもこの“イジり”が駆使されますね。

    そんな「愛あるイジり」で本当に傷付きますか?
    親愛と、イジメの区別もつかなくなったら人間として終わりでしょうに。

    今世、愛あるイジりに救われた話と「さん付け」義務化反対


    このブログに長年通ってくださる方はご存知と思いますが、かつての私はイジられることすらない「高み」に閉じ込められていました。
    かつて、とは前世はもちろんのこと。
    今世でも、幼い頃の優等生扱いで敬遠され「さん付け」された頃の寂しさを経験しています。

    だから“イジり”に含まれる親愛に救われました。
    今世ではいったい何度、救われたことか。

    これはイジりとは少し違う親愛の話だけど、高校のとき、初めて「ばぁか」と呼ばれて頭を軽く叩かれたときは嬉しくてたまりませんでした。
    幼い頃の「さん付け」地獄(一人だけ「さん」で呼ばれた)を脱し、転校先でタメ口で話しかけられただけでも嬉しかったのを覚えています。

    諸葛亮について言えば、愛ある?ファンによる孔明イジりには怒っていません。それどころか、史実を見ての的確なイジりは嬉しかったです。
    【イジりの例】BLにはわわ、「意外とよく泣く軍師」など
    そんな対等ファンたちのイジりを貶めに悪用し、人格を根本から改ざんする歴史捏造をしている犯罪者たちに私は激怒しているわけです。

    最近、学校で「さん付け」が義務化したとのニュースがあり、非常に悲しく思いました。
    「さん付け」で作られる心の壁の恐怖を皆さん分かっていない
    自分が体験した孤独のなかに子供たちを住まわせないでほしいと願います。「さん付け」の義務化は絶対やめるべきです。
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