我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    魂の50%を前世に遺しているかもしれない…今も引きずっている感覚がある

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    先日の国葬に関する記事へ、少し補足です。

    (読みやすさを考え、今回から※印の解説に水色の枠を付けてみました)

    非人間発見機


    まず大々炎上している玉川氏の件で想ったことですね。
    記事に追記しました。転載しておきます。
    〔追記〕
    その後、モーニングショーの玉川氏が
    「菅氏の弔辞は電通の創作台本。涙を誘う演出のために偽装している。(嘘の演出を偽装することは)我々も、いつもやっていることだから分かる」
    と発言し大炎上しました。
    あの弔辞を聴いて、ごく自然な感情だと感じ取れず「演出」と思えるのは非人間の証。
    非人間は、自分のなかに人への親愛が一切なく絆というものも感じたことがない。そして常に嘘をついて生きているから、他人もそうであると考えてしまうのだと思います。

    玉川氏らの反応を眺め、『出師表』を下のように歪んだ読み方をしている非人間たちとソックリだなと思いました。
    かつて『出師表』は「これを読んで泣かない者は人間ではない」と言われていたそうで、そのような断言は誤りだし書いた本人も迷惑だと思っていたのですが、まさか本当だったとは。現代で「非人間発見機」の機能を果たすとは思いませんでした。

    【別館、閲覧注意】この人たちが『出師表』の歪んだ解釈を声高に叫ぶ理由


    それから、後半の「自分の葬儀について思うこと」を読み直し、書き忘れたことがあったと気付きました。
    この話はここに追記しておきます。

    「国を守護するためあの場にとどまったのではないの!?」とお怒りの方へ


    もし私の前世話を信じてくださっている方がいるのなら、あの記事後半の「さっさと地上を去った」という告白にお怒りになるかもしれません。

    「え?
    国を守護するためにあの場にとどまったのではなかったの!?
    ぜんぶ嘘だったの?」
    などと。
    揚げ足を獲ろうとしている者たちは喜んで食いつきまた大声で宣伝するでしょうし、あのキャラのファンだった人もショックを受け怒るかもしれない。

    伝説では
    「国を守護するため、(当時駐屯していた場所に)留まりたい。ここに埋めてくれ」
    と言ったことになっているようです。※
    客観的に想像しても、あの死に方では相当の“未練”を遺しているだろうと考えるのが当然でしょう。

    ※前回も書いた通り、私は皆の負担になりたくなかったので「自分の遺体などそこら辺に棄てて行ってくれ」と言ったのですが、たぶんそれが部下たちの脳内で上記のように変換されたのでは…と想像しています。


    私でさえ、他人だったら
    「志半ばに死んで、彼はどれほど未練だったろうか。まだあの場所にいるのかな?」
    と考えます。それが自然な想像だと思います。

    にもかかわらず、私が世に反して「さっさと昇った」と言っているのは実際にその記憶があるからです。……本当に申し訳ないことですが、自分自身の強烈な記憶として確かに覚えているものなので嘘がつけません。

    では、未練が無かったのか?
    と言うと、それは微妙。


    死後地上を離れて昇るときには本当に何の未練もなく、爽やかに満たされていました。
    おそらく死ぬと意識の次元が変わり、地上の現実に囚われなくなるからだろうと思います。
    または「全て生きている人々に任せた」と、完全に信頼する気持ちでいたせいかもしれません。

    実は今、記録を見ると頭を抱える話ばかりなのですが…。しょうもない事件が多数ありますね。
    それでも怒ったり、責める気持ちを持つことは一切ないのです。
    あのとき「あとは生きている人々の時代」と思ったことがはっきり記憶に残っているからです。野となり山となっても未来は未来。あるがまま。何を悲しむことがありましょうか。

    これは「死者の自分には関係ない」という突き放した冷たい気持ちではなく、親心に近いものです。
    我が子がどのように成長しても、子は子。
    いいよいいよ、と全てを寛容に眺める気持ちです。

    ――しかしいっぽうで、前世への“感情”が未だに残っていることは否めません。

    この感情を未練と呼ぶべきなのかどうかが、微妙なのです。
    残念さや恨みなどではなく、甘くも切なく苦い気持ち。
    幸せだった日々の思い出が今もまだ胸を突き、あの地へ心が向いてしまうことは自分でも抑えられません。

    あるとき見た夢


    あるとき、私は独りあの地を歩いている夢を見ました。
    前世と同じ着物を着て、荒野となった野原を東(東北?)の山へ向かって歩いている夢です。
    片足には金属の足かせがついており、ひどく重いと感じながら足を引きずっていました……。

    そこでゾッとして目を覚ましました。
    そのとき、
    「もしかしたら自分は、魂の半分をあの地へ遺してきているのかも」
    と感じたのです。

    つまり50%は地縛霊なのかもしれません、笑。

    魂はエネルギーのようなもの、形は無く二つでも三つでも分かれることがあるらしい。※
    だからきっと、前世に半分遺してくることもあるのでしょう。

    ※ニュートン氏の被験者たちの話によれば、100%のエネルギーで地上に生まれる者はいないそうです。たいてい半分以上、死後世界に残してくるそう。私の場合は50%分を死後世界ではなくて前世に遺してきたということでしょうか。
    【関連記事】あなたは何%の魂エネルギーで生まれているか? ←ここでは「自分は現世に10%しか持ってきていない」と言っていますが…。もしそうだとすれば、前世50%・死後世界40%・現世10%かもしれませんね。


    霊感の強い人々には、私の半分があの地に留まっていることが視えるのかも。
    だとすれば伝説で言われているところの
    「死後もあの地に留まり守護している」
    という話も、あながち嘘ではないことになります。

    それで私は今世で、何となくずっと辛いのかもしれませんね。

    最近は現実においても過去が襲って来るという体験をしており(現在政治家のように吊るし上げリンチに遭っている)、前世の国のために再び戦うという運命に放り込まれてしまいました。

    本当に非道いことです。
    やれやれ、いつになれば解放されるのでしょうか。
    千年以上の地縛霊となっている半分の私を救い出せば、解放されるのでしょうかね?
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