~について(基本的な考え方)

    「虐待で浄化」「死後世界で反転」など、いろいろ誤りがありました。お詫び

    先日、現代館(歴史館からの独立ブログ)で『やりすぎ都市伝説2022年秋』の感想を書いたとお知らせしましたね。

    そのなかで関暁夫氏へ
    「少しは誤りを認めて詫びろ」
    と書きましたが、何を隠そう私もここでたくさんの誤りを書いてきました。

    ただ私は誤りがあればご報告して修正する方針。
    もちろん謝ればそれで済むと思っているわけではありません。しかし、少なくとも間違いに気付けば報告し修正すべきと思います。

    まあ、誤りがあれば直すのは当たり前のことですが、世間一般ではあまり「当たり前」ではないような気がします。
    たとえば玉川氏などはこの間、大手広告代理店の名を出したので謝罪させられたものの、普段は断定形で誤りを放言し謝ることもしないタイプ。
    例の歴史修正学者たちも、断定形で嘘をついて平然としています。まさに地獄の徒です。

    最近気付き始めた誤り


    当ブログで多い“誤り”は都市伝説などの類ではなくて、主に思想に関してですね。

    最近になり本腰を入れて近代思想を学ぶようになり、その背景にある宗教教義に気付いてきました。
    (あくまでも歴史として知識を仕入れているだけです。哲学・思想は現代の私の畑ではありませんし、今さら近代哲学を学び素直に受け止める気もありません)

    それで、自分が今まで書いてきた話のなかに近代欧州の“反社思想”が含まれていたことに気付き始めました。
    具体的には次のような内容の記事です。現在は非公開としています。

    1.苦しんで死んだ魂は浄化されてあの世で幸福となるらしい(アラン・カルデック『天国と地獄』から引用)

    2.死後世界では、全ての名と評価が反転する(シュタイナーの話を引用)

    “虐待で魂を浄化”の教義を悪用する犯罪者たち


    1は降霊術で亡くなったばかりの人を呼び語られた話、とのことです。
    キリスト教の教義の影響があるようですが、その話自体は本当かもしれませんし、苦しんで亡くなられた方があの世で幸福になっているという想像は悪くありません。

    しかし現実には、虐待を趣味とする快楽殺人者がキリスト教の「魂を浄化させる」という教義を利用し、自己の犯罪を正当化した歴史があるそうです。
    (申し訳ない。実は先日ドラマ『親愛なる僕へ殺意をこめて』でこの教義の欠陥に気付きました)

    憎しみという動機から、敵を拷問したいと考える者にとって「拷問すれば相手は死後幸福を得る」という思想は抑止になる。嫌がらせしたいのに逆の結果を招くのは困るから――と私は考えたのですが甘かった。

    人へ苦しみを与えることそのものを快楽とする犯罪者は、こういった教義さえ利用して自己正当化するものです。
    この重大欠陥に気付かず引用してしまったこと申し訳なく思います。

    「反転」は現状の理解により意味が真逆となる


    2については「反転」というキーワードがやはり良くなかった。近代欧州の悪魔崇拝そのものでしたね。

    私は現世では人道がなくなり欲を貪る人ばかりで溢れているので、「死後世界の反転」とは道徳が実現されることだと考えていました。
    しかし彼ら悪魔崇拝者の望む「反転世界」とは、道徳の消え失せた地獄そのもののことです。苦しみしか存在しない暗黒の地獄こそ、彼らの待ちわびている天国。

    どうやら現状をどのように捉えるかが異なるので、彼らと私では「反転」の意味が逆となってしまったようです。
    今は彼らが道徳を破壊し、天地を「反転」させて地獄を実現した現状がある。だから私は「再反転」で正位置を永遠のものとしたいと望んでいます。これを私は「反転」と呼んでいます。

    ……ややこしいですね。禅問答になってきました。

    ともかくこの件についてはもう少し熟考が必要です。
    シュタイナーの記事で書いたことには有害思想ばかりではなく、真理もあったと感じます。
    いったん非公開としまして、いずれ修正して上げたいと思います。

    お詫び


    大変遅くなり申し訳ありませんが、上記の通り浅い解釈による誤りがあったことご報告し、ここにお詫び申し上げます。

    もともと当ブログでは魂や死後世界という曖昧なジャンルを対象としていますので、「正確性」など追及するのは不可能ではあります。
    たとえば玉川氏が最近ようやく詫びたような、事実に関する報道分野とは次元が異なります。

    ただ私は社会システムに照らして、実害を生んだことのある思想※を自分が掲載した場合にこれを「誤り」と呼び、修正するつもりです。

    浅学ゆえ、まだ気付いていないミスが数多くあるはず。お気付きの方はご指摘いただければ幸いです。
    ただし思想的に敵対する立場から、根拠もなく「誤りを直せ。デマデマ」と唱え続ける行為はご遠慮ください。

    例:「魂など非科学的だ」「死後世界などあるはずもない」…等々 この論拠なしの聖書的な決めつけはカルト宗教信者が、自分の教義を押し付ける行為と同様。無意味です。そのように何の裏付け証拠も考察もない幼稚な意見より、匿名掲示板のSF話のほうが遥かに面白くて有益と私は思います。

    ※因果律の有害性は?

    仏教の因果律や転生思想も、単純な算数計算で解釈されてしまった場合に「不幸な人は前世で罪を犯したんだ」などという差別の実害を生むことがあります。しかし他の思想に比較しますと遥かに害は低かったと言えます。それどころか「罪は自分に還る」という考えから殺戮の抑止となってきた歴史事実があります。

    何より、因果律は体験者としての実感からも真理と思います。言わば科学の実験結果のようなものですから、修正すれば嘘になってしまいます。したがって、因果律を否定しろとの要求はお受けできません。

    〔追記〕
    最近、「虐待を受けている子供は前世で悪いことをしたんだ。だから因果応報。放置すべき。救い出すのは本人のためにならない」との思想をばらまいている狂人がいると聴きました。そんな話を信じて実行する人は少ないでしょうが一応書いておきますと、それは因果律を捻じ曲げた西洋的な解釈。
    虐待されている子供を放置するのが善行、などということは断じてありません。むしろそのような冷酷なことをすれば、見棄てた人が不幸なカルマを負うことになる、と考えるのが因果律です。
    仏教由来のことわざに「情けは人の為ならず」というものがあります。これは、他人に情けをかけて救済することはその人のためではなく自分のためだ、という意味。利己主義的思想ではありますが、宇宙法則としては真理と思います。また人間の社会システムに対しても、お互いを助け合う習慣を醸成するなど善い影響を与えると思われます。

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