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人は地上でバラバラ? 勘違いの個人主義=孤独感が全体主義を招く

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これは前から書こうと思っていた大事なテーマです。
絆について」。

近ごろ極端な個人主義が叫ばれるようになり、人と人との“絆”も否定する声が大きくなってきました。

「人は完全に独りで生まれて独りで立ち、生きていくもの。寄り添い合って生きるのは依存だからダメ。結婚制度、家族制度を廃止せよ!!」
と叫ぶ極端な個人主義がカッコイイと崇められ、もてはやされる風潮がありますね。

占星術界隈でも
水瓶座の時代だから、これからの新時代では個人主義で自由主義となる。女性を奴隷として縛り付ける結婚制度や家族制度はなくなって、親も子もバラバラになり、全ての人が単独で自由に生きていく」
と叫ばれています。

でも、本当にその主張は正しいのでしょうか?

根っから個人主義と決めつけられている水瓶座代表のような私(ネイタルで水瓶座がとても強い)が、「絆」について思うことを書いてみます。

「人は地上に堕ちてバラバラ」なのか?


かつて占星術師の松村潔氏が著書のなかで、
「魂は地上に生み堕とされたとき霊脈(大霊?)から切り離されてバラバラとなり、完全な孤独の身となる。棄てられたも同然だ」
と書いていたことがあります。
(書籍が手元にないので記憶に頼った要旨で、申し訳ないです)

私はその話に違和感を覚えました。
人は生まれるとき霊からバラバラに切り離され、孤独な存在として地上へ堕とされる? 棄てられたも同然?
一般的な“スピリチュアル”の概念に沿って考えるならそのような表現はあり得ないでしょう。
魂というものは一見バラバラに見えても、大霊とは常に繋がっているとされるからです。
死後でも地上でも同じ。肉体を持とうが霊体であろうが、魂は本質で同じものなのだから当たり前です。

スピリチュアル本に拠らない私自身の感覚から言っても、
「地上では霊の世界から切り離され、バラバラ」
「ここに産み堕とされたら完全に孤独。棄てられた身」
などという話は違うと感じます。
地上の人間集団のなかでは同意が得られず孤独を感じることはあっても、本質的に孤独であるとは思えないからです。

ただし小学生~高校生くらいまで、現代の唯物主義を教え込まれ信じていた期間は「人間は完全に孤独なものだ」と考えていましたね。
その時に自殺を考えていたのです。

人は唯物主義に侵され、完全に孤独な牢獄に棄てられていると信じたときに自殺も考える。私のような自虐タイプと逆の人は、おそらく「物扱い」の意識が他者へ向かい我がままを追及したくなるので、大殺戮をお楽しみになるのでは?
(スピリチュアルを信じている人でも唯物主義的な発想をする人は同じ)

しかし様々な体験を経て「孤独ではない」ということが実感でき、上のような唯物主義の考えは消え失せていきました。
大霊とは常に繋がっている※と思考でも信じられるようになりましたし、高次霊の先輩方や死者オーディエンスの存在も確信しています。それはもう、嫌でも存在を感じ取れるほどにビシバシと信号を送って来られます(笑)ので当然でしょう。

※大霊とは繋がっている――と言うよりも、自分自身の深層に“大霊”と全く同じものが存り活動しているとの感覚があります。(この感覚は生まれつき持っていたのですが、唯物主義を刷り込まれた時期は忘れていようです)
これはおそらく仏教で言うところの仏性:「自分の中の仏」というものですね。ミクロはマクロに等しい。高次元で畳み込まれているということです。

これはもしかしたら、たまたま主張の強い死者オーディエンスたちに囲まれている私だからなのかもしれませんが、全ての人が高次の先輩方…指導霊に守護されこの地上に生きていることは間違いありません。感じ取ることができない人であっても、守護する存在は必ずいるものです。

だから、
「地上でバラバラ」
「孤独の身として棄てられた」
との松村氏の言葉に違和感と反発を覚えたものです。
まして、松村氏は多くのスピリチュアル本を読んでいるはず。守護霊についても聞いたことは当然あるでしょうに、「孤独」と仰るのは不可解で違和感がありました。

もしかしたら彼はご自身で孤独のカプセルに閉じ籠っている魂なのかもしれません。過去生で何か過ちを犯したとき、反省のために自ら孤独のカプセルに閉じ籠ることがあるようです。そしてそのような魂は、孤独を抱えた状態のまま転生を繰り返します。かつての私がそうでした。
しかしそのような状態は、虚妄。
外から扉を叩くノックの音はずっと聴こえているはずです。
いずれ孤独の幻から覚めて自ら扉を開けるときが来ます。そのために必要なのは、「自分は孤独ではない」と知る勇気だけです。

追記。現実に地上生活で孤独な場合


「孤独のカプセルに閉じ籠る」とは、あくまでも精神的な話、魂レベルの話です。

そうではなく、現実の地上生活で孤独な環境に置かれている人も実在します。
たとえば不幸にも幼い頃、実の親から虐待されたり。
信じていた恋人に酷い別れ方をされるなどして、人間を信じることができなくなった人たちです。

そのように現世の経緯があれば「自分は孤独」と信じて生きるようになっても仕方がないでしょう。
人を信じて裏切られた時の危機を防ぐために、予め信じないようにして生体を防御するのは動物の本能からも当然です。
私でも虐待をされて育ったなら防衛本能で孤独に閉じ籠ったと思います。(過去生では一時的にそうなりました)

しかし、それは防衛本能によるガードであって「孤独は真理」なのではありませんよね。
それなのに「真理」と勘違いして孤独を崇めていると、やがて精神の孤独カプセルに籠もり出て来られなくなるのでは…?

現実を見れば信じられる人は存在するものです。
愛してくれなかった親や恋人のことばかり考えるのではなく、信頼できる人のほうへ目を向けるべきです。
そのためにもまず、孤独崇拝教を棄てて踏み出さなければなりません。


水瓶座は真に「個人主義」ゆえに、絆=友情を信じる


私がこのように絆の重要性を話すと
「水瓶座が強いわりに個人主義ではないのはおかしい」
と言われるのではないでしょうか。

冒頭で書いたように、水瓶座は個人主義を象徴する星座として宣伝されているからです。
しかし、現実はむしろ逆で「絆」を大切にします。

「水瓶座は友情の星座」と聞いたことはありませんか。
その通りで、ほんとうの水瓶座は他のどの星座よりも深い友情を持つことがあります。

“友情”とは、血縁ではなく恋愛感情でもない、もちろん思想で手を結ぶ同志でもない。純然たる精神の「絆」を指します。
精神だけの絆なのですから、それは往々にして「魂の繋がり」であることが多いでしょう。

このように深い絆を求め大切にするのは、実は水瓶座が究極の個人主義を持つからではないかと思います。

逆説的ではありますが、個を持たないと真の友情を得ることができません。
誰の命令にも服さない、コピーではない、独立した個としての意識があるからこそ他の個と友情を結ぶことができます。

そんな水瓶座の友情は独立した個同士の結び付きではありますが、
“依存しない”
ということでもなく、自己の欠けた半身を補うパートナーとして相手を見ることになります。

金八先生の
「人という字は、人と人が支え合って立つ様子を表している」
とのイメージがまさに水瓶座の友情です。
(あの金八先生の話自体は創作ですけどね)

感情の薄い水瓶座であれば「ギブ・アンド・テイク」で利己のためにパートナーを求めるかもしれませんし、情の深いタイプならニコイチの伴侶を求めることになるでしょう。

自分の場合


私をサンプルとして例に出すなら、言うまでもなく前世の主人とは深い絆で結ばれていたようです。
これは死後に得た確信としての記憶※なので、誤解はありません。

※人は死んで魂となると嘘偽りのないその人生の真相を振り返ることになります。
生きている間には言語という手段でしか分からなかった相手の気持ちも、直接の想いとなってなだれ込んで来ます。そうして死者は、自分が生前に接した人の本心を「自分の心」として感じ取るわけです。
(だから他人へ酷いことをした人は、その痛みや苦しみ、憎悪の感情を体感することになるのでしょう。痛い、苦しいという感覚は正確に再現され、圧倒的な憎悪の感情に包み込まれることになる。これを地獄と呼ぶのかもしれない)

私の場合は、主人の気持ちが想像を絶する親愛であったことを知ることになりました。実の親も上回る、深い信頼と親愛…。言葉では表現しきれない「絆」を感じました。

なおこの話は純粋な私自身の記憶ですので、念のため。フィクションや他者情報の影響は一切無し。
何しろ私の前世記憶はあの死後場面から始まります。こんな話を書いているフィクションはどこにも存在しないはずです。(よく考えればこのことこそ潜在記憶ではない何よりの証拠でした)


現世でも同様。
伴侶である配偶者と巡り会って30年。
(なんと30年! 自分たちでも驚愕です。時が経つのは本当に早いものですよ。早過ぎて思考が追い付けない)
今も30年前とほとんど変わらぬ気持ちで楽しく過ごしています。

現世の伴侶は配偶者なので、客観的には「恋愛」や「夫婦愛」ということになるのでしょうが、私自身にはあまりそのような感覚がなく……と言ったら物凄く怒られそうですが(笑)、やはり精神のほうを優位に考えてしまいますね。

他の人たちは恋愛や血縁で区別してこだわるけれども、私は「精神さえ繋がっていれば何でもいいでしょ」と言ったりするので寂しがられます。
実は誰よりも深く純粋な、精神の絆を求めているだけなのですが。何故に寂しがられたり怒られるのかよく分からない、というのが本音です。(で、こういう発言で変わり者と呼ばれている気がします)

精神が大事だと思う故に、形式にはこだわらない。
だからフェミのように「家族制度反対!」などと叫ぶことはしません。何こだわってんの?と冷めた目で眺めてしまいますね。

こだわらないので、形式については相手の求めや現状に合わせることができます。
なるべく多くの時間を伴に過ごしたいとは思っているので、その時代で最も近くにいられる立場を選択することになるのでしょう。
現代なら配偶者にならないと一緒に過ごせないものだから選択したのだと思いますね。結果から考えれば。


勘違いの個人主義が全体主義を招くわけ


ここで冒頭に話を戻します。

現代、
「新時代は水瓶座の個人主義が実現する!」
と叫ばれ、盛んに個人主義が推奨されていますが、現実はどんどん正反対の全体主義へ流れています。

何故こうなるのかと言うと、皆さんが思っている「個人主義」が勘違いで誤っているからです。

「人間は完全に孤独。死ぬまで独りぼっちだと悟るべき、信じられるのは自分だけ」
すなわち、孤独感イコール個人主義なのだと勘違いしている。

これは誤り。
少なくとも、水瓶座らしい個人主義とは正反対の考えです。

形式には縛られず、「個」として独立した考えを持つのが水瓶座らしい個人主義です。
そのうえで他者と精神の絆で結ばれた友情を持ち、お互いを信じ合って支え合うのが水瓶座世界。
水瓶座を引き合いに出すなら、ちゃんと正確な水瓶座の個人主義で話をしていただきたいですね。

もしも正反対の
「自分は独りぼっち」
が個人主義なのだと勘違いしているなら注意してください。
その孤独感は、カルトな全体主義へ容易に絡めとられる下地となります

不思議なことでしょうが、現に「個人主義者」を名乗る多くの孤独な人が全体主義のロボットとなっています。
おそらく、たとえ「生まれてから死ぬまで独りぼっち」だと自分に言い聞かせたとしても、人は独りでは生きられないので無意識に拠り所を探してしまう。
その瞬間に、心の隙間へ入り込んでくるのがカルト思想なのでしょう。

孤独感を持つ人たちは、身近な人を信じないわりに何故か「思想」や「宗教」は信じてしまうものなのです。
人と人との絆を知らないからこそ、思想などの教義で繋がれた“同志”と呼ぶ関係を唯一の絆と勘違いしてしまうのでしょう。

実例が下。あれが孤独に侵された人の心象風景と思います。
「親を否定し、反発」
「家族を否定し、反発」
「社会を否定し、反発」……
そのあげくに生まれたばかりの我が子の生死にも無関心となり、放置してカルト活動へ邁進したといいます。
しかもインタビューでその話を「武勇伝」として自慢気に語る様に引いてしまいました。周囲が賞賛し持ち上げたからでしょうか、亡くなるまで勘違いの個人主義を抱き続けたようです。
ある意味で、あの絵は真実の彼女自身を描き出したと言えるでしょう。ゲージュツは真実を描き出す。

【別館、閲覧注意】彼ら彼女らの心象風景に衝撃「人間の魂をごちゃごちゃにし心を失わせるプログラム」

上記事はもしかしたら差別的に思われるかもしれませんが、「勘違いの個人主義が全体主義を招く」という話の実例として冷静に眺めてください。
せっかくの実例サンプルから危険を学ぶべきです。

ちなみに社会プログラムとしても、
「人は生まれてから死ぬまで孤独」
「絆など存在しない」
と教え込むことは全体主義のための準備となります。
独裁政府が人民を奴隷化して支配するためには、個人同士が自分の意思でつながって友情を持つことを防がなければなりません。
このため、全体主義の準備として個人を分断させます。

恋愛否定、結婚否定、家族制度反対の叫びも、
「友情なんか存在しない」の叫びも、
全てはあなたを孤独に追い込んで全体主義で絡めとるため。
信じてついていかないようにしてください。


そんな人と人との絆を破壊する全体主義準備の一つが、「劉備と孔明の絆否定」だと思われます。
私に使命があるとすれば、この全体主義工作を阻止するために真実存在した絆をお伝えすることでしょう。
これは私にしかできないこと。

(ようやく最近分かってきました)

結局は現代の人助けのためです。
見棄てることなどできません。
少し回りくどく時間はかかるかもしれませんが、今と未来の人のために真実を書き残さねばと思います。
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