神秘・占星術

    死者も現世評価に参加? 死後世界と現世は案外、“別の国”ではない

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    ここのところ私が過去記事から掘り返していたのは、

    “生まれたときのネイタルホロスコープ(出生時の占星図)は先輩霊たちからの評価書であるらしい”

    という件でした。

    【当ブログ】人格一致で気付いた。ネイタルには、他者の評価が篭められている
    【note】https://note.com/waresoba23/n/na7023ed04119

    この話に関連し、ホロスコープだけではなく現世現実における評価についても死者たちが関与しているのではないか? と思える裏付け文書的なものを見つけたのでメモしておきます。

    現世と死後世界はつながっている


    引用は先月も触れた『よみがえる古代思想』(佐々木毅)という本からです。
    この本はとても面白くて、一ページごとにコメントしたくなる話ばかりでした。時間があったら引用・コメントしようと思いながら時が過ぎ今日に至ります。

    とりあえずスピリチュアル的なことに関連し、驚愕した箇所だけ引用します。

    (念のため。上の書籍はスピリチュアルの指南書ではありません。古代西洋哲学史の話)

    プラトン『ポリティア』から要旨です。〔前掲書P97より要旨。太字は当ブログ筆者〕
    洞窟から出て真実の世界を見た人は、再び洞窟へ強制的に戻される。洞窟は暗いのでよく目が見えず転んだり、とんちんかんなことをやって皆に笑われたり危害を加えられることもある。それなのに洞窟へ戻らなければならないのは、少数の哲学者を生むことがポリス(現世国家)の目的ではなく、全体へ幸福を行きわたらせることが目的だからだ。
    ……
    真実を見た者は現世国家へ戻ってから後継者を教育したあと、「幸福の島」に住むことが許される。そして現世国家はその功績に対して彼らのために記念碑を立て、後世に至るまで彼らを称えることになる。
    何に驚愕したかというと。

    まず「強制的に戻される」というところです。
    これは私の前回の死後の記憶を思わせます。

    嫌だ、嫌だ! と抵抗したのに脅迫されて連れ戻された、といった恐ろしい形での強制ではありませんでしたが、断る余地はあまりなかったと記憶しています。
    とにかく前世の死後は疲れ切っていたので、
    「ええっ。休みたかったのに直ぐ転生ですか…? 厳しいなあ」
    と正直思いました。
    (まったくスパルタですよ。たぶん元アテナイの市民をスパルタ呼ばわりすると怒ると思うけど)

    転生すれば確かに今このようなヨチヨチ歩きです。
    何をすればいいのかも分からず手探りで歩き、転んでばかりで先に進めず、皆の笑いものになっている。
    さらに私へ危害を加えようと付け狙うアンチも追いかけてきます。

    それでも少数の人にメッセージを伝え“魂の幸福”を得る方法を分かってもらえたなら、私は「幸福の島」(天界の癒しの次元か?)へ住むことが許されるのかもしれません。

    「後世に至るまで称える」というお約束に関しては、報酬?の前払いのような感じでいただいているのかもしれないですね。その称賛があまりに行き過ぎていたために本人(私)が怯えてしまって萎縮したわけだから、いかがなものかと思いますが。

    ちなみにこの「記念碑を立てて後世にわたり称賛」とは古代ギリシャ的な価値観に基づく報酬だそうです。
    古代ギリシャでは永久に続く名誉が最大の報酬と考えられていたのです。…ありがたいことなのだからクレームは言うまい。

    死者たちは案外強烈に現世へ関与している


    直観ですが、以上の文書で裏付けられた気がします。
    私を指導している先輩霊はやはり、現世では最後に古代ギリシャ・アテナイで生きた方々だったのだと。※
    そう言えば私が前世の件で初めて見た“狼の夢”も、プラトンの著書に記された伝承に基づく暗喩でした。つまり元アテナイ人の創作だった。

    ※たぶん私のオーディエンスは複数で、とても多いと感じる。中心となる指導霊が元ギリシャ系だったのかもしれないという話。

    もしこの直観が正しいなら、
    “死者オーディエンスたちが現世評価に関与している”
    との想像は正しかったことになります。

    さらに私がハードル下げを強く願った結果たちまち今このような貶めの状況に変わったことも。


    ――このように現実への反映を見ると、死者が現世へ関与する力はどうやら想像以上に強烈であるようです。
    人数… ではなく“魂数”にもよるのでしょうが。

    と言うことはつまり現世と死後世界がさほど離れていないこと、もしかしたら同次元に重なり合って存在している可能性も示唆しています。

    だから唯物論はもちろん唯心論も間違い。
    魂にとって生と死は分断されていないと言えるでしょう。
    それ故、「現世の罪は現世限り。何をやってもチャラ♪」ということはあり得ないし、「死後世界に逃げればラクになれる」ということも安易な考えと言えます。
    あまりにも辛過ぎる人生を受け入れる必要はありませんが、ただ死ぬだけでは彼岸と地続きなのだからあまり変わらないでしょう。幸福の島へ行きたいなら“今ここ”で勤めを果たすしかないようです。

    続きの話>>伝統回帰・唯心論は諸刃の剣…? “魂中心主義”を伝えるべき
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