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竈門炭治郎が劉備にしか見えない… 『刀鍛冶の里編』に痺れる

都合により『三国志』どっぷりとなってしまった今日この頃。
(ファンの方とは違う意味での「どっぷり」。好きで沼にはまっているわけではない)

最近は“資料”としてフィクション『三国志』も読み始めたのですが、実は物凄く無理をしております。
泥沼を泳いでいるように遅々として進まない。
うう、重い。く、苦しい……。と心の中でうめきながら読んでいる。
フィクション小説を読むのにこれほど重苦しい感覚は生まれて初めて。※
子供でも「楽しい!!」などと言う小説であるらしいのに、やはり私には読書困難な魔書です。

※たとえば初めての吉川三国志は面白いところと苦しいところとあり、冒頭のほう関羽・張飛の掛け合いなどは「意外と面白いかも」と思ったのですが、直後からやはり苦しくなりました。

それで精神が潰れてしまわないように、なるべく他の創作にも触れるようにしています。

ちょうど好きなアニメ『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』が始まりましたので観ています。
善逸や伊之助たちが出てこないのは残念ですが、私は前回の『遊郭編』よりこちらのほうが好きかな。
謎めいた炭次郎の“記憶”が少しずつ明かされるところも興味を覚えますし。
そして何より、炭治郎がカッコ良過ぎて惚れました。

577085.jpg公式サイトhttps://kimetsu.com/anime/katanakajinosatohen/


炭治郎が“過去”の剣士の技を体現し、「わかった。できる」と言うところ痺れましたね。
究極に優しいキャラクターは相変わらずですが、少しずつ着実に、驚くべき強さを獲得していくところは感動します。

そんなカッコイイ炭治郎を見てようやく確信しました。
やはり炭治郎のモデルは、劉備なのだと。

これは世間で前々から噂されていたことですが、私は最近やっとフィクション劉備を理解できるようになったので「その通りだ」と言えます。

炭治郎は、あくまでもフィクション劉備を投影したキャラクターなのでしょう。
呆れるほどに優し過ぎる“長男”。どこまでも自分を律する品行方正な主人公。
一般の『三国志』では優柔不断で情けない感じに描かれているキャラクターでもあります。

でもそんなフィクション劉備の優しさを持ちながら、壮絶な戦いを乗り越えて強さを体得していく炭治郎には“リアル”、つまり史実劉備の面影も映されているように思えます。
作者さんはきっとフィクション劉備が好きなのでしょうが、フィクションの先にある真実を心の目で透かし見ているのかもしれません。

――と、まったく別世界に触れるつもりでアニメなどを観ていたのに結局また『三国志』の面影を見つけてしまいました。
でも『鬼滅の刃』には重苦しさを感じません。
それはリアルが描かれているからでしょう。ファンタジーであるにも関わらず、台詞やストーリーが真実であり本物だからです。

現代のフィクション『三国志』を読むのが何故重苦しいのかと言うと、あまりにも嘘がひどいから。
表面的な設定が違うとか、そういう低次元なことを言いたいのではないのですよ。(史実モデルなのだからそこも問題ではありますが)
核心の部分で嘘八百を並べ立てていることに抗議したいのです。
『鬼滅の刃』で言えば、鬼の殺戮を「正義」と呼んで褒め称えて、炭治郎たちの義侠心を侮辱し嘲笑してばかりいる。「鬼による鬼のための鬼物語」が現代『三国志』なわけです。

ところで『鬼滅』の面白さは鬼の醜悪さが細かくリアルに描かれている点にもあります。
鬼のモデルは言うまでもなくあの人喰い集団ですね。「鬼は嘘ばかりつく」、まさに。
ああいう人間の皮をかぶった鬼畜が現実に多い。彼らの醜さや凶悪さ残酷さのスケッチがうまいと思います。
子供たちはきっと大きくなってから鬼のモデルたちが実在したことを知って衝撃を受けるはずです。
だから私は鬼を観ていて不快だけれども、現実を子供たちに教えてくれてありがとうと感謝の気持ちが湧いてきます。

君たちの生きる世界は鬼だらけの地獄だが、炭治郎たちのように心の力を燃やして闘い続けなければならないのだよ。
決して鬼の側に堕ちてはならない。「鬼になったほうが楽に生きられる」という誘惑に負けず、人間としての命を燃やせ。
そう伝えてくださっている。

『鬼滅』が流行ったことに感謝、アメリカにも中華圏にも伝わってファンを増やしたことは希望。

こうして眺めていると物語の力は本当に強いな! と思うのです。
だからこそ日本コミックの乗っ取りに警戒しろと言い続けているので。

私のようにネットの片隅で危険を叫ぶだけでは何の力も持てません。
本当に有効な闘い方は、『鬼滅の刃』のような心ある人間側の物語を語り続けていくことだろうと思います。

物語の力はとても強い。どれほどの弾圧があっても、改変があっても消えない。
そう信じています。
だから創作家さんたちは、義を描くことに迷いなく強く進んで欲しい。
悪魔(鬼)たちが日のもとに曝され消滅し、再び人間らしい文化が蘇る未来を目指して。
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