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「前世記憶はどのあたりが願望なのか」要パス記事公開のお知らせ

先日公開した小説『里の生活2』、解説追加と文章少し改稿しました。たいした改稿ではありませんがご報告。

それと実名版の小説公開に合わせて、当ブログも色々とマイナーチェンジしていきます。

まずこちらの限定記事を少し改稿して公開しました。

【公開】自分の「前世記憶」は、どのあたりが願望なのか? 分類

おそらく前世に興味がある人たちは知りたい情報だったでしょう。頻繁にクリックされているのですが、要パスで読めない方が多く申し訳なかったです。

記事の内容について補足…

我ながら「愛の証明」とか痛いですね。これを堂々と世界中に公開するのは恥ずかしい。でも本当に、それ以外で私の“願望”は無いので。

他記事で何度も書いてきた通り、一度の転生くらいで人間の性格・能力や境遇は変わらないということがポイント。
他人が“願望”と考えること、「羨ましい」と言う(現実に言われました)過去の話は、今現在も持つ現実です。だから自分としては「羨ましいと言われても何のこっちゃ」という感覚です。
うぬぼれ発言だと怒られようが、“有名”以外は現在現実でもあるので仕方ないということです。現在の自分について嘘はつけません。

ただ一点、「愛されていた」という記憶だけ自分一人の願望なのではないか? と疑うことはありました。
しかし長年かけて記録を読み、現実とすり合わせた結果として「自分のイメージは願望ではなく現実だった」との確信が強くなっています。

つまり恣意的ではない退行催眠などでダウンロードした“前世記憶”なら、願望による書き変えの部分はほとんどなく、見たまま真実だということですね。
(脳内解釈において現代化された言語と景色を除く)
特にその人生で理解しなければならない本質テーマは強く思い出されるようです。
だから細かい人生の出来事などの表面的なことよりも、最も強く思い出されるテーマ――私だったら人との「絆」、人々の「愛」――こそが真実だと言えるでしょう。

【関連する話】
以前こんな記事も書いていました。本当は記憶だけでも確信できたはずだが「記録」で裏付けられたことには感謝:
 死の直後の“走馬灯”は嘘がつけない

スピリチュアルではなく地上限定、“現実”の強制裏付けはこちら:
 「親愛」の裏付けエピソードです。一人、愛を叫び続ける運命

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