2012
Feb
10
-
『我傍』のイメージから二十年以上が過ぎて
〔この記事は当ブログを始めた時に書いたものです〕
『我傍に立つ』という小説を書いてから十数年。
この小説のベースとなったイメージが浮かんでからは、二十数年も過ぎてしまいました。
普通、この種のファンタジックな夢は若いころの一過性の熱のようなもののはず。
私自身も自分で単なる妄想だと思っていたので、「小説として吐き出して解消すればすぐに消えるだろう」とたかをくくっていました。
ところが二十数年経った今でもイメージはクリアに残っています。
もちろん小説で描いたような苦しみ、気持ちは薄れました。
今では何故あれほどまでに苦しんで泣いたのか全く思い出せません。
しかし気持ちが薄れていくぶん、より客観的な視点から眺めることが出来るようになっています。
(2016年Kindle出版のため読み返したところ再び気持ちが蘇りました。やはり気持ちは永遠に消えることはない・変わらないのだと思います。ただ大人になったぶん、昔より客観的に眺めることが出来るようになったとは思います)
また年齢を重ねて主人公の年に追いつき・追い越していくごとに、その年齢でなければ分からない気持ちが鮮明に理解出来てくるようです。
さらに今では現実的な知識も増えました。
その結果、昔よりもイメージを現実として捉えることが出来るようになったと思います。
そのようなわけで、今なら『我傍』や人生について少々冷静かつ現実的な話が出来るかなという気がしています。
こちらでは今まで書けなかった『我傍』裏話、プライベート話、その他思うことなどを全てメモしていきます。
少々露骨な話、世俗的な話もありますことご容赦ください。
実は今まで何度も『我傍』裏話のような話を書くことを試みてきたのですが、「いつまで自分の痛みばかり訴えているんだ!」といった勘違いの説教をされる方や、犯罪行動を起こす方(掲示板に中傷を大量コピペしたS氏。通報済)等、周りの反応があまりにうるさいので断念してきました。
ただ去年の震災以降「自分もいつ死ぬか分からない」という危機感を抱き、残すべきものを残しておかなければならないという思いが強くなり、また書く試みを始めるものです。
どうか皆様も騒がないようお願いします。
たとえば「裏話」として子供時代の辛かった経験など書きますが、決して今現在も苦しんでいるわけではありません。
ご心配いただかなくて大丈夫です。
私が自分の子供時代の経験や、辛い想いをしている主人公を小説で描いたりするのは、少数でも存在するはずの【今現在も同じ経験をしている子】のためです。
子供たちが明日を生きるための参考になればと願い、たいしたものではありませんが自分の経験を差し出す次第です。
『我傍に立つ』という小説を書いてから十数年。
この小説のベースとなったイメージが浮かんでからは、二十数年も過ぎてしまいました。
普通、この種のファンタジックな夢は若いころの一過性の熱のようなもののはず。
私自身も自分で単なる妄想だと思っていたので、「小説として吐き出して解消すればすぐに消えるだろう」とたかをくくっていました。
ところが二十数年経った今でもイメージはクリアに残っています。
もちろん小説で描いたような苦しみ、気持ちは薄れました。
しかし
(2016年Kindle出版のため読み返したところ再び気持ちが蘇りました。やはり気持ちは永遠に消えることはない・変わらないのだと思います。ただ大人になったぶん、昔より客観的に眺めることが出来るようになったとは思います)
また年齢を重ねて主人公の年に追いつき・追い越していくごとに、その年齢でなければ分からない気持ちが鮮明に理解出来てくるようです。
さらに今では現実的な知識も増えました。
その結果、昔よりもイメージを現実として捉えることが出来るようになったと思います。
そのようなわけで、今なら『我傍』や人生について少々冷静かつ現実的な話が出来るかなという気がしています。
こちらでは今まで書けなかった『我傍』裏話、プライベート話、その他思うことなどを全てメモしていきます。
少々露骨な話、世俗的な話もありますことご容赦ください。
経緯
実は今まで何度も『我傍』裏話のような話を書くことを試みてきたのですが、「いつまで自分の痛みばかり訴えているんだ!」といった勘違いの説教をされる方や、犯罪行動を起こす方(掲示板に中傷を大量コピペしたS氏。通報済)等、周りの反応があまりにうるさいので断念してきました。
ただ去年の震災以降「自分もいつ死ぬか分からない」という危機感を抱き、残すべきものを残しておかなければならないという思いが強くなり、また書く試みを始めるものです。
どうか皆様も騒がないようお願いします。
たとえば「裏話」として子供時代の辛かった経験など書きますが、決して今現在も苦しんでいるわけではありません。
ご心配いただかなくて大丈夫です。
私が自分の子供時代の経験や、辛い想いをしている主人公を小説で描いたりするのは、少数でも存在するはずの【今現在も同じ経験をしている子】のためです。
子供たちが明日を生きるための参考になればと願い、たいしたものではありませんが自分の経験を差し出す次第です。
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