前出ニュートン著『人生はなんのためにあるのか』によれば、
「未熟な魂は大勢の魂たちが出迎えてくれる」
「転生に慣れた成熟した魂には少人数の出迎えか、一人も迎えに来ないことがある」
とのことで驚いています。
自分のときはどうだったか? と思い出してみると、そう言えば迎えてくれる魂は少なかったかなあ。
(私には死後記憶は一つ前の前世の一回きりしかありません。だからこの話は直前の前世に限ります)
前世では眠るように目を瞑り、自分を呼ぶ人々の声が下へ遠ざかっていくのを聴いているうち、気付けば上も下も澄み渡る空のような場所にいました。
よく臨死体験をした人たちが「見た」と言っているトンネルさえ通過しませんでした。きっと素早く天界へ昇ったので、トンネルは意識もされなかったのかもしれません。
ただ、もしかしたらあれが「お迎え」だったのかなと思う場面として記憶しているのが、16歳時に夢で見たイメージです。
それは『狼の夢』と自分で呼んでいる夢です。
自分が狼としてイメージされ、原っぱのような所をキツネに追われて駆けて行き、力尽きて倒れるという内容。
後で分かったことですが、あの夢は前世の死の直前と直後を表わしているようです。
もしかしたら前世で死の直前から魂が抜ける際に見た夢なのかもしれないと考えています。
その夢の中でキツネが去った後、可愛らしい鳥が近付いて来て言いました。
「ずっと近くで見ていたけど、どうすることもできなかった」……
よく一人で頑張ったな、とねぎらう懐かしい人の言葉に私は泣いてしまいました。思い出すたび泣けてきます。
あの鳥こそ前世の王だったのではと思っています。
王だけが一人、私が死んだときに迎えに来てくれたのかもしれません。
(いや、「常に近くにいた」と仰っていたのでもしかしたらずっと地上にいらっしゃったのかもしれませんが)
ニュートン博士の本によれば、迎えに来た魂はたいてい生きていたときと同じ姿形を作り、分かりやすいように自分を見せてくれるそうなのですが……話が違う。
王よ、何故、キュートな鳥の姿で表れたのですか?(笑)
後からこうして思い出してみると「何故、鳥なんだろう」と悩んでしまいます。
まあ、私が見た動物設定の夢に合わせてくれたのでしょうが。
それにしても、真ん丸でフワッフワの柔らかそうな毛の鳥で、ぬいぐるみのようでした。もしかしたらあの姿で私を慰めるおつもりだったのか。そう考えると笑ってしまいます。
もし前世の王の姿で出迎えられたら、私は恐懼して動けなくなってしまったかもしれないので、あの姿は最大限に気を遣ってくださった結果とも思えます。
この通り、死後に会う魂たちは状況に合わせて自由自在に自分の姿を変えられるようです。