2023
Aug
15
-
「美男美女は魂が劣っている」の嘘。魂は容姿をどのように選ぶか(私の体験談あり)
少し世間話とスピリチュアル雑談です。
〔8/17 回りくどく読みづらかった箇所を修正〕
反ルッキズムが吹き荒れる昨今。
お笑い芸人たちが容姿を武器に笑いを取ることを禁じられ、お愛想で美形を褒めても怒られる。
窮屈な時代となりました。
私自身は人の“美醜”というものに無関心なほうですが、今の言論統制は気味が悪いなと思います。
多くの人たちは美醜に関心があるはずなのに、その気持ちを強制的に押さえつけられている。美醜を口にしないよう無理をしているのが分かる。
特に
「美形は魂が未熟で人格が劣っている(美形は性格が悪いに決まってる)」
「不細工は魂が成熟していて高潔な証」
と言う美形差別には眉をひそめています。
反ルッキズムを掲げる人たちが「美醜は関係ない」と言いながら美形を貶めて差別するのはおかしい。ダブルスタンダード、二重思考です。
…ところで実際に魂の領域で「劣った魂ほど美形の肉体を求める」ということなどあるのでしょうか? 自分のスピリチュアル体験から真面目に考えてみます。
「美形な容姿に生まれる魂は劣っている」とは神秘主義の人たちが主張しているものです。
昔読んだニュートン氏の本にこう書かれていました。
現実を眺めていて美男美女だから人格が劣るとか、精神が未熟で犯罪しやすいとは思えないからです。そんな事例を身近で見たことがない。
もちろん報道されている事件のなかには美男美女が加害者の場合もあります。
しかし犯罪者となる人の割合は容姿に関係なく同じ印象ですね。
日常では、むしろコンプレックスがなくて素直に育った美男美女のほうが嫉妬心も少なく付き合いやすい気がします。(個人的な感想です)
いっぽうニュートン氏たちが「優れた魂。優れた人格」と定義する“醜い容姿”の人たちのほうですが……全ての該当者が本当に高潔なのでしょうか?
むろん、高潔な人はいるはず。しかし全員ではない。
容姿が平均以下だからと言って100%人格が高潔だと保証されないのは、誰もがご存知のことと思います。
「容姿が良くない人は必ず高潔」の反証を挙げると、一般に「醜い」と呼ばれる自分の容姿を悪用して相手を信じ込ませ、堂々と詐欺をはたらく人たちが存在するようです。カモとなった被害者たちを次々と殺害し、財産を奪い続けた殺人鬼も美人とは言えない容姿でした。
また曹操の事例も分かりやすい反証ですね。
稀代の虐殺魔であった曹操の容姿が非常に醜かったことは、史書にも記録されている事実です。近年では遺骨の科学的な分析が行われ、低身長や歯周病、脳の病の跡(顔面の歪みにつながる)などが判明して史書の記録が事実だったことが裏付けられています。
【参照】 史実の曹操ってどんな人だった? (なろう版)
欲望のままに殺しや拷問を愉しんだ曹操が「高潔な魂」を持っていたとはとうてい言えませんね。
もっとも、こちら左翼の方々の価値観では「殺しや拷問こそ高潔な行い。虐殺は正義なのだー」ということになるそうですが、それは地獄の価値観です。ニーチェを気取り、善を憎み蛮行を愛好する。いわゆる「悪魔崇拝」の思想です。
今改めて考えてみると、ニュートン氏のこの
「美形は未熟。不細工は高潔」
という話にも欧米左翼の反ルッキズム思想が入っていた※気がします。
これはこれで美形差別の偏向思想でした。
※ニュートン氏が偏った思想の持主だというわけではありません(そうかもしれないが、上の話はニュートン氏のものではなく被験者の発言とのこと)。近代、欧米のスピリチュアリズムにも“反哲学”思想=悪魔崇拝が流入しているため被験者のなかには思想の偏った人がいたかもしれないです。
何故今こんな話を書いているのかというと、ここのところ自分の書いた私小説を読み返す機会を与えられ若い頃を思い出していたから。
私ももう老境に入ったので時効?だと思うから書くのですが、小説で表現した身の上話は概ね事実です。
つまり十代~二十代の頃はよく容姿を褒められました。
(こういう話を正直に書いているので、『僕前』に粘着する人がいるのでしょう。仕方ない)
自慢できるほどの美形ではない(太字で強調、笑)ですから書くのも恥ずかしいですがね。
肌も髪もきれいだったことはなく。
「自分が美しかったことは一度もない」と思います。
高校の頃は友達のほうが全員、きれいで眩しく見えました。
ただ大人たちが言うには私は「アイドル系」に見えたそうです。
服装も髪型も地味でしたから学校のヒエラルキーでは底辺、非モテ側だったはずですが、大人たちからはチヤホヤされました。
しかしそれで得したことは……あまり思い出せませんね。
アルバイトの面接に落ちたことはなかったり、初めて会ったコンビニの店員さんに気に入られ景品をもらったりとか。笑
そのくらいです。
代わりに犯罪の対象として狙われ、命を失いかけたことは何度もあります。
ストーカーに追われ殺されかけたこともあったし、車で拉致されそうになったこともありました。
さらに友達から不可解な嫉妬を受けて粘着され、悪口を言いふらされるのは日常。
まあ私は地味な性格なので一般的な人に嫌われることはあまりないのですが、嫉妬深い人は病気みたいなものだからどうしようもない。
そういう嫉妬心のある人との付き合いを避けているうちに、人間関係が狭くなってしまったことも損だと思います。
そんな山ほどのデメリットとリスクに比べると、容姿が良く生まれることのメリットのほうは遥かに少ないです。
芸能人にでもならない限り全く釣り合いが取れないでしょう。
ちなみに私も、芸能人になる機会がなかったわけではありません。
スカウトされ芸能事務所(有名どころの関係です)の面接を受けたとき、社長から「恋人を棄てなさい」と言われ「無理です」と断りました。人を棄てさせる業界などおかしい、人権がないと思って。それきり芸能界という選択肢はなくなりました。
芸能界も人権侵害が横行している業界であること、人目にさらされSNSで監視され続けなければならないことなど考えると、私は精神的にもたなかっただろうと思います。
よく言われる有名税は、損のほうがあまりにも大きいでしょう。芸能人という職業もお金は儲かるかもしれませんが、精神的なリスクを考えれば「釣り合いが取れる」とは言い難いと思います。
最近流行りのこの歌を聴いた時はぞっとしました…間に差し挟まれる嫉妬の声で色々思い出します:
おそらく私よりも遥かに優れた容姿を持つ本物の“美形さん”は、私の比ではなく苦労されていることでしょう。
こんな現実を眺めていると、優れた容姿を持つ人は決して「魂が未熟」ということはなく、むしろ自ら苦労を選んで生まれて来ている“修行僧”と言えるのではないか? と思えてきます。
醜さも修行かもしれないが、美形もまた修行。
そのことを自覚して精神修養した場合は人格が磨かれ、悪用すれば人格が落ちていくのだと思います。当たり前の話ですね。
ではスピリチュアルの領域で、地上に生まれたときの肉体・容姿はどのように選択されているのでしょうか。自分の体験から解説します。
ニュートン氏の本に書かれているような
「私は美形に生まれた~い」
「僕はちょっと個性的な顔のほうが楽しめて、いいな」
などと自由にアバターを選ぶ感覚では選択できなかった気がします。
私の感覚では、“肉体は内面(魂の経験)に合わせて精密に選ばれる”と思います。
【関連記事】“肉体は魂の形を覆う服に過ぎない。ギフテッドも努力の結果だと言う理由
つまり肉体は魂の性質に合わせて履く、ぴったりしたボディスーツのようなイメージ。
適合するものでなければ活動できませんのでおのずと選択肢は狭くなります。
当ブログでずっと説明してきた、「魂は自分の能力・個性に合うDNAの家系に生まれる」理論ですね。
スポーツが得意な家系、勉強が得意な家系、霊能力を持つ家系…等々、肉体に依存したスペックもありますがそれらを選べるのも魂の経験が適合した場合だけ。
誰でもその家系を選べるわけではないでしょう。
だから何度も言う通り、
「あの人は生まれつき優れたDNAを持っていてズルい。たまたま生まれた家系が良かっただけじゃない!」
などと嫉妬するのはお門違い。
その人は過去で修練を長く積んできただけです。
経験に応じた肉体へ生まれる“資格(適合性)”を持っているだけなので、もし自分がその人のようになりたいと願うなら今から修練すれば良いことになります。来世ではその家系に生まれることができるかも。
たぶん、容姿でも同じことが起きています。
つまり容姿にも“生き方”や“生き癖”が反映されるということ。
過去に美形でしか生まれたことがない魂は、だいたいの転生で良い容姿に生まれがち。醜く生まれた場合の経験がないから適合しないのです。
その逆も同じ。嫉妬に身を焦がす経験しかない魂は、
嫉妬される側の気持ちを理解しない限り反対側に生まれることはないでしょう。
私自身の記憶を述べますと――
長い転生の間、たいていの人生で容姿は“良い側”でした。
過去世の一時期はかなりの美形として生まれていた時代もあり、そのせいで拉致されたり生贄にされるなど悲惨な経験が重なりました。
それで、「二度と美形なんか嫌だ! 普通に生まれたい」と強く願った記憶があります。
その後に自分で少しずつ容姿のランクを落とし、国宝級から普通寄りに近付いてきたようです。
(なお、前回の容姿も普通寄りだったはずです。
「好感を持たれやすい容姿だったが、顔だけで得するほどの絶世の美形でもなかった」と記憶しています。
当たり前ですが容姿で主人に気に入られたわけではありません。
「人間は見た目だ」と豪語する主人でしたが、それは自分が一見で人物を見抜く目を持っているという意味でした)
才能と同じで容姿の程度も突然変わることはないと思います。
変わりたいと願ったとしたら、その時点から少しずつ変化していくことになります。
転生は小さな飛び石を渡っていくようなもので、いきなり遠くの石へジャンプすることはできません。近くの石から少しずつ飛び移って、生きたいところへ移動するしかないのです。
運命も同じ、才能も同じ、容姿ですら同じです。
天から恵まれた才能も容姿もない、と知るべき。
全ては自分が渡ってきた石の結果に過ぎず、その意味において「自分で選択した」と言えます。
だから、嫉妬など何の意味もないと分かるでしょう。
意味がないどころか、他者へ向かう歪んだ嫉妬は人格を落とし地獄へ自らを誘導します。
「反ルッキズム!」などと拳を振り上げ人を攻撃してばかりでは、いつまでも嫉妬する側の石に留まるだけです。永久に地獄の価値観から抜け出せないでしょう。
変わりたければ今日から行動すればいい。
行動だけが明日を変える。
たとえば美しくなりたい・チヤホヤされたいのなら美容に努め、社会での扱われ方を改善すればいいのでは。その境遇の体験が、次回から少しずつ実際の容姿を変えていくはずと思います。
「行動せよ」などと書くと美容整形に走る人もいそうで怖いです。
私自身は美容整形に絶対反対する者ではないのですが、やり過ぎはどうかと思います。
肉体にメスを入れれば命の危険もあります。二重手術などのプチ整形くらいなら構わないとしても、命がけの全身整形に溺れるのは大反対。
それに手術で顔を変えるなんて、安易ですね。
せっかく過去の積み重ねで今の容姿に生まれたというのに、もったいない。
今の容姿で生きることに意味があるかもしれない。その容姿に合わせた人生計画が組まれているかもしれないですよ。
変わりたいと願うなら、安易な手段に走らずメイクなどに努めるほうがずっといいでしょう。
行動(生き癖)を変えない限り来世はまた同じです。
〔8/17 回りくどく読みづらかった箇所を修正〕
反ルッキズムが吹き荒れる昨今。
お笑い芸人たちが容姿を武器に笑いを取ることを禁じられ、お愛想で美形を褒めても怒られる。
窮屈な時代となりました。
私自身は人の“美醜”というものに無関心なほうですが、今の言論統制は気味が悪いなと思います。
多くの人たちは美醜に関心があるはずなのに、その気持ちを強制的に押さえつけられている。美醜を口にしないよう無理をしているのが分かる。
特に
「美形は魂が未熟で人格が劣っている(美形は性格が悪いに決まってる)」
「不細工は魂が成熟していて高潔な証」
と言う美形差別には眉をひそめています。
反ルッキズムを掲げる人たちが「美醜は関係ない」と言いながら美形を貶めて差別するのはおかしい。ダブルスタンダード、二重思考です。
…ところで実際に魂の領域で「劣った魂ほど美形の肉体を求める」ということなどあるのでしょうか? 自分のスピリチュアル体験から真面目に考えてみます。
ニュートン本での不可解な決めつけ
「美形な容姿に生まれる魂は劣っている」とは神秘主義の人たちが主張しているものです。
昔読んだニュートン氏の本にこう書かれていました。
美男美女に生まれる人は魂が幼稚で未熟な証拠。この箇所を読んだとき私は、「本当にそうだろうか?」と首を傾げました。
何故なら肉体は衣服のようなものだから。
華やかで美しい容姿の肉体を選び、チヤホヤされて得したいと思うのは、中身が成長していない若者が衣服で身を飾ろうとすることと同じ。未熟だから衣服で身を飾ろうとするのだ。
人間でも大人になれば衣服で身を飾ることを控えるようになる。
それと同じで魂は成長すればするほど、醜い容姿の肉体を選択する。
(要旨)
現実を眺めていて美男美女だから人格が劣るとか、精神が未熟で犯罪しやすいとは思えないからです。そんな事例を身近で見たことがない。
もちろん報道されている事件のなかには美男美女が加害者の場合もあります。
しかし犯罪者となる人の割合は容姿に関係なく同じ印象ですね。
日常では、むしろコンプレックスがなくて素直に育った美男美女のほうが嫉妬心も少なく付き合いやすい気がします。(個人的な感想です)
いっぽうニュートン氏たちが「優れた魂。優れた人格」と定義する“醜い容姿”の人たちのほうですが……全ての該当者が本当に高潔なのでしょうか?
むろん、高潔な人はいるはず。しかし全員ではない。
容姿が平均以下だからと言って100%人格が高潔だと保証されないのは、誰もがご存知のことと思います。
「容姿が良くない人は必ず高潔」の反証を挙げると、一般に「醜い」と呼ばれる自分の容姿を悪用して相手を信じ込ませ、堂々と詐欺をはたらく人たちが存在するようです。カモとなった被害者たちを次々と殺害し、財産を奪い続けた殺人鬼も美人とは言えない容姿でした。
また曹操の事例も分かりやすい反証ですね。
稀代の虐殺魔であった曹操の容姿が非常に醜かったことは、史書にも記録されている事実です。近年では遺骨の科学的な分析が行われ、低身長や歯周病、脳の病の跡(顔面の歪みにつながる)などが判明して史書の記録が事実だったことが裏付けられています。
【参照】 史実の曹操ってどんな人だった? (なろう版)
欲望のままに殺しや拷問を愉しんだ曹操が「高潔な魂」を持っていたとはとうてい言えませんね。
もっとも、こちら左翼の方々の価値観では「殺しや拷問こそ高潔な行い。虐殺は正義なのだー」ということになるそうですが、それは地獄の価値観です。ニーチェを気取り、善を憎み蛮行を愛好する。いわゆる「悪魔崇拝」の思想です。
今改めて考えてみると、ニュートン氏のこの
「美形は未熟。不細工は高潔」
という話にも欧米左翼の反ルッキズム思想が入っていた※気がします。
これはこれで美形差別の偏向思想でした。
※ニュートン氏が偏った思想の持主だというわけではありません(そうかもしれないが、上の話はニュートン氏のものではなく被験者の発言とのこと)。近代、欧米のスピリチュアリズムにも“反哲学”思想=悪魔崇拝が流入しているため被験者のなかには思想の偏った人がいたかもしれないです。
自分の体験から考えてみる
何故今こんな話を書いているのかというと、ここのところ自分の書いた私小説を読み返す機会を与えられ若い頃を思い出していたから。
私ももう老境に入ったので時効?だと思うから書くのですが、小説で表現した身の上話は概ね事実です。
つまり十代~二十代の頃はよく容姿を褒められました。
(こういう話を正直に書いているので、『僕前』に粘着する人がいるのでしょう。仕方ない)
自慢できるほどの美形ではない(太字で強調、笑)ですから書くのも恥ずかしいですがね。
肌も髪もきれいだったことはなく。
「自分が美しかったことは一度もない」と思います。
高校の頃は友達のほうが全員、きれいで眩しく見えました。
ただ大人たちが言うには私は「アイドル系」に見えたそうです。
服装も髪型も地味でしたから学校のヒエラルキーでは底辺、非モテ側だったはずですが、大人たちからはチヤホヤされました。
しかしそれで得したことは……あまり思い出せませんね。
アルバイトの面接に落ちたことはなかったり、初めて会ったコンビニの店員さんに気に入られ景品をもらったりとか。笑
そのくらいです。
代わりに犯罪の対象として狙われ、命を失いかけたことは何度もあります。
ストーカーに追われ殺されかけたこともあったし、車で拉致されそうになったこともありました。
さらに友達から不可解な嫉妬を受けて粘着され、悪口を言いふらされるのは日常。
まあ私は地味な性格なので一般的な人に嫌われることはあまりないのですが、嫉妬深い人は病気みたいなものだからどうしようもない。
そういう嫉妬心のある人との付き合いを避けているうちに、人間関係が狭くなってしまったことも損だと思います。
そんな山ほどのデメリットとリスクに比べると、容姿が良く生まれることのメリットのほうは遥かに少ないです。
芸能人にでもならない限り全く釣り合いが取れないでしょう。
ちなみに私も、芸能人になる機会がなかったわけではありません。
スカウトされ芸能事務所(有名どころの関係です)の面接を受けたとき、社長から「恋人を棄てなさい」と言われ「無理です」と断りました。人を棄てさせる業界などおかしい、人権がないと思って。それきり芸能界という選択肢はなくなりました。
芸能界も人権侵害が横行している業界であること、人目にさらされSNSで監視され続けなければならないことなど考えると、私は精神的にもたなかっただろうと思います。
よく言われる有名税は、損のほうがあまりにも大きいでしょう。芸能人という職業もお金は儲かるかもしれませんが、精神的なリスクを考えれば「釣り合いが取れる」とは言い難いと思います。
最近流行りのこの歌を聴いた時はぞっとしました…間に差し挟まれる嫉妬の声で色々思い出します:
YOASOBI「アイドル」 Official Music Videoより
おそらく私よりも遥かに優れた容姿を持つ本物の“美形さん”は、私の比ではなく苦労されていることでしょう。
こんな現実を眺めていると、優れた容姿を持つ人は決して「魂が未熟」ということはなく、むしろ自ら苦労を選んで生まれて来ている“修行僧”と言えるのではないか? と思えてきます。
醜さも修行かもしれないが、美形もまた修行。
そのことを自覚して精神修養した場合は人格が磨かれ、悪用すれば人格が落ちていくのだと思います。当たり前の話ですね。
容姿も「魂の生き癖」の表れに過ぎない
ではスピリチュアルの領域で、地上に生まれたときの肉体・容姿はどのように選択されているのでしょうか。自分の体験から解説します。
ニュートン氏の本に書かれているような
「私は美形に生まれた~い」
「僕はちょっと個性的な顔のほうが楽しめて、いいな」
などと自由にアバターを選ぶ感覚では選択できなかった気がします。
私の感覚では、“肉体は内面(魂の経験)に合わせて精密に選ばれる”と思います。
【関連記事】“肉体は魂の形を覆う服に過ぎない。ギフテッドも努力の結果だと言う理由
つまり肉体は魂の性質に合わせて履く、ぴったりしたボディスーツのようなイメージ。
適合するものでなければ活動できませんのでおのずと選択肢は狭くなります。
当ブログでずっと説明してきた、「魂は自分の能力・個性に合うDNAの家系に生まれる」理論ですね。
スポーツが得意な家系、勉強が得意な家系、霊能力を持つ家系…等々、肉体に依存したスペックもありますがそれらを選べるのも魂の経験が適合した場合だけ。
誰でもその家系を選べるわけではないでしょう。
だから何度も言う通り、
「あの人は生まれつき優れたDNAを持っていてズルい。たまたま生まれた家系が良かっただけじゃない!」
などと嫉妬するのはお門違い。
その人は過去で修練を長く積んできただけです。
経験に応じた肉体へ生まれる“資格(適合性)”を持っているだけなので、もし自分がその人のようになりたいと願うなら今から修練すれば良いことになります。来世ではその家系に生まれることができるかも。
たぶん、容姿でも同じことが起きています。
つまり容姿にも“生き方”や“生き癖”が反映されるということ。
過去に美形でしか生まれたことがない魂は、だいたいの転生で良い容姿に生まれがち。醜く生まれた場合の経験がないから適合しないのです。
その逆も同じ。嫉妬に身を焦がす経験しかない魂は、
嫉妬される側の気持ちを理解しない限り反対側に生まれることはないでしょう。
私自身の記憶を述べますと――
長い転生の間、たいていの人生で容姿は“良い側”でした。
過去世の一時期はかなりの美形として生まれていた時代もあり、そのせいで拉致されたり生贄にされるなど悲惨な経験が重なりました。
それで、「二度と美形なんか嫌だ! 普通に生まれたい」と強く願った記憶があります。
その後に自分で少しずつ容姿のランクを落とし、国宝級から普通寄りに近付いてきたようです。
(なお、前回の容姿も普通寄りだったはずです。
「好感を持たれやすい容姿だったが、顔だけで得するほどの絶世の美形でもなかった」と記憶しています。
当たり前ですが容姿で主人に気に入られたわけではありません。
「人間は見た目だ」と豪語する主人でしたが、それは自分が一見で人物を見抜く目を持っているという意味でした)
才能と同じで容姿の程度も突然変わることはないと思います。
変わりたいと願ったとしたら、その時点から少しずつ変化していくことになります。
まとめ。嫉妬せず努力すること
転生は小さな飛び石を渡っていくようなもので、いきなり遠くの石へジャンプすることはできません。近くの石から少しずつ飛び移って、生きたいところへ移動するしかないのです。
運命も同じ、才能も同じ、容姿ですら同じです。
天から恵まれた才能も容姿もない、と知るべき。
全ては自分が渡ってきた石の結果に過ぎず、その意味において「自分で選択した」と言えます。
だから、嫉妬など何の意味もないと分かるでしょう。
意味がないどころか、他者へ向かう歪んだ嫉妬は人格を落とし地獄へ自らを誘導します。
「反ルッキズム!」などと拳を振り上げ人を攻撃してばかりでは、いつまでも嫉妬する側の石に留まるだけです。永久に地獄の価値観から抜け出せないでしょう。
変わりたければ今日から行動すればいい。
行動だけが明日を変える。
たとえば美しくなりたい・チヤホヤされたいのなら美容に努め、社会での扱われ方を改善すればいいのでは。その境遇の体験が、次回から少しずつ実際の容姿を変えていくはずと思います。
オマケ。美容整形について
「行動せよ」などと書くと美容整形に走る人もいそうで怖いです。
私自身は美容整形に絶対反対する者ではないのですが、やり過ぎはどうかと思います。
肉体にメスを入れれば命の危険もあります。二重手術などのプチ整形くらいなら構わないとしても、命がけの全身整形に溺れるのは大反対。
それに手術で顔を変えるなんて、安易ですね。
せっかく過去の積み重ねで今の容姿に生まれたというのに、もったいない。
今の容姿で生きることに意味があるかもしれない。その容姿に合わせた人生計画が組まれているかもしれないですよ。
変わりたいと願うなら、安易な手段に走らずメイクなどに努めるほうがずっといいでしょう。
行動(生き癖)を変えない限り来世はまた同じです。
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